もしも、神様が

第26話 もしも、神様が


 もしも、神様が。

 今の二十歳の意識のまま、自分の過去に戻って。

 ひとつだけ、何かをやり直してもいい、という選択肢を、理人に与えてくれたとするなら。

 自分は迷わずに、高校一年のときの、秋雨のあの夜を選ぶ。

 あの日。──もしも、二十歳の今と同じような判断能力を持っていれば。

 少なくとも、もっと勇気を出して、行動することができていたなら。

 そんなふうに、理人は、今でも後悔している。

 思い返せば、茜音は、いくつもサインを出していたのに、理人は、すべて見逃してしまっていた。……いや、正確に言うなら、違和感だとか奇異な感触を、感じとっては、いた。

 けれど、その「違和感」を読み解き、情報に変え、判断して、行動する能力がなかった。

 茜音と同い年の理人もまた、十四歳から十六歳にかけてのできごとだったから、「だいじょうぶだって」と茜音本人が言い張ったら、それ以上、なにか行動に移すことをためらってしまったのだ。

 だが、そんなことに躊躇するべきじゃなかったと、二十歳の今ならはっきりとわかる。

 大人の前では、十五、六歳の子供の判断力など、まるっきり未熟だ。

 強い立場にいる大人が、狡猾な意志を持てば、子どもは簡単に搾取され、奪われ、傷つけられる存在になる。幼い判断力を逆手に取られて、たやすく言いくるめられたり、対価をちらつかされれば、それがいかに不当な要求でも、飲んでしまったりする。

 やっかいなのは、恐怖や支配関係によって思考が制限されていて、子どもたち自身が、助けを求めることができなくなっている場合だ。

 被害にあっていることを、彼ら自身が「なかったこと」にしたがり、「大丈夫だってば」と主張してしまう。

 茜音の出すいくつかのサインを、理人は確かに目にしていた。

 感じ取ったそれらのサインを、具体的な行動へと、どう変えるべきなのか、わかっていなかった十六歳の理人自身もまた、子どもの判断力しか持っていなかった、ということなのだろう。

 あのとき、両親に打ち明けていれば。

 あるいは、せめて七歳年上の従兄に相談していたなら。


 そんなことを考えて、二十歳になった理人は、今も、唇をかむ。

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