王太子の危篤 3

 グラシアンの青い瞳がゆっくりと開かれると、アレクシスはホッと息を吐きだした。

 グラシアンの顔は血の気が引いて青ざめていたが、呼吸は少し落ち着いている。解毒薬がきいたのだろう。侍医頭がグラシアンの脈を取りつつ、ちょっと笑った。


「とりあえず落ち着いたみたいだな。安心はできないが、薬が効いている証拠だろう」

「アレクシス……」


 グラシアンがかすれた声でアレクシスを呼ぶ。

 声が出しにくそうなので耳を近づけると、グラシアンが浅い息をくり返しながら言った。


「毒物を調べてくれ。混入経路と、あと――」

「んな馬鹿な話はもっと落ち着いてからにしろや!」


 王太子相手にも容赦のない侍医頭があきれ顔で叱責する。


「それから毒物については俺の方でも多少調べてある。細かい分析には時間がかかるが、解毒するには毒が何かがわからねぇと無理だからな。あとでそっちにメモした内容を渡してやるから、ひとまずは回復に集中しろ。まだ安心できねえんだぞ。言うことを聞かなければ、睡眠剤を飲ませて無理やり寝させるからな⁉」


 グラシアンは肩をすくめたが、続く言葉に凍りついた。


「早く息子の顔がみたけりゃ余計なことに気を回してねぇで、安静にしろ!」

「は⁉ むす――けほっ!」


 反射的に体を起こそうとしたグラシアンが、失敗してせき込みながらベッドに沈む。


「殿下、急に動いたら」

「ちょっと待て、息子って、どういう――」


 アレクシスが注意しようとしたがグラシアンはそれどころではないらしい。


「ついさっき生まれたとこだ。早産で通常より小さいが、まあ心配なほど小せぇわけでもなかったから、ま、大丈夫だろ」

「ま、待ってくれ――、ではマチルダが……」

「ええ、無事に出産を終えて今は休んでいますよ」


 アレクシスが教えると、グラシアンがショックを受けた顔になった。


「そんな……、子供が生まれるときはそばについていようと思ったのに。なんてことだ……」

「無事に生まれたんですからいいじゃないですか。妃殿下の体調も大丈夫なようですよ」

「それはよかったが、いやだが、一人で心細かっただろうに……」


 しょんぼりしてしまったグラシアンに、アレクシスは苦笑した。

 毒に倒れて危篤状態と聞きすごく心配だったが、暢気にそんなことが言えるくらいには回復したようだ。


「はいはい、お子様のお名前も考えなければいけないでしょうし、落ち込むのはそのくらいにして、早く回復してください。急がないと陛下が勝手に名前を付けてしまうかもしれませんよ」

「それは困る。父上に勝手なことをはするなと言っておいてくれ」


 そうは言うが、すでに候補はいくつか見繕っているようだと、報告に来たジェレットから聞いた。

 アレクシスはグラシアンにつきっきりだったが、ジェレットは情報収集で忙しく動き回っていた。主にグラシアンに盛られた毒物に関する調査をしていたようだが、そのついでにマチルダの様子と子供、そして国王夫妻についても連絡をよこしてくれたのだ。


 初孫の誕生に飛び上がらんばかりに喜んでいる国王夫妻は、すでに名前を何にするかで盛り上がっているらしい。グラシアンが毒に倒れたというのに、孫の誕生でそのことはすっかり頭から抜け落ちているようだと聞いた時はあきれたものだ。


(まあ、一度目を覚まして、最大の危険は去ったと報告したらしいから、そのせいもあるだろうが)


 国王夫妻は昔から城に勤めてくれている侍医頭に絶大な信頼を寄せている。彼が側にいるのだからきっと大丈夫だと思っていたのだろう。

 むしろ、侍医頭が手出しできない出産の方が大事だと慌てていたようだ。


「先生、マチルダと息子に会いたいんですが」

「無理に決まってるだろうが! まず回復しろ! それまで禁止だ‼」

「そんな……。じゃあ、一瞬で治る薬をください」

「あるかボケが‼」

(軽口が叩けるならまあ大丈夫そうだな)


 侍医頭とじゃれ合っているようにしか見えないグラシアンにあきれつつ、アレクシスは席を立つ。


「じゃあ殿下、妃殿下と陛下たちに殿下が目を覚ましたことをお伝えしてきますね」

「ああ、頼む」

「それじゃあ、先生。後は頼みます。何かあれば護衛の騎士にでも言づけてください」


 グラシアンが毒に倒れたのだ。部屋の外には大勢の騎士が詰めている。

 部屋を出たあと、顔見知りの騎士たちにもグラシアンのことを頼んで、アレクシスはマチルダの部屋へ向かった。


 出産は夫婦の部屋ではなく、マチルダの私室が使われた。夫婦の部屋とアレクシスの私室とは近い場所にあるが、現在アレクシスは侍医頭の指示で部屋中を消毒された別の部屋に寝かされているため、階が違う。

 階段を上っていると、ちょうど上から降りてくるウィージェニーとかち合った。


「あら、アレクシス。お兄様の容体はどうかしら?」

 ウィージェニーは階段の途中で足を止めて、心配そうな顔で訊ねて来る。兄を心配する妹の顔だったが、果たして本心はどこにあるのだろうかと思いつつ、アレクシスは沈痛そうに目を伏せた。


まだ、、お目覚め、、、、になりません、、、、、、

「あら、そうなの?」

「はい。侍医頭がつきっきりで回復に努めていらっしゃいますが、予断は許されない状況だそうです」

「そう……」


 ウィージェニーが悲しそうに目を伏せる。


「わたくしもお見舞いに行こうかしら……」

「いえ、侍医頭が人払いをなさっていますから。国王陛下でもお部屋に入れないそうなので、もう少しお待ちになった方がいいでしょう」

「それなら、そうね。お兄様が回復するまで待つことにするわ。早く回復なさればいいけど。何かあれば教えてくれるかしら?」

「ええ、必ず。では陛下に呼ばれていますので、これで」


 アレクシスはウィージェニーに一礼して、階段を上っていく。登りきったところで肩越しに振り返ると、ウィージェニーは階段を降りて、そのまま庭の方へ向かっていくのが見えた。


「…………」


 アレクシスは無言でウィージェニーが消えた方角を睨んでから、マチルダの部屋へ向けて再び歩きはじめる。

 歩きながら、グラシアンの容体が落ち着いたことで冷静になってきた頭でアレクシスは考えた。


(殿下に毒が盛られたのは、ちょっと引っかかるな……)


 別荘でマチルダの部屋に侵入者が入ったことはあったが、グラシアンに対してここまであからさまに命を狙われるような事件は起こったことがない。周囲で小さな事件は起こったが、城内で毒物が混入したとなると、これまでと違って犯人が特定されやすいはずだ。


(なりふり構わずになったということか……だが……)


 何かが引っかかる。

 アレクシスはあとでジェレットに相談してみようと決めて、マチルダの部屋へ急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る