第26話 水晶の継承

 すっかり日が暮れてしまった。


 彼が伝えてくれた失恋談を書き留めたメモ帳を、

歩みながら道半ば開いて確認する。


 言いたくも、思い出したくもなかったであろう自身の失恋談を、

熱意と誠意をもって

私に伝えてくれたことに感謝の気持ちしかない。


私はその責務として自身の作品を必ず完成させなければならないと

改めて胸に誓った。


 勿論、感謝するべきは、私に協力してくれていることだけではない。

あの夜、私を助けてくれたことへの感謝が何よりも大きかった。




 彼に下心が全くなかったと言えば、首を縦にすぐ振ることは出来ないが、

私をベットに乗せ床で寝いていた彼の行動は事実。


 そこで私は確信した。彼は善人なのだと。


 元カノとの再会で気が病んでいるのにも関わらず

私の世話をしてくれた紛れのない真実だけで、

私は彼に足を向けて寝ることは出来ないだろう。


 そんな善人の心の隙に付け込んでいるのかもしれない。

それでも足を、手を、止めることは出来ない。





 彼が教えてくれた内容は、

どれも新鮮なものばかりで良い刺激になった。



 樺月君に恋愛に関して散々質問をしてしまった事を

少し反省しなければならない。


彼が許可してくれたとはいえ無粋な質問を多くしてしまったから。



 自分でも色々と調べたり、人に聞いたりもしているが

❝人を好きになる❞って事自体は自分でも何となく理解出来ているつもりだ。


 私だってロボットではない。一人の人間だ。

中学生の時に、気になる人が出来たことがある。


 

