第44話 砂と嘘 ①

 「じゃあそのまま海の家に向かって樺月君と交代しちゃってー」



 駐車場から砂浜に手を振る彩愛先輩に対し

旭川奈桜は軽く手を上げ別れ、白い砂の上を踏み歩き始めていた。


 上からも下からも彼方からさえ照らされる光の中で、

麦わら帽子を車に置いてきたことを後悔しながら。


 視界の先に小さく見える海の家。


 平坦な道路なら肩を落とすような距離ではない。



 「はぁ・・・」



 この炎天下に加え、熱砂に足が取られる道の悪さでは

ため息のひとつも出てしまう。



 『運動不足かな・・・やっぱり』



 奈桜は筋肉の起伏のない自身の太股に手を当てると

海の家に着いたら水筒の冷たい水を飲もうと決めた。


 そして揺れ輝く水面を眺めると、

海の家に置いてきたイルカの存在を憂い、歩幅が少しだけ大きくなるのであった。






 最初に浜辺に来た時よりも陽は高く昇り、ジリジリと腕を焼かれる。


 人もドッと溢れ、賑わいはピークに達していた。

 

 砂浜にシートを敷いて寝ている人。

潮風に踊らされるボールに翻弄され、はしゃぐ人々。

潮の満ち引きを楽しむ子供達、海の中でいくつも揺れる半身。


 誰も皆楽しそうで、その光景になぜだか少し嬉しくなる。


 人の楽しそうにしている声は、胸の奥にスゥと風が吹き抜けるようだ。

耳の横を駆けていく潮風も相まってか、とても心地よい。

 


 先輩は買い足した食材が持参した保冷ボックスでは入りきらない為、

車で待機することになった。


 なんでもマリンサークルが保有している大きな保冷ボックスに

入れてくれることになったらしく、

そのボックスを直接車の所までわざわざ持ってきてくれるらしい。


 その為、彼女とは別行動。

自分は荷物番交代の為、一人海の家を目指し歩いていた。


 ビーチサンダルと指の間に入り込んでくる白い砂は、

最初こそ不満だったが、砂岡に一度、くるぶしまで入れてしまえば

もうあとはどうにでもなれといった具合で気にならない。


 『恋愛経験・・・』


歩きながら先輩が車内で話していた言葉を頭の中で唱える。


 それは ❝恋愛経験豊富な人間から話が聞ける❞という話の事。

今日この海に来たもう一つの理由。

 

 

当初、「海に行こう」と先輩に誘われた時は行くのを躊躇ためらった。


 海自体は嫌いではない。むしろ好きな方だ。

 

