王太子の危篤 4

「アレクシス様!」


 部屋の扉が叩かれたので様子を見に行くと、廊下にはアレクシスが立っていた。

 マチルダは出産で疲れて眠っていて、ベッドは夏の薄い帳がおろされている。

 出産後の女性の部屋に家族以外の男性を入れるのはどうかと思ったが、アレクシスの様子を見るにグラシアンの件だろう。


 クラリスは一度部屋の中にいるフェリシテと国王に確認をしてからアレクシスを部屋の中へ引き入れた。

 フェリシテが、部屋からレオニー夫人とクラリス、そしてマチルダがエディンソン公爵家から連れてきた一人の侍女以外の侍女を部屋から出す。人払いという意味もあるが、出産でバタバタして疲れた彼女たちへの休憩も兼ねてだ。


 クラリスが国王夫妻とアレクシスのためにお茶を用意する。

 ここではクラリスはマチルダの侍女なので、話に参加することはできない。

 ソファに腰かけて話しはじめた三人の様子を見ているだけだ。

 アレクシスによると、グラシアンは先ほど目を覚ましたらしい。完全に安心はできないが、容体は落ち着いているそうだ。侍医頭と軽口が言い合えるくらいには回復しているという。


「お子様に会えないことを悔しがっていらっしゃいました。それから、お名前は殿下がご自身で考えたいので、名付けないでほしいそうです」

「あらまあ」


 グラシアンの容体が落ち着いていると聞いたからだろう、フェリシテがホッとした顔をした後でくすくすと笑い出す。


「せっかく十個も候補を出したのになあ」


 国王は残念そうだ。

 口をとがらせて文句を言った国王は、そのあとですっと表情を引き締めた。


「それで、毒の入手経路はわかったのか?」

「現在調査中です。毒物については侍医頭が解毒の際に分析をかけたそうで、ある程度は絞り込めているようです。詳細を特定するには別の分析を行う必要があるそうですのでそちらは別途手配いたします」

「ああ、急げ」

「御意」

「それにしても、毒物反応は出なかったのか?」

「使われたティースプーンを見ましたが、反応はありませんでしたね。銀に反応しない毒物かと思われます」

「しかし、ヒ素ではない毒でグラシアンにあそこまでの反応があるとなると……」

「ええ。毒に耐性のある殿下は大抵の毒では命にかかわるようなことにはなりませんからね」


 ヒ素ならば、グラシアンでも強い反応が出るだろう。あれは体に慣らすために摂取するのは危険すぎて、グラシアンは口にしたことがない。だが、ヒ素ならば生成過程に硫黄を含むため銀食器に反応が出る。


「殿下が飲み込んだということは、無味無臭もしくは限りなく無味無臭に近いものだったと思われますが――」


 グラシアンは舌が敏感だ。少しでもおかしいと思えば吐き出すはずである。そんな彼が疑いを持たずに飲み込んだということは、味も匂いもほとんどないものと考えるべきだ。

 どちらにせよ、詳細な分析結果もそれほど時間が経たずに出るだろう。


「あまりしたくはないが、毒見をつけるか」


 三十年ほど前までは、王族の食事には必ず毒見係がついた。けれども時代が流れて、そのような人身御供のような存在は倫理的にどうなのかと問題提起がされ、毒見係の採用は止まったのだ。

 とはいえ、外食する際はそれとなく側近が先に食事を取って確かめるようにはしているが、表立って毒見はできない。


「そのようなことをしては、周りがうるさいですわよ」


 フェリシテが難色を示したが、国王は首を横に振った。


「犯人が捕まるまでの応急処置的対応だ。次がないとも限らないからな。明日にでも緊急で会議を行うことにしよう」


 グラシアンは次期国王だ。現王は早々に生前退位すると決めているため、戴冠式の日取りも決まっている。権力がらみで狙われたのならば、犯人が特定されるまでは安心できない。毒見を採用しないのなら、もし万が一があった際に責任が取れるのかと問えば、大臣たちも頷くしかないはずだ。


「それから、毒が砂糖に混入していたとのことですので、マチルダ様が狙われた可能性もあります。護衛の数を増やしてもよろしいでしょうか?」


 アレクシスはそう言うが、これ以上マチルダの護衛を増やせば彼女は落ち着かないのではなかろうか。とはいえ、子供も生まれたあとだ。彼女や赤子に何かあっては大変である。


「そうだな。グラシアンが動けないのだ、私から騎士団にあげておこう」

「ありがとうございます」


 アレクシスの報告はひとまず以上のようだ。

 話を終えて立ち去ろうとしたアレクシスは、部屋を出たところでクラリスに向かって手招きした。


「どうしたんですか?」


 クラリスが廊下に出ると、扉を閉めつつアレクシスが言う。


「殿下のことがあるから、俺は城に泊ろうと思うんだ。クラリスはどうする? 泊まるなら一緒にすごせる部屋を申請しておくけど」

「そうですね……。マチルダ様も心配ですから、では泊まることにします。王妃様にもお伝えしておきますね」

「ああ。じゃああとで」


 さすがに廊下でキスはできないので、アレクシスが軽くクラリスの頬を撫でてから去っていく。


(アレクシス様の表情を見る限り、殿下は大丈夫そうね)


 クラリスはホッとしつつ、アレクシスが触れた頬を抑えながら部屋に戻った。


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