王妃様に侍女をやめたくないと言ってみた 2
「あら、まあ。アレクシスと喧嘩したの?」
翌朝。
宣言通り迎えに来たアレクシスとともに登城して、フェリシテが手が空いているときに今後も侍女を続けたい旨を伝えたところ、フェリシテがきょとんとしたように首を傾げた。
「それはわたくしも助かるけど……でも、ちゃんとアレクシスと相談した? そういうことはきちんと婚約者と話し合わないとダメよ?」
フェリシテの言い分はもっともだったが、相談すれば反対されるに決まっている。
クラリスが言葉に詰まると、フェリシテは困った娘を見るような優しい顔で言った。
「結婚前って、些細なことで喧嘩したりするものよねえ。でも、そういうのを一つずつ乗り越えて絆が強くなっていくのだとわたくしは思うわ」
「そう、かもしれませんけど……」
沈痛な顔をしたクラリスに、フェリシテが小さく笑う。
「そう思い詰めた顔をするものではないわ。続けてくれるならわたくしは大歓迎よ? クラリスがアレクシスに相談もなしにそんなことを言い出すなんて、何か事情があるのだろうし。ひとまず、半年先に退職しないかもしれないことだけ念頭に置いておくわね。でも、やっぱり予定通り辞めると言っても大丈夫だから、思いつめずに少し時間をかけて答えを出しなさいな」
「はい……」
「困ったらいつでも相談に乗るから。……ほら。気晴らしと言うわけでもないけど、温室の花に水をあげて来てくれる?」
「かしこまりました」
これ以上は食い下がっても無理だろう。フェリシテに断られなかっただけよしとすることにして、どのように説得するかはゆっくり考えればいい。
(アレクシス様によくない噂の一つでもあればそれが理由にできるんだけど……)
今のところそんな噂の一つもないから困る。
クラリスは一度侍女の控室に戻り、花粉でドレスが汚れないようにエプロンを身に着けると温室へ向かった。
温室は広大な庭のあちこちに点在している。かつて妃が多かった時の名残で残っているので、妃が少ない現在では使われていないものもいくつかあった。一部は庭師が花の苗を育てたり、寒さに弱い花を冬に避難させるのに使っていたりする。
フェリシテが使っている温室は城の裏庭の東だ。
この温室は代々王妃に受け継がれていて、数ある温室の中で一番大きい。
ジョアンヌは温室の大きさで不利だと騒いで、西側の温室を二つ所有しているが、ウィージェニーが参戦したことでより人数で有利になったのについては何も言わない。自分に都合がいいときは黙るのだ。
(あの方、フェリシテ様がいなければ自分が王妃に選ばれていたと思っているから、余計に面倒くさいのよね)
表立って妃の悪口は言えないが、フェリシテの侍女仲間の間だけではなく、メイドや女官の中にもジョアンヌの行動に頭を悩ませている人は多い。
第二妃に選ばれるだけあって、ジョアンヌは侯爵家の出身だ。とはいえ、国王に縁付かせるため遠縁の伯爵家から侯爵家の養女になったのだが、当時国王の年齢と釣り合う女性は公爵家の中ではフェリシテしかおらず、フェリシテがいなければ侯爵家以下の令嬢が選ばれていた。そういう理由もあってか、ジョアンヌはフェリシテがいなければ自分が王妃だったと思い込んでいる。
必ずしも、第二妃に選ばれた女性に王妃の素質があるかと言えばそう言うわけではないのだが、妃が他にいない現王の治世でそう勘違いするのも仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。
(フェリシテ様は幼いころから王妃になるべく教育を受けてきた方だもの。はっきり言って格が違うんだけどね)
これも口には出せないが、城で働く大勢の使用人はそう思っている。
ジョアンヌが嫁いできたときに彼女に王妃に準ずる教育をしなかったのは、フェリシテの身に何かが起こったとしても、ジョアンヌを王妃に繰り上げることはないという国王の意思表示だと思うのだが、ジョアンヌは勝手にフェリシテの陰謀だと決めつけているのだ。やれやれである。
クラリスの記憶では、今年の花をめでる会でまたしてもフェリシテに負けて、毎年フェリシテの花が選ばれるのは何かの策略だとジョアンヌは騒ぎ立てる。それがきっかけで、社交界の一部の第二妃派閥が便乗してひと悶着あるのだ。
(……そうだったわ。そんな面倒くさい騒動があるのをすっかり忘れていたわ)
春になって社交シーズンも終わりに差しかかっていたおかげか、騒動はそれほど大きくならずに沈静化するのだが、第二妃の実家とその親戚が卑怯な手を使うフェリシテは王妃にふさわしくないと言い出したせいで、フェリシテの子であるグラシアンにまで飛び火したのだ。卑怯なフェリシテが産んだグラシアンが果たして王太子にふさわしいのかと噂にまでなったのである。
ただフェリシテもそうだがグラシアンも国民人気が高く人望も厚いため、彼に大きなダメージはなかったのだが。
(ああ、嫌なことを思い出しちゃった。二年前に戻って来ちゃったってことは、またあの気分の悪い噂を聞くことになるのね……)
温室の外で水を準備し、中に入る。
春先はまだ朝夕が冷えるので、温室の中にはボイラーが焚かれていた。そのため湿度が高くて温かい。
フェリシテが管理する温室には、十数種類の薔薇のほかに、様々な花が育てられている。ジョアンヌは珍しい花を取り寄せては育てているが、フェリシテは自分で品種改良していくのが好きな人で、薔薇以外にも彼女が掛け合わせたここにしかない花がたくさんあるのだ。
(紫陽花も綺麗に咲いているわね)
紫陽花が固められている場所には、色とりどりの紫陽花が毬のような花を咲かせていた。
ほかにも、百合や蘭が複数種類、珍しいものではサボテンもある。頻繁に水を与えると枯れてしまうサボテンや蘭の種類には水を与えなくていいと言われているので、クラリスはそれ以外の植物に丁寧に水をあげていく。
花をめでる会にあわせて花が咲くように管理されているので、今が一番温室が華やかな時期だ。
王妃が何年もかけて育て上げた虹色の薔薇は、さぞ人目を惹くだろう。
(確か、ウィージェニー様がすごく香りのいい珍しい花を用意していたけど、虹色の薔薇にはかなわなかったものね)
母親に似て、ウィージェニーも珍しい植物の収集家だ。どこで仕入れて来るのか、ジョアンヌよりも珍しい植物を多く育てている。
ウィージェニーの華やかな顔を思い浮かべて、クラリスはそっと胸を抑えた。
十六歳という年齢の割に大人っぽい外見のウィージェニーは、花をめでる会にも華やかで豪華な衣装を身にまとって現れて周囲の注目を集める。
(もしかしたら、アレクシス様がウィージェニー王女に興味を持つのは、花をめでる会がきっかけなのかしら……?)
そんなことを思うくらいに、記憶の中のウィージェニーは華やかだった。
(花をめでる会は楽しみではあるけど、楽しいだけの気分ではいられないわね……)
未来の記憶を持っていると、この先に起こることがわかるからか、純粋に今やこれからのことを楽しめない。死ぬ未来を回避するために記憶がなければいいとは思わないけれど、クラリスはちょっぴり憂鬱だった。
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