第44話 はじめての夜

   *

 

 明かりを消した部屋の、理人のベッドのなかで。

 交わす口づけは、最初から、すべてが魔法に満ちていた。

 体のなかに、甘いメロディをずっと流し込まれているみたいだった。

 探られたから、秘密を教える。

 もっと、と、欲しがるから、夢中で与える。

 からめとられて、自由を奪われたと思った瞬間、際限なく、あまやかされて。

 どうにかなりそうだ、と思う。

 体が。心も。

「……あかね」

 一センチしか離れていない理人の唇で名前を呼ばれると、それだけで、どうしようもなくなる。

 額、まぶた、頬、鼻のあたま。

 理人のキスが、さまよいだして、耳の下や首すじの、皮膚のうすいところを吸われはじめると、我慢できなくて、体が何度もふるえた。

 どうしよう。

 体がおかしい。力がまったく、入らない。

「りひと」

 名前を呼ぶ声さえ、とけている。

「理人……お、れ」

「……どうしたの?」

 首筋に顔をうずめていた理人が、顔をあげた。

「怖い?」

「怖く、ないけど。……へん、で」

「へん?」

「体が。……力がはいらなくて、なんか、とけちゃいそうで」

 そう訴えると。

 茜音の上にいる理人は、じっと顔を見つめてきた。

「それって……きもち、いいってこと?」

 真面目な顔で問われたので。

「う……うん。……たぶん」

 よく、わかんないけど。

「じゃあ、やめなくてもいいの?」

 暗がりで見ると、理人の目は。

 黒くて、ひからない星のように見える。

「……うん」

 茜音がそう答えると、理人は、ひどく嬉しそうに笑った。そして今度は、反対側の首筋に顔をうずめてくる。……

 許可を求める問いが多かった。俺、パジャマ脱いでいい? 茜音も、脱がせていい? 

 隠さないで、見たいんだ。見てもいい? さわってもいい? 

 ここにキスしたい、してもいい? ああ、茜音、もっと──もっと、したい。

 友だちではなくなった理人は、いつもと何もかもが違っている。

 その声も、言葉も、問いも。ふれてくる場所も、ふれかたも。

 優しいけれど、執拗で。甘いけれど、つよくて。

 俺にさわれる? 怖くない? 無理だったら、無理しないで──ああ、いい、すごくいい……夢みたいだ、ずっと、茜音とこうしたかった。

 俺もしたい、俺も茜音に、同じこと。

 ……してもいい? いや? 嫌じゃないなら……だって、したいんだ。

 すごくしたい、我慢できないよ、茜音。

 指とてのひらと、息とキス。舌と鼻先とくちびる。

 それらを使って、理人は、信じられないようなことを繰り返す。

 特に、指と舌はいたずらで、しかも器用だった。

 時間をかけてかわいがられて、泣き出してしまう場所まで追いつめられて、茜音は、とうとう懇願した。

 もうだめ、もうだめだから……お願いだから、理人。

「ごめん、茜音……いやだった?」

 茜音の体にうずめていた顔をあげて、理人がたずねた。

「俺、夢中になっちゃって……茜音、嫌だったのか?」

 その理人の顔が、不安げだったから。

「い……いやじゃない、けど……」

「けど?」

「もう、俺、……出ちゃいそうなんだもん……」

 やっとの思いで、口にしたのに。

 理人は、やたら爽やかな顔で笑った。

「じゃあ、我慢しないで」

 ──え?

 そしてもう一度、最初から、はじまってしまう。

 あたたかくて濡れた愛撫、理人のリズムでたくみにコントロールされる。

 自分の手で口をおさえるようにしても、声が出てしまうほど、濃い快楽だった。

 どうしよう。もうだめになるくらい……きもちがいい。

 高められたかと思うと、すとん、と梯子をはずされて。

 煽られたあげくに、焦らされる。

 途中で、気づいた。……理人は、快楽の時間を、わざと長引かせている。

 茜音の反応の一部始終を、彼は、目で見て、耳で聞いて、舌であじわい、指でふれて、においを感じて──それを制御している。

 ……どうしよう。こんな恥ずかしいこと、理人に、されてるのに。

 すごく、きもちがよくて……

 じわじわと追い上げられて、最後が近づいてきて、もう一度、理人に「出ちゃうから」とお願いした。

 けれど。

 ──我慢しないで、茜音。

 やさしい声で、そそのかすように理人が言って、……今度こそ、我慢できなかった。

「りひと……」

 強い陶酔を感じながら、吐き出した。理人の名前を呼びながら。

 だめって言ったのに。……

 あまりにも濃い快楽の直後だから、茜音はぐったりと動けずにいた。。

 その茜音の顔のそばに、理人が、黙ったまま、顔を近づけてきた。

 そして、茜音の目を見つめながら。

「……あ、え?」

 口に含んでいたものを、ごくんと嚥下してみせた。

 いたたまれなくて、体がすくむ。

 が、理人のほうは、嬉しそうに──若い太陽のように大きな笑顔になると、茜音の耳元でささやいた。

 ──これでもう、茜音は、俺のものだから。

 そう言って、嬉しそうに笑うのだ。

「や……、やだ、理人」

「どうして」

「だって……」

 うまく言葉にできない。

「でも、気持ちよかっただろ?」

 そう言って理人は笑った。──反論できない。

 そう、確かに……理人とふたりでする行為は、自分一人のときとは、まったく違う種類の、目もくらむ光のような快楽だった。

 それは、この行為が、理人は茜音の、茜音は理人の愛を感じながら、満たしあうものだから。

「なあ、茜音、手を貸して」

「うん」

 言われるがままに、右手を理人にあずけると。

「俺に、さわって?」

「……こう、かな」

 彼は、自分の手でみちびくようにして、茜音の手のひらに、自分の興奮しているところにふれさせてきた。

 そのまま、自分の手を重ねて、動かし始めた。

「こ……こんな、かんじ?」

「うん、それで──ああ、茜音、いい」

 かたちのいい眉をひそめている。

 ふれている手のひらから、理人が、ひどく興奮しているのが伝わってくる。

 手のひらに、じかに感じる、理人の熱さ、感触──硬さ、濡れていること。

「茜音の顔、見ながら、したい。して、いい?」

 興奮で、上がった息の下から理人が言った。

「──うん」

「ほんとに?」

「うん。いいよ」

 茜音がそういうと、理人は。

「ああ、夢、みたい、だ……」

 茜音がそばにいる。

 そう嬉しそうに笑った。

 夜の中に、ふたりの息がとけていく。

 最後の瞬間、理人は、茜音と手をつないでくれた。

 ふたりの人間の手で、ひとつの祈りのかたちを作るような、そんな恋人どうしの、指と指のからませかたで。

 ……ああ、あたたかいんだな、と思った。

 理人の手は。指は。手のひらは。

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