第43話 二人だから


    6


 理人の部屋に泊めてもらうとき、いつもは、客用の布団が用意されていた。

 たいていの場合、茜音が風呂を使わせてもらっている間に、理人が寝室の床にその布団を敷いてくれていたのだが、でも、今夜は。

 借りたパジャマを着て、茜音が風呂から出てきても、その布団がなかった。

 理人が、ぽつんと彼のベッドに腰かけていただけで。

 先刻、玄関で、何度もキスを交わしたあと、「茜音、泊まっていくか?」と訊かれて、「泊まりたい」と答えたときに、すでに、こういう状況は予期していたのだが。

「お風呂、ありがとう」

「……うん」

「あの、パジャマも」

「……ん」

 理人の顔が赤い。そのうえ、表情も硬い。

 ベッドにすわる理人のすぐ右隣に、茜音が腰かけると、それだけのことにさえ、彼の意識がはりつめてしまったのを感じた。

「あの、茜音?」

「え、と、理人?」

 また、ふたりの声がぶつかった。──二人でいると、発話のタイミングがぴったり重なって、こんなふうに、声がぶつかることが、よくある。

「理人から話してよ」

 順番を譲った。

「あの、茜音さ……」

「なに?」

「……やっぱり、布団、敷いたほうがよかったか?」

 緊張した顔のまま、理人は、ぎこちなく尋ねた。

 茜音はちょっと笑った。そんなふうに緊張している彼が、愛おしくて。

「俺はね、理人。……さっき、『電気消そうか?』って、聞こうとしたの」

 はっきりした二重の目が、茜音を見た。

「電気、消しても……怖くないか、茜音」

 その問いで、彼が何を案じているかがわかった。

 ──やっぱり、優しいんだな、こいつ。

「怖くないよ。だって、……するの、理人だもん」

 「ね?」と笑いかけて。

 手を伸ばして、隣にすわる理人の髪に指をさしいれて、……くしゃくしゃ、くしゃり、と三回かきまぜた。

 いつもと逆。

 茜音から、理人の髪に、こんなふうにするのは、初めてだったかもしれない。

 ふれると、理人の髪は、予想よりもずっと硬い感触を茜音の指に残した。

 そして、理人が、いつもどんな気持ちで、茜音の髪をこんなふうにかき混ぜていたのか、に気づいた。

 ……そうか。

 俺のことが、かわいくて、愛おしくてたまらないときに……理人は、こうしてたんだ。

「理人は、……こういうことすんの、初めて?」

「初めてだよ」

 即答だった。

「そうなの? ……けど、理人、女子にめっちゃモテモテだったのに」

 中学であれだけすごかったんだから、高校、大学と、さぞかし。

「そんなの、関係ないだろ」

 理人はちょっとムキになった。

「俺が好きなのは、ずっと茜音しかいなかったんだから。──どれだけ、女の子からモテたとしても」

 あ、そこは否定しないんだ?

「俺がしたいのは、茜音ひとりだけなんだから」

 ──理人は、言い切った。

 ナイフで、すらりと胸を刺されたような気になった。

 理人の目は、言葉は、彼の真実だけを伝えている。

 だからこれほど、美しいナイフとなって、核心をつらぬく。

「俺も。……初めてだよ」

 茜音は笑った。

 ちょっと泣きそうになったけど、笑って言おうと思った。

「心から大好きなひとと、するの、初めてなんだ」

 だから、怖くない。なにも、なにひとつ。

 どんなに夜が深くても、どれほど闇が濃いとしても。

 理人と二人だから。

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