王太子の危篤 5
グラシアンが療養している部屋の近くでアレクシスとともに休んだクラリスは、明け方、慌ただしい足音で目を覚ました。
まだ薄暗いうちからの騒動に、隣で眠っていたアレクシスも不審に思ったのだろう。
「クラリスはまだ休んでおいで」
そう言ってクラリスの頬を撫でたアレクシスは、手早く着衣を整えて顔を洗うと、様子を確認しに部屋の外へ向かった。
まだ休んでいていいと言われたけれど足音で目が覚めてしまったので、クラリスも起き上がって身支度をする。エレンもニケもつれて来ていないが、城勤めをしていたクラリスは自分で着衣を整えることができる。侍女として城に上がるときは、自分で着替えられないような複雑なドレスは着てこないからだ。
夜着からドレスに着替えると、顔を洗って髪を整える。薄い化粧も施して、いつでも外に出られるように準備を整えたところで、アレクシスが難しい顔で戻って来た。
「おかえりなさい、アレクシス様。何があったんですか?」
「わからないんだ。何か重大なことが起こった様子なんだが、すでに緘口令が敷かれているのか誰も教えてくれない。ジェレットなら知っていそうだが、昨夜は殿下についていたはずだからな」
「まだ早いので、殿下のお部屋へはいけませんね」
それでなくともグラシアンは毒のせいで体調が万全ではない。アレクシスに報告がないということは、今朝の騒動はグラシアンがらみではないのだろう。ひとまず、彼の体調が急変したなどではなさそうなのでクラリスはホッと胸をなでおろした。
それはアレクシスも同じのようで、「気になるが殿下に何かあったわけではないだろう」と落ち着いている。
「マチルダ様でも、お子様でもないでしょうね」
マチルダや昨日生まれた子に何かあれば、マチルダの臨時の侍女であるクラリスに報告がないはずがない。
「朝食には早いですし、お茶でも入れますね」
「ああ、そうだな。頼む――いや、一緒に行こう」
何かがあったらしいのでメイドも忙しいだろう。クラリスは自分でキッチンへお湯を取りに行こうと立ち上がると、アレクシスも一緒に来ると言い出した。
「何かがあると大変だからな」
「お城の中ですよ?」
「その城の中でグラシアン殿下は倒れたんだ」
「……そうでしたね」
クラリスはただの侍女だと言いかけたが、一度経験した未来で殺された記憶がよみがえり口をつぐむ。経験した未来でクラリスが殺された年まであと一年を切った。いつ何が起こるかわからない。
(やっぱり、殺されるのは嫌だもの)
覚悟もしているが、だからと言って死にたいわけでもない。できればアレクシスとともにその先の未来へ向かいたいとも思っている。そして彼が幼い日に見た夢のように、一緒に年を重ねて、おじいちゃんおばあちゃんになっても共に過ごすのだ。
アレクシスとともに部屋を出て、キッチンへ向かう。その間にも、メイドや兵士が何人も廊下を駆けまわっていた。のんびりしているのが申し訳なくなってくるほどの慌てようだ。
(キッチンはそうでもないみたいだけど……)
情報が入っているのか、それとも関係のないことだったのか、キッチンではいつも通り朝食の準備がはじめられている。
キッチンの隅にある、お湯を沸かす専用のかまどでお湯を沸かしてポットに入れる。竈の近くにはメイドや侍女が自由に持ち出して食べることができるお菓子が置いてあるので、マドレーヌをいくつかもらった。クラリスはともかく、アレクシスはよく食べる人なので、朝食までのつなぎがあったほうがいいと思ったのだ。
(いつも朝起きてすぐに「お腹すいたなぁ」って言っているものね)
騎士を辞めても、アレクシスは毎日のように庭で鍛錬を行っている。そのせいか、すぐにお腹がすくのだ。
ポットをアレクシスが持ってくれたので、クラリスは籠に入れたマドレーヌと茶葉を持って部屋に戻ると、部屋に置かれているティーポットを使って丁寧に紅茶を入れた。
ソファに隣り合わせで座って、紅茶を飲みつつマドレーヌを食べる。クラリスは一つで充分だが、アレクシスは次々と口に入れていた。いくつかもらってきて正解だ。
「それにしても、メイドや兵士があんなに慌てるなんて、なにがあったのでしょうか。よほどのことなんでしょうけど……」
城の廊下は、よほどのことがない限り走ってはいけない。相応の事情がなければまず咎められる。城は王族が住まう場所のため、その品位を汚す行動を取ってはならないのだ。
だが、今日は誰もかれもが慌てて駆けまわっていた。そして誰もそれを咎めない。それだけのことがあったのだ。
何が起こったのかわからない状況で待っているのは精神的に堪える。
不安に思っていると、アレクシスがクラリスの手を優しく握った。
「殿下たちに何かあればこちらに絶対に報告が来る。だから大丈夫だ」
「はい……」
アレクシスの手のひらから伝わる体温に、ホッと息をつく。
紅茶を飲み終わり、マドレーヌも食べ終わって、アレクシスの肩に頭を預けて時間がすぎるのを待っていると、しばらくして部屋の扉を叩く音がした。
「俺が出よう」
クラリスが立ち上がろうとすると、アレクシスが手で制して扉へ向かう。
そこには、険しい顔をしたジェレットが立っていた。
「朝から何があったんだ?」
「それについては、殿下の部屋でご説明します。殿下ももう起きられていますから」
「殿下の体調は?」
「落ち着いているようです。申し訳ありませんが、奥方も一緒にお願いできますか? お耳に入れておいた方がいいことですので」
「わかった。クラリス」
「はい」
アレクシスに呼ばれてクラリスも立ち上がる。
ジェレットに連れられて、近くにあるグラシアンが療養中の部屋に入ると、ベッドの上に上体を起こした彼が眉間に深い皺を刻んで虚空を睨んでいた。
「殿下、お加減は?」
「体調は昨日よりいいが、気分はいいとは言えないな」
「それで、何があったんです?」
ジェレットが部屋の扉をきっちりと閉め、アレクシスとクラリスがグラシアンのベッドに近づくと、彼は声を低くして短く答えた。
「第二妃が死んだ」
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