二人だから
第35話 試験、終了!
1
──かたん。
試験終了のチャイムが鳴って、茜音はシャープペンシルを置いた。
「これより、答案を回収します。受験者の皆さんは、合図があるまで、着席したままで……」
試験監督者のオジサンが、マイクを通したダミ声で、注意事項を述べていく。
……終わった。とりあえず、終わったのである。
これで、二日間にわたる(長かった…!)、高卒認定試験の全科目の受験が終了したのだ。
何はともあれ、完了である。まじで疲れたけど、終了である。
ともかく無事に、すべての受験を終えたのだ。
疲労感と解放感、ちょっとした後悔(日本史のあの資料の問題、さっぱりだった)、ちょっとした喜び(理科Iのアレ、直前にやったヤツとそっくりのが出題されるなんてさー)、達成感(英語は、俺、けっこう、イケてたんじゃないかな…)と不安(あああ、時間ギリギリで見直し、してねー)。
さまざまな感情が胸のなかにうずまいて、喉元からせり上がってきそうになって、茜音は、ふう、と息をつく。
疲れてはいる。でも、嫌な気分ではない。集中して頭を使ったあと特有の、ここちよい興奮のなごり、それから大きな解放感。
数名の係員が受験者全員の答案を回収し終えたらしい。枚数の確認なども終えたようで、彼らは小声でうなずきあった。
「それでは、試験終了となります。お疲れ様でした」
さっきの試験監督のオジサンがそう言い、同じ教室の受験生たちがいっせいに席から立ち上がった。
冬服を着た受験生たちが、列を作ってぞろぞろと退出していく。
その中の一人となって、茜音も試験会場を後にした。
年齢は、比較的若い者たちが多いようだが、多種多様な人々が混じり合って、この受験生の群れを作っている。十代の女の子も、社会人らしい男性もいる。茶髪にピアスの若者、真面目そうなメガネの女性。
服装も、見た目も、社会でどんな役割を果たしているのかも、千差万別の人々。この彼ら一人ひとりすべてに、それぞれの人生のストーリーがあり、その一つの場面として、今日、この試験会場に集まってきたのだ。
茜音がそうであるように。
建物の外に出ると、あたりは、すっかり夜になっている。
受験生の人波も、試験会場を出たあたりで、三々五々、各々の進む方向へと分かれていった。
──理人に電話しよ。
地下鉄の駅へと歩きながら、茜音は心の中でつぶやいた。
七ヶ月間、家庭教師として一緒に勉強してくれた理人に、無事に終わったことを、まず、報告したかった。
お礼とか、感謝とか、そういう言葉も伝えたいけど、それだけじゃなくて。
……大きな試験を乗り越えることができた、という今のこの気持ちを、理人とふたりで、分かち合いたかったのだ。
茜音と同じ目線で、茜音のすぐ隣で。──この高卒認定試験という目標に向けて、世界中でただひとり、理人だけが、茜音と一緒に走ってくれていた。
理人が一緒にがんばってくれたこと、一緒にがんばってくれていたのが、理人だったこと。
そのことが、夜の暗い森で途方に暮れていたような自分の気持ちを、どれだけ明るく照らしてくれていたか。
地下鉄の駅の改札を抜けて、プラットホームに立ったところで、スマホを取り出し、時計を見た。……日曜日の午後六時すぎ。
理人は、今、何をしているだろうか。
テキストメッセージにしようかな、とも思ったが、どうしても電話をかけたくなった。
声が聴きたい。──音の階段を、一段、とん、と降りたように低い、理人の声を。
スマホを操作して、通話ボタンを押した。
呼び出し音がはじまる。
一回、二回、……四回、五回……
理人は出ない。
七回か八回、ベルを鳴らしたあたりで、電話を切った。
また後でかけてみよう、と考えて、とりあえず、テキストメッセージで、試験が無事にすんだことを知らせようと思った。
「二日間の試験、無事に終わりました。
英語は結構できたと思う。
数学は、時間がなくて、全然見直しができなかったけど、一応、全部、解答はしたよ。
出来のほうは「??」かもしれないけどね(笑)
とりあえず、全教科、無事に終了!
家に帰って、自己採点するつもりです。
理人、ほんとうに、どうもありがとう。」
送信すると、ほぼ即座に既読マークがついた。
あれ?
理人、今、スマホの画面……ひらいて、る……ってこと、だよね?
そう思った茜音は、続けてテキストメッセージを送信した。
「今、電話してもいいかな?」
そう送ったメッセージにも、即座に既読がついた。
それから、理人から、メッセージが送られてきた。
「ごめん、今、電話できなくて」
──あ。なにか、邪魔しちゃった……かな。
そのあと、理人から、ぽん、とひとつのメッセージが届いた。
「メッセージ、わざわざ、どうもありがとう。
無事に終わったんだね、ほんとうによかった。お疲れ様でした。
茜音は、とても頑張っていたし、きっと合格すると思います。
今日はゆっくり、休みなよ」
吹き出しの中の文字の羅列が、理人の低い声で脳内で自動的に変換されて、自分の唇が微笑のかたちになるのを感じた。
送られてきたのは、わりとありきたりな言葉かもしれないけれど。
長いこと、一緒に勉強を教えてくれた理人からのメッセージだから、特別な暖かさで心を包んでもらえたような気がした。
「こっちこそ、さっき、電話を鳴らしちゃってごめん」
茜音は、そう入力したあと、送信する前に、一秒くらいの間、ちょっとだけ迷った。
迷った末に、もうひとつの問いをつけ足した。
「今夜、理人に電話をかけるとしたら、何時ごろなら大丈夫かな?」
そのメッセージを送信すると、今度もすぐに既読マークがつく。
理人からの返事を待って、茜音は、少しの間、画面を見ていた。……だが、彼は、次のメッセージを送信してこない。
ん?
電話に出られないってぐらいだから、……忙しいのかな、理人。
ちらりと、そう考えたが。
でも、そのうちきっと、理人から、返事が来るよね。──と、単純に考えて、茜音は、テキストメッセージを閉じて、スマホをポケットにつっこんだ。
ホームに、ちょうど地下鉄がすべりこんできていた。これに乗れば、四十分程度で自分のアパートの最寄駅に着く。
それにしても、終わった。……無事に終わって、よかった。
心の中で、しみじみとそうつぶやきながら地下鉄に乗り込んだ。
茜音には、まだ、何の予感も感じられていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます