第37話 ひとりで、夜の中で(1)

     3


 今日はこれで、最後にしよう。スマホを見るの。

 そう心に決めて、茜音は、テキストメッセージを確認したものの。

 ──やっぱり、理人から、何の返信も来ていない。

 自分でも嫌になるほど、一日のうちに何度もスマホを確認してしまうようになった。

 ……理人の、バカヤロ。

 どうして俺に、なんの連絡もくれないんだよ。

 時刻は、もう夜中の十二時半すぎを回っている。さすがに彼も、この時間以降に、連絡をしてくることはないだろう。

 ……しかたがない。寝よっか。

 心のなかで、一人つぶやくと、茜音は部屋の電気を消して、ベッドの中にもぐりこんだ。

 もぐりこんだ……のだが。

 どうにも眠れないままだった。

 体はそれなりに疲労していて、眠りを欲しているのだが、胸に苦しい塊があるような感じで、眠りの中へと入っていけないのだ。

 ──もう九日間も、連絡がこない。理人から。

 最初は軽く考えていた。……なにか用事あんのかな、とか、そのうち連絡くれるだろう、とか。

 次には「もしかして、事故にでもあったんだろうか?」と心配したり、「スマホを紛失してたりして」とか、いろんな可能性を想像した。

 でも、これほど何の音沙汰もない、ということは。

 どうやら、理人は茜音に、連絡するつもりがないらしい。──という事実を、認めなければならないと思う。

 何度か打ち消してきたこの結論に、もう一度、茜音はたどりついてしまって、思わず、ため息をつく。

 夜の中に、そのため息が溶けていく。

 ……俺の、なにがいけなかったんだろう?

 最後に理人と顔をあわせた日のことを、思い返してみる。

 あの日は、マンションに俊一が来ていて、理人は遅れてやってきたのだった。

 それから、理人に英語を教えてもらい、いつもより遅くなって……で、彼と一緒に、駅までの道を送ってもらった。

 ほがらかな声の俊一が、同性の人とパートナーシップを宣誓したことを、茜音に教えてくれて。

 三千円を渡そうとしたら、受け取ってくれなくて、そのかわりに「合格祝いの焼肉」に行こう、と約束してくれた。

 そうして。

 理人は、ふと手を伸ばして、……とすん、と茜音の髪に指をさしいれて、くしゃくしゃ、くしゃり、と、三回、かきまぜるみたいにしてくれた。

 理人がよく、茜音にしてくれていた動作。

 ──受かるよ。茜音は。

 ──ここまで努力してきたんだから。俺と神様が、茜音についてる。

 そんなふうに、言ってくれてたのに。

 もう、あんなふうに……俺の髪にふれてくれることは、ないのかな。

 一緒にココアを飲んだり、とか。

 俺の話を理人に聞いてもらったり、理人の話を聞いたりすることも。

 そんなことは、もう、起こらない……のかな。

 そう思ったら、今度は、ため息ではなく、胸と目の奥が熱くなって……涙が出そうになってしまう。

 顔を見たいな、と思う。──この九日間、何度、思ったかわからないことを。

 話したい。あの低い声を聴きたい。

 ──あいたい。理人に。

 ひとりで布団にくるまって、そこまで考えたとき。

 茜音は、突然、自分の体の上に、理人の体のさまざまな感触を思い出した。

 ふれること、ふれられることの感触、温度、理人の指、てのひら。

 抱きしめたこと、抱きしめられたこと、腕の硬さ、頬を押しあてて感じた、パジャマ越しの理人の肩、胸、体。

 あたたかさや強さ、質感と湿度、におい、低い声。

 それから、あの朝のキス。

 ……唇の感触、すこしだけ、茜音の遊んでくれるみたいに動いた理人の舌、背中にまわされていたオーバーの腕、理人の背の高い体。

 それらの記憶が、突如として、茜音の五感すべての上によみがえって、自分でも止められなくなってしまったみたいだった。

「ん……」

 ちいさなうめき声が、思わず唇から、もれた。自分がそれを制御できなかったことに、自分でも、驚いた。

 理人の体のことを、リアルに思い出したら、自分でも予期していなかった反応が起きた。

 自分の体の中が、がらんどうになって、その穴を淋しい風が吹き抜けたような、そんな気がして、苦しくなったのだ。

 体のなかにできた、空洞が苦しい。それは、欠落感を生み出して、茜音の心臓を、内側からわしづかみにするようだ。

 どうしたらいいかわからず、思わず茜音は、自分の腕で、自分の体を抱きしめるようにした。──けれど、そんな動作をとってみたところで、その苦しさは、まったくおさまらない。

 おさまらないどころか、さっき体を吹き荒れた淋しい突風が、今度は熱い塊に変わった。その熱い塊は、体の中の空洞を埋め尽くし、そこから徐々に、体全体を侵していくみたいになった。

「りひと……」

 自分の唇が、彼の名前をつむぐのを、とめられなかった。

 あいたい、あいたい、あいたい。

 ──いや、あいたいだけじゃなくて、もっと。

 会うだけじゃ足りない、話すだけじゃ足りない。もっと。

 もっと、もっと、ほしい。

 ふれたい、さわりたい、抱きしめたい、抱きしめられたい。

 うなされた明け方、理人に抱きしめてもらって眠ったこと。それから、そのあとの朝のキス。

 ああいう体のふれあいが、ほしい。

 体温を、心臓の鼓動を、肌を、息を。

 からませあって、とけあわせたい。

 理人、理人、りひと。

 ──自分で自分の体を抱きしめていた腕を、ほどいた。

 自分の手が、布団の中で、するすると動いていくのを、自分でも止められなかった。

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