epilogue

第46話 きみに隣にいてほしい。


 ショッピングモールの入り口に、見上げるほどの大きなクリスマスツリーが飾られていた。

 今時らしい洗練されたデザインで、きらびやかに飾りつけられ、電飾もキラキラと輝いていて、なかなかに壮観である。

 行き交う親子連れやカップルたちの視線を集め、ときおり、スマホで撮影している人もいる。

 茜音も、そんな人々の一人となって、ツリーを見上げながら、理人のことを待っていた。

 めでたくこのたび高卒認定試験に合格したので、このショッピングモールのスーパーで、理人とふたりで一緒に食材を買い、彼のマンションで焼肉をするつもりだった。

 ホットプレートを持っているの、と尋ねると、俊一が置いていってくれたものがある、と理人は請け合った。

 時計を見た。

 五時十分すぎ。……理人との待ち合わせは、五時半だったから、かなり早く来すぎてしまった。

 どうしようかな、と思ったけれど、このきれいなツリーを眺めているだけで、楽しい気分になる。このまま、ここで待つことにした。

 理人、早く来ないかな。……

 そうやって、理人を待っている間に。

 茜音は、このツリーの下に、もうひとり、さきほどからずっと、この場所に佇んでいる人物がいることに気づいた。

 最初、女性に見間違えたほど小柄で、華奢な印象の若い男性だった。年齢なら、二十二、三歳だろうか。

 アイボリーのオーバーに、あざやかなオレンジ色のマフラー、茶色がかった髪に、くしゃっとしたニュアンスのパーマがかかっているヘアスタイルをしているのだが、その服装の配色といい、髪型といい、全体的に、一般とはかけ離れた高度なレベルで洗練されている容姿をしていた。

 ──わあ、なんか、きれいなひと。芸能人みたいじゃん。

 茜音は、つい見とれてしまったのだが。

 彼を見ていた茜音の視線が、やや不躾だったのか、その男性も茜音の存在に気づいた。

 そして、しばらく茜音のことをじっと見つめたあと──ふわりと笑顔になった。

 え? 俺、笑いかけてもらった……のかな?

 それから、彼は、すたすたと歩いて、茜音のそばにやってきた。

「こんにちは、はじめまして」

 彼は、にっこりと挨拶してきた。

 近くでよく見ると、大きくてつぶらな瞳が、愛くるしい小動物を連想させるような、かわいらしい雰囲気のひとだな、と思った。

「あ、……あの、はい、こんにちは」

 茜音はどぎまぎして、思わず、自分の後ろをふりかえった。……もしかしたら、自分の後ろに誰かがいて、そのひとに、この彼が話しかけたのかも、と思ったほどだったからだ。

 だが、後ろには、誰もいない。

 彼は、確かに自分に声をかけたのだ。

「あの……こんなことを、とつぜん、初対面の僕が話しかけると、きっとびっくりなさると思うのですが、すこし、聞いていただけますか?」

 その彼は、とても丁寧な口調で話しかけてきた。

 人好きのする、あたたかい笑顔とともに。

「あ、えっと。……はい、どうぞ」

 なんだ、なんだ? 羽毛布団でも売りつけられちゃうのかな?

「ありがとうございます。……それでは、これから、きっとびっくりなさるようなことを、申し上げると思うのですが、どうか、落ち着いていてくださいね」

 ──その話しぶりを耳にして、思った。

 このひと、見た目よりも、ずっと大人のひとだ。二十二、三歳、とかじゃない。

「はい」

「ナナさん──ええと、ナナさん、の命日……ですよね、今日」

 彼が母の名前を口にしたとき。

 心臓が止まるかと思った。

「え? あ、あの……」

 そのとき、自分の感情とは、まったくかけ離れたところで、自分の目から、勝手に涙がでたことにも、驚かされた。

「あなたの、ご親戚とか……ご家族の方に、ナナさんというお名前の女性の方がいらっしゃるでしょう?」

「あ、あ、あの……はい」

 びっくりしすぎて、まともな受け答えができない。

「ごめんなさい、また、びっくりさせてしまうけれど、ナナさんは──」

 そういうと、彼は、指を使って、何かの紋様を空中に描いた。まじないか、何か、なのか。

「……あなたのお母様、ですね?」

 うなずくよりほか、なかった。

 そのとおり、だったからだ。

 今日は、茜音の母、柏木菜々の命日、なのだ。……

「とても若くて、おきれいな方……亡くされたとき、さぞ、お悲しみが深かったでしょうね」

 目の前の彼は、せつなそうな、悲しげな顔をした。

「お母様が、どうしても……あなたにお伝えしたいことがあると、僕におっしゃっています。……だから、お節介ですが、話しかけさせていただいたんです」

「……」

「もしよろしければ、お聞きになりますか? お母様からのメッセージ」

 こくん、とうなずいた。

 初対面のひとに、こんな場所で……と、あやぶむ声も、茜音の中にはあったのだが。

 聞けるものなら、聞きたい、と心から思ったのだ。

 あの日、突然、会えないところへ行ってしまった、母の言葉を。

「わかりました。では、手を……こんなふうに、前に出してくださいますか?」

 そう言って彼は、広げた手のひらを前にさしだしたので。

 茜音は、そのとおりに手を差し出した。

「ごめんなさいね、僕、あなたの手をにぎりますけど、いいですか?」

「……はい」

「はい、では、握ります。……ちょっとびっくりなさるかもしれませんから、そのおつもりで」

 受けとめるように、上を向けた茜音の手のひらを、そのひとは、自分の手のひらを上からかぶせるようにして、握った。

 なめらかな、やさしい感触の手だな──と思った瞬間、その彼の手のひらから茜音の手に、わーっと……流れてくるものがあった。

 ……あ!

 「びっくりするもの」って、これ、か。

 それは、言葉で説明するなら……「あたたかなもの」だった。

 水とも違う。電気とか、そういうものでもない。たとえていうなら、……「光」だ。

 もし、ひかりに手触りがあったなら、こんなふうに、手にふれるのではないか、という感触のものだった。

 そのあたたかな光が、目の前に立つ彼の手から茜音の手のひらへと、流れ込んできて。

 そして。

 声が聞こえた。

 女性の声であるような気がしたが、定かではない。母の声だったかどうかも、よくわからない。

 なぜならその声は、聴覚でとらえる音ではなく、茜音の内側から聞こえてきた、声だったからだ。


──あのとき、

──苦しんでいたあなたに、

──気づいてあげられなくて、

──ごめんなさい。

──わたしは、茜音の幸せを、

──願っています。

──ほんとうに、心から。


 波が寄せては返すように。

 確かに、それらの言葉が、茜音の内側から響いてきた……

「……茜音?」

 そのとき、聞き覚えのある低い声が、茜音の背後から聞こえてきて、はっとした。振り返ると、その声の持ち主が立っていた。

「……理人」

 いつのまにか、理人が近くに来ていたのだ。

 びっくりして、茜音は、目の前の男性の手を離してしまった。

「茜音、おまえ……どうしたんだ、涙が……」

 まっすぐに茜音の目を見つめて、理人は歩み寄ってくると、それから。

「朋彦さんも、どうしてここにいらっしゃるんですか」

 ──と、今度は、アイボリーのオーバーの彼のほうに向き直って尋ねた。

 え? 

 ……理人と、このひと、し……知り合いなのか?

「ふふ、理人くん、お久しぶり。……ちょっと、クリスマスの買い物があってね」

 きれいな彼は、そう笑っているのだが。

「あのう……、すみません……理人とお知り合い、なんですか?」 

 茜音がそう尋ねると、理人のほうが教えてくれた。

「俊ちゃんの、パートナーのひと。佐々木朋彦さん」

「あ……」

 なるほど。

 この、きれいなひとが、俊一さんの。……

「理人くん、よかったら、これで彼の涙、ふいてあげて?」

 そのきれいな彼──朋彦は、にっこり笑って、ポケットティッシュを、理人に差し出した。

 あ。……鼻セレブ。

「あ、すみません。ありがとうございます」

 理人は、それを受け取ると、ティッシュを一枚抜き取って、茜音の涙をふいてくれた。

 ……いいけど、理人。

 人前、だけども。朋彦さん、見てるけども。

 朋彦は、とても楽しそうな笑顔で、茜音と理人を見くらべていた。

「て、ことは。……この彼は、理人くんの……?」

「そうです。僕の恋人です」

 理人が答えた。

 ごく普通の声で、はっきりと、そう答えたのだ。

 いいけど、べつに。……心臓に、めちゃくちゃ悪い。

「そっかー。きみが、柏木茜音くんだったのかあ」

 朋彦はにっこりと笑いかけてくれた。

「イッツ・ア・スモール・ワールドだねえ」

「ですね」

 朋彦と理人は、そんな会話を交わしたのちに。

「じゃあね。またね。……よかったら、今度、ふたりでうちに遊びにきてよ」

「それはぜひ。俊ちゃんに、どうかよろしく」

 ばいばい、と朋彦は手をふって、アイボリーのオーバーの背中が遠ざかっていった。

「茜音。……どうした? 朋彦さんから、何か言われたのか?」

 理人が、心配そうな顔で茜音を見つめている。

「……うん」

「なに? なんて言われたの」

「帰ってから、話すよ」

 いま、理人に話すと。また泣いちゃいそうだから。

「わかった。……そんじゃ、茜音」

 理人が言った。

「肉、買いにいこうぜ、肉」

「うん」

「なんてったって、茜音の合格祝いだからさ」

「それと、家庭教師の先生へのお礼もかねて」

「がっつりと、肉、いきましょう、肉」

 ──母が亡くなった去年の今日は、一年後に、自分がこんな気持ちでいるとは想像もしていなかった。

 まだ癒えない心の傷を抱えながら、どうしようもなく、ひとりぼっちだった。たくさんの涙を流した。

 けれど、夜が朝になるように。

 季節が移り変わって、春が夏に、秋が冬に、そしてまた春が来るように。

 時は流れるし、人は必ず、変わることができる。

 だから、今日も、明日も、そのまた明日も──新しい一歩が踏み出せる。

 願わくは、その新しい一歩を踏み出すとき、俺の隣に。

 理人、きみがいてくれますように。

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きみに隣にいてほしい。 雨庭未知 @ameniwa_michi

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