第55話 海の家と酒と夜 (前編)

「それでは最後に、今夜はマリン部とスポーツ愛好会の交流を祝して」



《カンパーイッ!!》


 満員御礼の海の家。

あまどいに飾られた電飾と蛍光灯が目を覚まし、

それらは店全体を夜から遠ざける。


 その明かりに呼応するかのうに、

若者達の囂々ごうごうとした声が夕空に響いていた。


 昼日中ひるひなか、これでもかと照り付けていた太陽は、

海の向こうへ眠りにつき、

朱く焼きつけられた空も、紺色こんいろへと冷め始めていた。


 そして赤く焼きつけられた男がもう一人。―――



「片方だけ頬っぺた真っ赤だけど、どうしたの?」


「日焼けっす・・・」


「へぇ!変な焼け方ぁ」


「うっす」



 マリン部の女性が、向かいの席からこちらに声をかけてくる。


 くっきりと頬に残ったもみじ形の赤アザ。

 

 日焼けで所々赤くなっているため、なんとか誤魔化せるが、

家族や知人に見られでもしたらすぐにバレて、大笑いされるだろう。


 事実、彩愛先輩には頬見られた瞬間、

彼女はニヤリと意味深な表情を見せ、面白おかしく逃げられた。



 「もう片方も焼いてあげるけど?」



 隣の席から刺すような言葉の針を飛ばす旭川。

冗談ではないのだろう。


 小声で「勘弁してください」と謝るもそっぽを向かれる。

旭川は怒り心頭だ。



 彼女に服を脱ぐよう頼んだのは大失敗だった。


 以来まとも目も合わせてくれない。

せっかく仲直り出来たというのに、お昼に怒らせた時に逆戻り。


 そもそも彼女を辱めるつもりも、

怒らせるつもりはなかった。


 彼女の水着姿を見てみたいと、

純粋無垢な下心で願っただけだ。


 旭川は昼間、一人海辺でイルカのビニールフロートと共に

海水に腰元まで浸かっていた。


 その為、服の中は濡れても平気な水着を着ていると確証付けた上で、

«水着»というワードで身構えられることなく、

自然とその姿を拝む方法として«脱いで»と丁重に頼んだのだ。



 だが願望とは相対した。


 言葉足らずの配慮足らず。


 その結果がこのほっぺの赤椛あかもみじだ。


 彼女の軽蔑の眼差しと共に、平手は素早く熱砂を薙ぎ、

岩礁を打つ波よりも強く、頬を打った。


 

 そして足早に去っていく旭川の背を見ながら、

自分はなんて口下手なのだと自責の念に駆られ、

ずるずると自責の念を背負ったまま、飲みの席に参加している。



 「えー二人とも全然喋らないじゃん。もしかして喧嘩中?

旭川さんってクールに見えて、彼氏には感情むき出しなタイプ?」


「えー?」とマリン部の他の女性も長机に身を乗り出す。


 この手の恋愛話は女性陣にとって恰好の酒のつまみ。


 女性達は一方的に盛り上がる。



「奈桜ちゃんだっけ?タイプの男子とかいないの?」



 すかさず横から割って入るマリン部男衆。


 それぞれの会話の方向ベクトルは、

席から席へと自由に人を飛び越える。



 『彼氏設定中の男の横で聞く質問かっ!

せめてこういう男がタイプなんだぁって察するだろ!!』



 彼氏気取りの視線を飛ばすも、

男は全く気にする様子はない。


 彩愛先輩の妙な気回しのせいで、

旭川と自分は付き合ってる設定は今だ継続中。


 飲みの席で勝手に隣同士にされたのもそのせいだ。


 おかげで七瀬瑠璃音とは遠くの席になったのは、

不幸中の幸いであるのだが、



「旭川と隣になるのはこれはこれできまずい・・・」


 

行き場のない手は、机に並べられた野菜ステックを掴む。



 「てか奈桜ちゃんもマリン部入りなよ。

俺らが手取足取りおしえてあげっからさ」


 「山田そういうのマジきもいからやめなー」


 「いや俺は奈桜ちゃんの

セカンドパートナーに立候補中だから」


 本人そっちのけで盛り上がるマリン部の男女。

正直こういった面々、いわゆる陽キャと呼ばれる人たちの

デリカシーにかける会話は苦手だ。


 だが、遠くの席で飲んでいる彩愛先輩の顔は立てるべきだし、

蒼汰もこちらの会話そっちのけでマリン部と意気投合し、飲み踊っている。



『ここは空気を読んで、

それとなく笑ってこの場をやりすごそう。

本当に付き合ってるわけでもないし怒れる立場じゃない』



 隣に座る旭川も、特に周りを気にする様子もない。

いつもと変わらず、気難しい顔でジョッキを見つめていた。



 「ビールの泡に、小説に関するヒントでもあったのか?」


 「別に、そういうわけじゃないわ」


  歯切れの悪い回答。



「まだ怒ってる・・・よな?」


「樺月君がそういう人間だって今に知ったワケじゃないし、別にいいわよ」


「否定できない分、刺さる・・・」



 渇いた喉に唾も通らない。


慣れない飲み会と、隣で怒る旭川が理由だろうか。


 残りのビールの飲み干し、渇きの理由を探す。


ビールは全員に配られ、乾杯と同時にほとんどの人間は一気に飲み干し、

おかわり待ちの状態。


 だが、旭川のジョッキは小金色が満タンだった。



 『合コンの時は割と飲んでたと思ったけど、

今日はあんまり飲まないのか』



 「奈桜ちゃんだっけ?全然飲んでなくなーい?」



 知らない男に心でも読まれたのか、と思うほど疑問のタイミングが合った。



 「つか俺ら、結構飲むからさ、奈桜ちゃんもどんどん飲まないと

俺らのテンションについていけないよ?」


『いや、なんで旭川が初対面の人間についていかないといけないんだよッ』



 思うも言葉には出さない。


 『旭川本人に声をかけられているのに、

彼氏役が大衆の前でしゃしゃり出るのは、場の空気を悪くするもんな』


 旭川はその問いに対し、珍しく周囲の目を気にする様子で、

席に目配せをする。



 「そうね・・・みんな飲んでいるんだものね」


 

