王太子の危篤 2
「ああクラリス!」
馬車で城に到着し、マチルダの部屋に急ぐと、部屋の前にはフェリシテが立っていた。
「王妃様!」
廊下でいったいどうしたのだろう。フェリシテは青い顔をして、普段の彼女からは想像できないほどおろおろと狼狽えていた。
「早く来てくれてよかったわ。今から呼びに行こうと思っていたの」
「は、はい。あの、殿下は――」
「グラシアンなら、先ほど一度意識が戻ったの。予断は許されない状況だけど、それ以上にこちらの方が大変なのよ。手伝ってちょうだい!」
「え?」
どういうことだろうと目をしばたたくと、白いエプロンを身に着けたレオニー夫人が慌ただしくマチルダの部屋に入っていく。
開いた扉から、マチルダのうめき声が聞こえた。
(もしかして、マチルダ様にも毒が⁉)
青ざめたクラリスだったが、どうやらそうではなかったらしい。
「一か月早いけど、お腹の子が生まれそうなのよ! グラシアンが倒れたショックからなのかしら、急に陣痛がはじまって――」
「ええ⁉」
「産婆を呼びに行ったんだけど、まだ来ないの! レオニーがわたくしのときに産婆の補助をしたことがあるから、今準備だけ整えてもらっているのだけど……。一か月も早いでしょう? 侍医頭も産婆経験はないからお手上げだっていうし、グラシアンから離れられないし――」
フェリシテがおろおろと廊下を円を描くように歩き回る。
「ひ、ひとまず落ち着きましょう」
クラリスも相当動揺しているが、二人そろっておろおろしても仕方がない。
レオニー夫人が忙しく動き回っているし、彼女の指示でほかの侍女も駆け回っている。クラリスも手伝うべきだ。
「王妃様、ひとまず隣の部屋にでも……」
王妃がいつまでも廊下でおろおろしているのはよろしくない。クラリスがフェリシテを隣の部屋に連れて行こうとしたとき、よりにもよって、青い顔をした国王陛下が駆けつけてきてしまった。
「フェリシテ‼ 子は⁉」
「ああ、陛下!」
こうなればクラリスの手には負えない。夫婦そろって、孫は無事に生まれるのかと手を取り合っておろおろしはじめてしまった。
仕方がないので、クラリスは国王夫妻を廊下に残したまま、部屋の中に顔を出す。
「レオニー夫人、わたくしはどうしたら……?」
「ドレスだと邪魔になるから、着替えてきてちょうだい。控室に白いワンピースとエプロンを準備してあります。それから、手をしっかり洗って清潔に、髪はまとめて頭巾をかぶってちょうだい! 産婆が間に合わなければ、わたくしたちだけで取り上げることになるわ!」
レオニー夫人がいつになく怖い顔をしている。産婆補助しか経験したことがないなか、王太子の子を取り上げるには相当な覚悟が必要だ。もし赤子に何かあれば責任を追及される。だが、レオニー夫人はすでに覚悟を決めたようだった。
「わかりました! 急いで準備をしてまいります!」
「それから、王妃殿下、陛下、そこにいらっしゃったら邪魔でございます! 部屋に入るか、せめて隅の方に移動してくださいませ‼」
さすが長年フェリシテの侍女を勤めているだけある。国王夫妻にも容赦ない叱責を飛ばして、レオニー夫人がマチルダの額の汗をハンカチでぬぐった。
クラリスは急いで侍女の控室へ向かい、用意されていたワンピースとエプロン、そして髪を一つに束ねて頭巾を身に着ける。手をしっかり洗って戻ると、ベッドの上に上体を起こしたマチルダが荒い息をしていた。少し落ち着いたのだろうか。そんなことを思っていると、再びマチルダが苦しみだす。
レオニー夫人は陣痛の間隔を調べているのだろう、時計を確かめつつ、マチルダの腰をさすっていた。
「クラリス、代わってください。あなたが一番落ち着いていますから。こちらへ。ここをさすって差し上げて」
見れば、レオニー夫人の指示には従っているが、他の侍女たちは蒼白な顔をしている、マチルダとともに公爵家からやって来た侍女でさえおろおろとしてあまり役には立ちそうになかった。クラリスだって充分に動揺しているが、彼女たちからすればまだましなのかもしれない。
マチルダの陣痛の波が引くと、レオニー夫人が立ち尽くす侍女たちに布やお湯を持って来るように檄を飛ばす。
「マチルダ様、何かお飲み物を飲まれますか?」
「ええ、ありがとう、水を……」
マチルダが飲みやすいように背中を支えて、クラリスは水差しからコップに水を移して彼女に手渡す。
コップに半分ほど水を飲んで、マチルダがホッと息を吐きだした直後、再び陣痛が襲って来たらしい。ぎゅうっと眉を寄せて体を強張らせる。
「産婆の方がご到着なさいました‼」
その時、侍女の一人が泣きそうな声で報告した。
クラリスはホッと息を吐き出し、レオニー夫人を仰ぎ見る。
強張っていたレオニー夫人の顔に笑顔が戻った。
「これで一安心ですね。さあ、急いで準備を終えますよ!」
――その数時間後、少し小さいけれど可愛らしい男の子が無事に誕生した。
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