第29話 黄昏の姫君

 「次の方どうぞ。あ、女性から先にお願いします」



 パークスタッフの案内で、

落ち着きを装いながらも足早に中に入り込む。


 テーマパーク最大の目玉、大観覧車に乗り込んでいた。



 飲食の後、

彼女も何か勢いがついたのか

それとも自分が「最後まで付き合う」と言ったせいなのか、

「次はここ」と無表情ながらも優しい声に振り回され、

 陽がビルの後ろに隠れ薄暗くなる頃には、

アトラクションを全て制覇してしまっていた。






 ゴンドラの中は一瞬だけ花のようないい香りがした。

旭川の後にすぐ続いて入った為だろう。


『香水でもつけてるのかな』



 だが気持ちが安らいだもの一瞬。

すぐに外と同じ磯臭い海の匂いが出迎えてくる。



 「よっこらしょっと」



 座った彼女の向いに声を出しながら座る。


 今日は一日彼女の隣か、真向いにしか座っていない。


 二人っきりできているのだから、

当たり前といえば当たり前だが

どうにも不思議な感じだ。


 絶対に手が届くはずがない星が目の前に落ちてきて、

触れるような距離に当たり前にあるような、

そんな感じ。


 そう感じたのは、

海の水面みなもに反射した夕日が下から照り付け、

少し日に焼けたように見える彼女の儚さに気付かされた故なのかもしれない。



 「なんだか出荷されてる気分だわ」


 「何処にだよ・・・」



 眼下を見つめる旭川に、

歩き疲れた足を庇いながらため息交じりにツッコむ。


 少しずつ上昇していく箱の中、

景色を楽しもうにも、観覧車中央の骨組みだらけの構造が目に入ってしまう。


 工場の中で出荷待ちのとでも言いたいのだろう。



「どうだった?」



 旭川は窓の外を見ながら訊ねる。



 「あぁ、さっきのメリーゴーランドみたいなやつ?

めっちゃ酔うなあれ。子供の時以来だよ」



 旭川はアトラクション一つ一つ終わるたびに

「どうだった?」と必ず聞いてくる。


 そして


 「そう」と必ず答え、メモに走り書きをするだけだ。



 「そうじゃなくて」


 「え?」



 今回は二文字の返答じゃなかった。



 「私と一日遊んでみてどうだった?」



 真剣な表情で一点にこちらを見つめる。


 ゴンドラが昇り、彼女の黒髪を沈みゆく夕日が

その逆光で黒曜石のように光らせた。



「たのしかった・・・

仕事の助手のつもりで来たけど気付いたら楽しんでたな

いいな、こういうの」


 本音だ。


 もっと具体的に言葉を付け加えるべきだったかもしれない。


 そう出来なかったのは、

小さくもふわりと柔らかな笑顔をこちらに向けてきたからだ。



そして



「そう」



 とだけ彼女はいつものように返事をした。

いつもとは違う柔らかな表情で。



『もっと鉄仮面みたいに表情を一切崩さないタイプの人間だと思ってた』



 今日は二回も笑った顔を見ている自分はラッキーな奴なのかもしれない。

星にちなんで流れ星に祈るようにお願いでもするべきかだろうか。


そんな悪だくみを他所に彼女は続けた。



「本当はね、夜まで待ってライトアップされた観覧車に乗って

街のあかりを見下ろすつもりだった」



 今乗っている観覧車は都内でも有名なデートスポット。


 若者の間でも「友達と乗り、恋人と降りる」

なんて言われる程、告白の名所であり、

パーク側も「夜しか見られない幻想のひと時」と

うたい文句にするほど、

ロマンティックの塊のような場所。


 順番に並んでいる時も大半が男女の二人組だった。



 「つもりだったって気が変わったってこと?」


 「ええ」


 「理由を聞いても?」


 「・・・そういうのは恋人と見るべきかもって思ったの」



間を開けて放つ言葉に心がすくんで何も言えなかった。


その竦みは、

彼女に「貴方と一緒に見るべきではない」と否定されたように感じたからなのか、

ゴンドラが鈍い金属音を上げながら登っていくことへの不安感からかなのか、

眼下のおもちゃのような小さな車達の中に答えを探しても見つからない。



「私も楽しかった。遊園地に来たのは子供の時以来、

祖父と行ったのが最後だったから。

散々付き合ってもらってしまった上に

幻想的って言われてる夜景の席まで私が奪ってしまうのは違うもの」


どうやらちょっとした勘違いだったらしい。


 彼女は気を使って早めに観覧車に乗ったのだ。

幻想的で魅力的な景色になる前の、この時間に。



 「俺が恋人が出来た時の為に初めての感動を取っておいたってこと?

別にいいのに、観覧車なんて誰といつ乗っても一緒だろ」



 旭川は一瞬目を大きくしハッとし固まってしまった。


 同時に自分が失言したことに気付く。


「あ、いや!違う!❝俺にとっては❞ってこと!

俺は今後の人生で誰かと乗る事すらあるかも分からないし。

旭川が思ってるほどロマンチストじゃないっていうか・・・」


 自分でも意味の分からない身振り手振りで言い訳をし、

ゴンドラが少し揺れた。


「ふふっ」


 こちらの必死さを度外視するように彼女はまた小さく笑った。

しかも今度は声も聞こえるくらいのリアクション。


 声まで聞こえたのは、きっと高い所まで登った箱の周りの雑音が、

何も聞こえなくなったおかげだろう。



 「なんてうか、樺月君らしいね」



 手振りが止まり今度は自分が固まってしまった。

理由も分からず顔が熱を帯びるのを感じる。


 気付けば前にも後ろにも鉄骨もゴンドラも見えない

観覧車の頂点に位置し始めていた。



 何者も彼女に影を作らず、海と空の黄昏を全身に浴びる彼女。


 ≪夜しか見られない幻想のひと時≫

のパークのフレーズが頭をよぎる。





 『嘘つきだな』





 楽しませてくれた遊園地と

 と言った彼女に

心の中で嘘つき呼ばわりした。



 見惚れてしまった。



 それはきっと≪好き≫という気持ちとは別ものだろう。


 澄み切った海を一人眺めたり

夏の空一面に綿菓子のような入道雲を見上げ、息を飲むような、

美術的な≪美しさ≫に見惚れる、そんな感覚。




 「今日一日付き合ってくれて、本当にありがとう」


 「なんだよ改まって」



 互いの表情と姿勢は、観覧車ここに乗り始めた時のように戻る。



 「何か御礼がしたいのだけど、希望はある?」


 「何かと思ったら・・・別にいいよ、そういうの」


 しっし、と手を払って断るが、彼女は首を小さく傾げ

こちらの希望を所望したまま全く喋らない。


 見返りを求めてきたわけでもないし、

自分も十分に楽しかった。

黄昏の彼女を拝ませてくれただけでお釣りが出る程だ。


 だが彼女は、律義さに頑固のおまけつき。


「いらない」で「そう」とは言ってくれないだろう。


 

 「はぁ。・・・なんでもいいのか?」


 「スケベなのは無理だけど」

 

 「頼まねぇよ!!そんな事ッ!」



 旭川の口から❝スケベ❞と言わせるだけでも、背徳感が凄まじい。



 「じゃあ、一個だけ」



 黙って言葉の続きを待つ旭川。



「この前言っていた、

≪私には時間がない≫ってどういう意味か教えてくれないか?」



 。それは彼女とコーヒーショップで

話をしたときに本人が言っていた言葉。


 気になっていても聞かなかった言葉だった。



旭川はこちらの質問に対して一瞬顔を曇らせ、目元を伏せた。


 だがすぐにこちらを見つめ直す。

普段よりもはっきりとくっきりと。



「・・・わかった」



  生唾を飲む音を皮切りに、

 観覧車はゆっくりと降り始める。


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