第10話 微熱の冷罵



 「ちゃんと別れ話をして終わったんだよ。

言ったよね。別れたからって全く話さないとかになっちゃうと

人間関係の事とか、共通の友達に気を遣わせるって。

だから私は話かけてるんだよ、かーくんのにね。」



 垂れた前髪から、冷たい氷のような目がこちらに滑る。

聞こえてくる蒼汰達の笑い声が、遠くの出来事のように感じるほど

重い雰囲気が、廊下一面に張り詰め始めていた。



 「ていうかさ、かーくんって言っても分からないところあるよねぇ。

分かるように話したつもりだったんだけどなぁ。

 会うたび私のことジロジロ見てくるし、

友達にだって“見られてるよ”って言われたら放っておけないじゃん。

・・・それを今度は勘違いされてもさぁ。なんていうか、要領悪いよね。」



 邂逅かいこうしたときの天使のような彼女の姿はすでになく、

解氷かいひょうすることのない氷の女王のような姿。


 凍てつくような冷たい言葉に、

足元から氷結し震えてしまいそうだ。



 「変な勘違いしてた、ごめん。

俺の友達にまで気を使ってもらって、別れた後でも迷惑かけて

恥ずかしい奴だよね。・・・

でも、それでも真剣に考えてたんだ。

どうしたら良かったのか。」



氷点下の中、白い息を吐くかのように声に出した。


 あれだけ話したくて、言いたかったことが沢山あったのに、

振り絞った言葉が、後悔と彼女の気遣いへの謝罪だなんて。

みじめめさと悔しさで涙が出そうになった。



 「謝られたって、付き合ったりしないよ?。

私はもう、かーくんのじゃないんだよ、

そんなの聞いても意味ないよ。」



「付き合いたくて謝りたい訳じゃないよ。

それに、所有物なんて思ったこと一度もないよ。」



「じゃあ何が目的なの?」


「目的か・・

結局は、自己満足なのかもしれないな。

お前はこれがダメでフラれたんだぞ青二才って。

君を諦める決意に理由が欲しいだけなんだ。

 ただの自己満足。

そんな自己満足に最後まで付き合って欲しいって思ってるダメ男だ。」



震える声で開き直った。でも嘘は一つも言っていない。



 「理由って・・・

他に好きな男が出来たって言ったよね。何回も言わせないでよ。

かーくんより優しくて、私のことドキドキさせてくれる人が現れたの。

その人が、私と付き合いたいって言ってくれたから、いいかなぁってなっただけ」


 片腕でおなかを抱きながら、

もう片方を肘でおさえ、だるそうにケータイを操作する瑠璃音。


 「でも。それって俺に悪いところがあって、

“魔が差してほかの男”にタイミングよく気が合ってってことでしょ?

それなら直さなきゃいけないとこもあ―――」

「瑠璃ぃー!!」


 背後から瑠璃音を呼ぶ声、

振り返れば瑠璃音とよく一緒にいる女子大学生の姿。


 廊下の遠くのほうから半身だけ部屋から身を投げてこちらを呼んでいる。



 「ごめーん!いまいくぅ」



 先程までの冷たい悪魔のような姿はなかった。

消えた電球に光がパッとついたかのように一瞬にして切り替わり、

普段見るようなふわふわの愛玩動物の姿に戻っていた。


 

 「と、友達と来てたんだ・・・」

 

 「そうだよぉ駅近いし、女4人で女子会だよぉ」



 女子だけで来てると聞いて、

なんだかホッとしてしまった自分に腹立った。



 「かーくんはぁ?」


 「俺は、友達のサークルの付き合いで・・・」

 


 飲み会という名の合コンなどと言えず、嘘をついた。



 「そうなんだぁ。ちなみにどの部屋なのぉ?」


 「一番壁際の席だよ。」



 廊下の一番向こうを指さすと、彼女もそれを目で確認する。



「そっかぁ、ていうかサークル入ったんだぁ。

今度私にも紹介してねぇ、じゃあ行くね!ばいばいっ」



 間髪いれずに小さな手を細かく振っては去っていった。



 だが数歩進んだところでくるりと回り、すぐに引き返してくる。



 「瑠璃音ちゃん?」



 そしてそのまま『抱きかれるのではないか』、

というほどの距離まで何も言わずに詰めて来る。


 彼女の滑らかな肩が自分の顎に触れ、硬直した肺に彼女の胸が当たった。


 何事なにごとかと、聞く間も許さずスッと伸びた鼻先が耳に当たり、

蒸れた息と共に、赤子をあやすようにささやいた。


「本当にごめんねぇ。かーくんはぁ、なーにも悪くないよぉ。

悪いのは全部わたし。だから全部わたしのせいにしていいんだよぉ。

溜まった不満をいっーぱい外に出して、早くスッキリして楽になってね。」


 そうことと甘い香水の匂いを残し、彼女は再び去っていった。





 「まあたナンパされたんかーこの牛ちち娘がぁ」

 「ちょっとぉやめてよぉ」



 彼女達の声が個室に消えるまで足を動かすことはできず、

その場に立ち尽くすのが精一杯だった。





「“魔が差して他の男”ってなんだよ・・・馬鹿だ、俺は」




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