 しかし、あの人と一緒に行くとなると必ずアクシデントや

トラブルに見舞われる。


 トラブルやハプニングは自分にとっては苦手だ。


その為、お誘いに「はい」と二つ返事することは出来なかった。


 彼女の行き当たりばったりなこうずな性格のせいで

何度大変な目にあったか数えきれない。


 それが今回、海、それも遠出と言われれば身構えるのは当然だ。


 しかし、恋愛経験が豊富な人間も来る、加えて話が出来ると聞き、

小説の参考になると固い首を縦に振ったのだった。


 彩愛先輩もその人物と面識はないようだが

マリン部のサークルの誰もが顔を揃えてうたう程の人物らしい。


『最強・・・』


 言葉の意味は分からずとも、

そういった人物なら恋のいろを学ぶことも出来るだろう。


 それにそれほどの人物に相まみえる機会はそうない。


 どんな人かは分からないが、

恋愛に事関しては、良くも悪くも参考になると確信し、今日ここに足を運んでいた。


 話によると、その人物は今現在、

樺月君と一緒に荷物番をしているらしい。


 なんでも荷物番が彼に決まった時、立候補したという。



 『どんな人だろう・・・』



 そんなぼんやりとした記憶を額の上で辿る。


 自分は人の顔や名前を覚えるのが得意ではない。


 マリン部の人達の顔を思い出しては見たが皆目見当もつかない。

ただ細かくは気さくそうな人物ばかりだった気がする。


 自分は買い出し係と決まり、鍵を渡されすぐにその場を離れてしまった。


その為、荷物番の取決めには立ち合えておらず、

誰が立候補したのかも分からず仕舞しまいだ。 



 『わざわざ立候補するって・・・女の人かな』



 不本意に飛び出した疑念。

特に深く考える訳でもなく、ポッと出た疑問は波の音と共に

泡となって消えて行った。


 「―――さん・・・」


 「恩返し・・・か」



 不確かな記憶巡りを一旦やめ、

今度は彩愛先輩が話していた彼への恩返しについて考えることにした。


 先輩の❝一日彼氏として接する❞という案だが、

それがどうしたら恩返しになるのだろう。


 樺月君は過去の恋愛に対して吹っ切れと言っていた。


 つまりそれは吹っ切れられてということであり、

 願望であり欲求だ。


 自分は彼の失恋から立ち直るまでの恋路をココアで買収した立場であり、

彼の恋愛にとやかく言う気はない。


 しかし一人の恩人、

友達として何か力になりたいと思う自分がいるのも事実。



 「・・・はぁ」



 暑さのせいか考えがまとまらない。



「おねーさんッ!!」


「ッ!?」


 突然の大声と共に男性が、視界の端から半身を乗り出して入ってきた。


たまらず足と息が急停止、首もすくんでしまった。


 声の主は、金髪の長髪を額の真ん中に分け、

よく焼けた褐色の成人男性。


 どうやら呼びかけられていたらしい。 


 こちらの驚いた反応が面白かったのか

白い歯をぎらりと光らせ、正面に立ってきた。



「おねーさん一人?焼けてない感じ。

今年海初めてっしょ?地元民のみぞ知る、

人の来ないおススメの穴場スポットあるんだけど

と一緒にこない?」



 『・・・マリンサークルの誰かかな』


一瞬考える、だがすぐに違う分かった。


 男性はと言った。

それにマリンサークルなら今頃ダイビングに興じているだろう。


 そして俺達という言葉尻が引っ掛かり、

他にも誰かいるのかと辺りを見渡すと、

背後にもう一人立っていた。



「うっわめっちゃ美人じゃん、タカシお前ハードル高すぎるって」


 「いやマジこんな色っぽい人、声かけない方が犯罪っしょ。

水着じゃないのにフェロモン出すぎだわぁ」


 「だってさ!つーわけで俺達犯罪者になりたくないけど

罪な男だからさ、良かったら一緒にどう?」



 前後に板挟みになるような位置。


 言っている言葉の意味が良く分からないが

見知らぬ人間にほいほいと付いていく気はない。


 汗を帯びる横髪が邪魔で耳の後ろに掛け直した。



 「人を待たせていますので結構です。失礼します」



 正面の男の横を通り抜けようと再び足を前に運ぶ。



 「ちょっとまって!もし

友達待たせてるっていうんだったら

一緒でもいいからさぁ。ね?ね!?」


 男の大きな足が立ちふさがりこちらのつま先に砂が掛かった。

 


  「友達・・・」


  「そうそう!ほら楽しむなら皆一緒の方がいいんじゃん?」



 男はここぞとばかりに、思わず漏れたこちらの言葉に噛みついてくる。


 こういった手合いは初めてではない。

相手方に悪気はないのだろうけれど、先を急ぐ身としては今は遠慮願いたくなった。



 「・・・申し訳ないけれど、

彼氏を待たせているので、ごめんなさい」



 声が波にさらわれないよう出来るだけ大きな声ではっきりと告げた。


 そしてそれ以上の言葉を待たず、胸を張って男を横切る。



 『他に断り方・・・あったよね』



 どうしてそんな風に嘘をついたのか自分でも分からなかった。


 話すのが煩わしかったのか。

 暑さのせいか気の迷いなのか。

 

 だがそれ以上何か話しかけられる事も、

追いかけられる事もなかった為、

それ以上考えることを辞めて歩くことにした。



 「彼氏・・・か・・・」


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