第37話 ひとりで、夜の中で(1)
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今日はこれで、最後にしよう。スマホを見るの。
そう心に決めて、茜音は、テキストメッセージを確認したものの。
──やっぱり、理人から、何の返信も来ていない。
自分でも嫌になるほど、一日のうちに何度もスマホを確認してしまうようになった。
……理人の、バカヤロ。
どうして俺に、なんの連絡もくれないんだよ。
時刻は、もう夜中の十二時半すぎを回っている。さすがに彼も、この時間以降に、連絡をしてくることはないだろう。
……しかたがない。寝よっか。
心のなかで、一人つぶやくと、茜音は部屋の電気を消して、ベッドの中にもぐりこんだ。
もぐりこんだ……のだが。
どうにも眠れないままだった。
体はそれなりに疲労していて、眠りを欲しているのだが、胸に苦しい塊があるような感じで、眠りの中へと入っていけないのだ。
──もう九日間も、連絡がこない。理人から。
最初は軽く考えていた。……なにか用事あんのかな、とか、そのうち連絡くれるだろう、とか。
次には「もしかして、事故にでもあったんだろうか?」と心配したり、「スマホを紛失してたりして」とか、いろんな可能性を想像した。
でも、これほど何の音沙汰もない、ということは。
どうやら、理人は茜音に、連絡するつもりがないらしい。──という事実を、認めなければならないと思う。
何度か打ち消してきたこの結論に、もう一度、茜音はたどりついてしまって、思わず、ため息をつく。
夜の中に、そのため息が溶けていく。
……俺の、なにがいけなかったんだろう?
最後に理人と顔をあわせた日のことを、思い返してみる。
あの日は、マンションに俊一が来ていて、理人は遅れてやってきたのだった。
それから、理人に英語を教えてもらい、いつもより遅くなって……で、彼と一緒に、駅までの道を送ってもらった。
ほがらかな声の俊一が、同性の人とパートナーシップを宣誓したことを、茜音に教えてくれて。
三千円を渡そうとしたら、受け取ってくれなくて、そのかわりに「合格祝いの焼肉」に行こう、と約束してくれた。
そうして。
理人は、ふと手を伸ばして、……とすん、と茜音の髪に指をさしいれて、くしゃくしゃ、くしゃり、と、三回、かきまぜるみたいにしてくれた。
理人がよく、茜音にしてくれていた動作。
──受かるよ。茜音は。
──ここまで努力してきたんだから。俺と神様が、茜音についてる。
そんなふうに、言ってくれてたのに。
もう、あんなふうに……俺の髪にふれてくれることは、ないのかな。
一緒にココアを飲んだり、とか。
俺の話を理人に聞いてもらったり、理人の話を聞いたりすることも。
そんなことは、もう、起こらない……のかな。
そう思ったら、今度は、ため息ではなく、胸と目の奥が熱くなって……涙が出そうになってしまう。
顔を見たいな、と思う。──この九日間、何度、思ったかわからないことを。
話したい。あの低い声を聴きたい。
──あいたい。理人に。
ひとりで布団にくるまって、そこまで考えたとき。
茜音は、突然、自分の体の上に、理人の体のさまざまな感触を思い出した。
ふれること、ふれられることの感触、温度、理人の指、てのひら。
抱きしめたこと、抱きしめられたこと、腕の硬さ、頬を押しあてて感じた、パジャマ越しの理人の肩、胸、体。
あたたかさや強さ、質感と湿度、におい、低い声。
それから、あの朝のキス。
……唇の感触、すこしだけ、茜音の遊んでくれるみたいに動いた理人の舌、背中にまわされていたオーバーの腕、理人の背の高い体。
それらの記憶が、突如として、茜音の五感すべての上によみがえって、自分でも止められなくなってしまったみたいだった。
「ん……」
ちいさなうめき声が、思わず唇から、もれた。自分がそれを制御できなかったことに、自分でも、驚いた。
理人の体のことを、リアルに思い出したら、自分でも予期していなかった反応が起きた。
自分の体の中が、がらんどうになって、その穴を淋しい風が吹き抜けたような、そんな気がして、苦しくなったのだ。
体のなかにできた、空洞が苦しい。それは、欠落感を生み出して、茜音の心臓を、内側からわしづかみにするようだ。
どうしたらいいかわからず、思わず茜音は、自分の腕で、自分の体を抱きしめるようにした。──けれど、そんな動作をとってみたところで、その苦しさは、まったくおさまらない。
おさまらないどころか、さっき体を吹き荒れた淋しい突風が、今度は熱い塊に変わった。その熱い塊は、体の中の空洞を埋め尽くし、そこから徐々に、体全体を侵していくみたいになった。
「りひと……」
自分の唇が、彼の名前をつむぐのを、とめられなかった。
あいたい、あいたい、あいたい。
──いや、あいたいだけじゃなくて、もっと。
会うだけじゃ足りない、話すだけじゃ足りない。もっと。
もっと、もっと、ほしい。
ふれたい、さわりたい、抱きしめたい、抱きしめられたい。
うなされた明け方、理人に抱きしめてもらって眠ったこと。それから、そのあとの朝のキス。
ああいう体のふれあいが、ほしい。
体温を、心臓の鼓動を、肌を、息を。
からませあって、とけあわせたい。
理人、理人、りひと。
──自分で自分の体を抱きしめていた腕を、ほどいた。
自分の手が、布団の中で、するすると動いていくのを、自分でも止められなかった。
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