 汗のかいたジョッキにリップの付いた唇を重ね、

注がれていたビールを一気に飲み干した。


 同時に男達の歓喜の声が上がる。


 「めっちゃ飲みっぷりいいね、奈桜ちゃん!

その調子でどんどん飲もうぜ」


 どこからともなく、バケツリレーで泡があふれたジョッキが運ばれる。



「おっしゃ俺達もガンガン飲もうっ!」


「しゃぁあ!!」



 気づけは周りは、飲みたい若人わこうどの輪が出来ていた。



 「ほらほら、旭川さんも、柴崎君も飲んで飲んで!」



 また一人、マリン部の女子が声を張る。


 旭川は「え、ええ」と困惑の色を浮かべながらも答えるが、

目じりを下げたまま、ジョッキを持った腕が上がらない。



 周りの「さぁさぁ」と悪意のない陽気な空気が、

彼女をまくしたて始めた。



 『よくあるってやつだけど・・・』



 そのノリにすぐ耐えられなくなったのは、

他でもなく自分だった。



 隣で小さくなっていく旭川のジョッキを、

熊が鮭でも獲るかのように勢いよく取り上げ、

誰にも有無を言わさず、

ビールを胃袋に一気に流し込んだ。



 一同に固まる空気。



『ここで恥ずかしさに心折れては、余計に恥かしくて死にたくなる』



 恥じらいを払拭するように自分を鼓舞し、声に変えた。



「くぅうううう!!美味すぎるッ!キンッキンに冷えてやがるっ!!」



 わざとらしく目をつぶれる程閉じてイキな演出。


 本当は周囲の反応を直視できずの苦し紛れの行動だが、

なりふり構ってはいられない。


 CM会社の広告にでも使って欲しい程のオーバーリアクションを

お見舞いしてやった。



 だが静かな空気はそのまま。


沈黙に耐えかねた女子が平然と訊ねてきた。



「え?なんで旭川さんのビール飲んでるの?」


「いやー喉乾いちゃって・・・つい」


「自分のグラス・・・まだ結構入ってるっぽいけど・・・」


「そおいッ!」



 間髪入れずに自分に注がれていたビールも一気飲み。



「いやぁ俺のジョッキも空っぽで、おかわり待てなかったんすよねぇ」


「あーなるほどね!それならそう言ってよぉ」



 周囲の緊張が一気に溶け、和んだ空気がどわっと戻る。


そしてマリン部は「生をやっつお願いしまーす」と店員に声をかけ、

再び談笑の波に飲まれ始めた。



 『この長机の席、全員おかわりかよ!恐るべきパリピサークル!

てか八つって、その中に俺と旭川を含まれてるじゃねーか!』



動揺もつかの間、慣れた手つきであっという間にジョッキが運ばれてくる。


旭川は「ありがとうございます」と礼をしつつも口を付けない。



『やっぱり飲まないな』



 ビールを奪ったときに確信したが、

旭川は少なくともビールが好きじゃない。


 飲む人間なら乾杯と同時に半分くらいは飲むし、

もし好きなら、自分にビールを奪われた段階で文句の一つも言うはずだ。


 好きで飲むのと、飲まされるのとではまるで意味が違ってくる。


 加えて旭川は周りに合わせて飲んでいる。

自分と同じく空気を読んでいるのだろう。


 そんな彼女を黙って見てはいられない。


 『折角海に来てくれたんだ。

今日という日を最後は楽しい思い出で締めくくってあげたい』



 手元に運ばれてきたビールをすかさず一気に飲み干し、

周りに悟られないよう密やかに旭川の満タンのジョッキと交換する。



「あれぇ?彼女さん飲んでるのにー彼氏さんどしたぁ?」



 打ち上げ開始早々に、酔っ払い女子が出来上がっている。



『良くも悪くも美人は人の目を集めるな』



 旭川の存在は大きい。


 彼女はほとんど話さずとも、

会話の輪から外れることはなかった。


 

『俺のも空にしないと注目される時間が増える。

そうなると旭川のジョッキと交換しずらい、俺も一緒に飲まないとだめか!』



«ゴクリ»



 ビールのコクが喉を通るのが気持ちいのは最初の一杯目だけ、

実は自分もアルコール飲料は得意な方ではない。


「う、うっぷ」


「今日は無礼講だからじゃんじゃん飲もう、

安心して!飲み代はマリン部が全部持つから!」



陽気な酒の波は、瞬く間に旭川を巻き込んだ。






♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣♣


こんにちはかのえです。

今週もお読み頂きありがとうございます。


コメントとかもらえると

「へへっ」

てニヤニヤしますので


どうかよろしくお願います。

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サザンクロスの花束を かのえらな @ranaeru

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