 でも想いを伝えようとも、伝えたいとも思ったことはない。

ましてや、その人とどうなりたいと思うことも願うこともなかった。



 好きな人を見ているだけで満足だったし、

その人に彼女が出来た時も

恋をするとはそういうものだろうと客観的に見ていたからだ。



 薄情な女なのかもしれない。

それでも私は恋を書かなければならなかった。



 そんなことよりも

彼の恋愛話に対して「参考にならない」と言ってしまったが

言葉足らずだったと今更ながらに思う。


 正確には参考にだ。


 それは私が知っている恋愛観とは大きくかけ離れていたから。


 浮気をされ、酷い言葉を言われても、

好きという気持ちがどこかに残っているだなんて

普通では考えられない。


しかも、そんな辛い恋愛談を楽し気に話していた。


心の広さ故なのか、愛の深さ故なのか


 映画にも漫画にもなかった。


 体の関係があったわけでも、2ヶ月の付き合った期間に

依存関係があったようにも思えない。


 それでも付き合っていた頃の思い出を

恨み、妬みなく楽しそうに話せる彼が

眩しく思え、それを理解してあげられなかった自分に少し腹が立った。


 自分が知ろうとして、相手が教えてくれようとしてくれているのに、

分からないなんて、不満でしかない。



 よく、失恋というのは胸が裂ける痛みと聞くが

失恋と呼べる程の恋をしたことも、

胸が裂けたこともない自分にはよく分からない。


 結局のところ、

恋の本質について理解できていないままなのだ。



担当編集者にも

 「もっと人の気持ちを汲み取って書いて欲しい」

と頼まれたことがあった記憶が脳裏を過ぎる。


同時にレビューの書き込みにあった


【人の心がない】

【主人公がヒロインと別れる意味が分からない】

【ストーリーは面白いのにもったいない】


 と指摘された文も記憶から湧いて出てきた。


 それを見て悲しいとか怒るなんてことはしない


 高評価も、酷評も、等しく意見として取り入れ次に活かす。


自分にはそんなことで落ち込んでいる時間はないのだから。


 『帰ったらすぐに原稿を上げよう』


 意を決し再び歩き始めた時だった。







 「あのぉー、ちょっといいですかぁ?」


 背中に当たる声、都内の街は人が多い。

声量的には自分の真後ろからだったが、自分ではないだろう。


 私に知り合いと呼べる人間は極端に少ない。



「すみませーん、樺月君のお友達ですかぁ」


「!?」


 振り返ってしまった。

彼の名前を聞いて、話かけられているのは自分だとすぐに悟った。


 長いまつ毛から覗く瞳と目が合う。


ふんわりとかれた髪と柔らかい毛色。

 ボーイッシュな紺色のオーバーオールを着ているが

その紺の生地の上の白いシャツには女の子要素いっぱいの大きな胸が乗っている。


 ファッションに疎い自分でも彼女の自身への手入れと

おしゃれへの余念はわかる程、可愛らしい人だった。



 「私に何か御用ですか?」


 「よかったぁ返事してもらえてぇ。

樺月君と知り合いの人じゃなかったらかーくんに謝らなきゃだもん」



 大きな独り言、この場合相槌を打った方が正しいのだろうか。



 「彼ならまだフタバにいると思います、用があるなら―――」

 「あー、わたし今かーくんと事情が話せないんですよねぇ」



 彼女は下唇に桃色のネイルを施した人差し指を当て、狭い空を見上げた。

急に話かけられたこともあってどう反応したらいいのか解らない。



 「あ、すみません!かーくんって柴崎樺月君の事です。

私ったらあだ名で呼ぶのが抜けなくってぇ」


 「そうですか、樺月君をどう呼ぶのも個人の自由だと思います。

それで、ご用件は」



 私に話しかけてきた目的を知りたいのに話をはぐらかされている気がした為、

再度念を押すように訊ねた。



 「なんか怒ってません?もしかして

あだ名で彼を呼んでるの気に障っちゃいましたかぁ?

確かにこんな美人さんな彼女いる男の子にあだ名呼びはまずいかぁ」


 「いえ、樺月君の呼び方は個人間こじんかんで決める事ですから。

それに私は美人でも彼の彼氏ではありません」



 事実無根だ。彼女は私より背が低く上目使いで

小動物がすり寄るように愛らしく聞いてくるが、

こちらの質問には一切答えてくれない。



 「そうなんだぁ、彼女さんではないんだぁ」



 意味深に言葉を口に出して確かめてから


「飲み会の時二人で仲良さそうにしてたから、

てっきりもう出来てるのかと思ったぁ」


 「飲み会の時・・・」



 思い出した。

飲み会の日、襖の向こう側で見かけた女性。



「偶然ですね。またお会いするなんて」


「ねーホント偶然!実は旭川さんと私、運命の糸で繋がってたりしてぇ」


「私、名前はまだ名乗っていなかったと思いますが・・・」



 こちらの指摘に一瞬バツが悪そうに表情を曇らせたが、

一瞬で快晴の笑顔に戻った。



 「あ、そうだった!そうだった!蒼汰君に聞いたの。

飲み会のことも、今日二人がここに居るっていうのも」


 『蒼汰・・・』


 思考をめぐるとすぐに回答を見つけた。



「飲み会で一緒にいた男性、樺月君の友達と聞いていたけれど」


「蒼汰君は樺月君と私の共通の友達なんですよぉ

あっ!それでぇ、用事でしたよね?」


 こちらの警戒し胸前に寄せた拳をパッと掴んできた彼女は、

そのまま握ったいた拳に何かをねじ込んでくる。



「これは?」



 ゆっくりと拳を解くと、

中にはキーチェーンに繋がれた緋色の水晶が入っていた。


 残照を浴び、その色と水晶の光を強くしている。



「そのキーホルダー、かーくんに渡してほしいですけどぉ」


「なぜ、私に・・・」


「貰ったんだけどぉ、いらないっていうかぁ、大事そうに渡されたものだから

捨てるに捨てれなくてぇ・・・

お友達の旭川さんから何にも言わず渡してくれれば、

あんな彼も馬鹿ではないと思うので

察してくれると思うんですけど」



「そんなの困ります。ご自分で渡してください」



 終始にこやかにふわふわとした口調で話してくれているが、

なんだか彼女とは気が合わない気がする。

蜘蛛の糸が肌に触れているような理由のない嫌悪感が背筋に走っていた。


 所々、彼を軽んじる言動がみられる。

彼から貰ったと言っていたが前の彼女だろうか。


 とも思ったが気の迷いだ。

樺月君が話していた元の彼女は浮気こそあったが

誰にでも優しく、人当たりの良い女性だったと聞いている。


 得体のしれない不安感も彼女への嫌悪を煽り、

持たされた小物を突き出し返品した。


 だが、クスっと笑っただけで受け取ろうとはせず、

後ろに手を組んだまま数歩下がっていく。



 「お願いはしましたから、必ず返してくださいね!

また近々会ると思うのでその時に改めてお礼を言わせてくださいっ」



 そういって前を向き、スタスタと夕暮れの町に逃げいってしまった。



 追いかけようと足を一歩踏み出す頃には既に姿はなく、

手の平で小さく転がる緋色の水晶の美しさに、

気を取られるしかなかった。

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