王太子の危篤 1

 ――クラリスの見た悪夢がまさかこのような結果を生むなんて、誰が予想しただろう。


 その火急の知らせがもたらされたのは、エレンとニケの二人の侍女に支度を手伝ってもらい、登城の準備を整えていた時だった。

 城からの使いが息せき切ってやって来て、クラリスと同じく登城の準備をしていたアレクシスの元に駆けつけるなり、青ざめた顔でグラシアンの危篤を告げた。


「え⁉ どういうこと⁉」


 クラリスは思わず叫んで、そして蒼白になった。

 クラリスは昨日も登城してマチルダとグラシアンに会っている。グラシアンは元気そうで病気の兆候などはまったくなかった。それなのにいきなり危篤と言われても理解が追い付かない。


「どういうことだ」


 険しい顔をしたアレクシスが城からの使者を問い詰める。

 使者が言うには、グラシアンに毒が盛られたそうだった。毒は朝食に盛られていたという。


「朝食って……マチルダ様は⁉」


 グラシアンとマチルダは夫婦の部屋で一緒に朝食を取っている。グラシアンの食事に毒が盛られたということは、マチルダはどうしたのだろうか。


「マチルダ様はご無事です。食事と一緒に出された紅茶――厳密には砂糖に毒物が混入していたようで、マチルダ様は妊娠中のため紅茶をお飲みにならないため無事でした」


 紅茶は妊娠中には飲まない方がいいと言われているので、マチルダはもっぱらハーブティーを飲んでいる。だが、砂糖に混入していたのなら、マチルダが毒を口にする可能性だってあったのだ。ハーブティーの種類によっては、マチルダは砂糖を入れて飲むからである。例えばルイボスティーやロースヒップティー、ジンジャーなどを飲むときは確実に、それ以外でもその日の気分で甘みを落とすときがあるのだ。


「それで、殿下は⁉」

「侍医頭がつきっきりで解毒にあたっています。殿下は毒に多少の耐性がございますので、なんとか持ちこたえている状況らしいです」


 王族である以上、毒殺の危険は伴う。そのためグラシアンは幼少期から人体に影響が出ない程度の少量の毒を摂取して体を慣らしていた。


「つまり、殿下でなければ即死だった可能性もあるのか?」

「……侍医頭は明言しませんでしたが、おそらくは」

「くそ!」


 アレクシスが、ダン! と拳で部屋の壁を殴った。

 普段温厚なアレクシスの怒りに、エレンとニケがびくりと肩を揺らしたのがわかり、クラリスは二人に今聞いたことは他言しないように命じて、部屋から出るように告げる。


「クラリス、俺は馬で先に行く。城へ向かうときは伯爵家の護衛を連れて行くんだよ? いいね?」

「わかりました」


 アレクシスが慌ただしく支度を終えて、使者とともに部屋を飛び出して行く。

 アレクシスの足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなると、クラリスはへなへなとその場に膝をついた。

 ショックで、心臓がおかしい。


(毒なんて……)


 もちろんこれもクラリスが一度経験した未来では起こっていない。

 去年から、クラリスの記憶にないことが起こっていたけれど、いよいよクラリスが知っている未来から離れてしまっているのかもしれない。


(先生がついているから……大丈夫よね?)


 侍医頭は腕のいい医者だ。

ウィージェニーの発案で先月王都に作られた総合病院でも、講師として招かれるほどなのだ。

 侍医頭以上に腕のいい医者はそうそういない。だから、彼がついているなら大丈夫なはずだ。そう思いたい。


「そうだわ、早くお城に行かないと……」


 一緒に朝食を取っているときにグラシアンが毒に倒れたのならば、マチルダは相当ショックなはずだ。急いで城に向かって、ついていてあげないと。

 ドレスや化粧はもう終わっている。あとは髪をエレンに髪をまとめてもらおうと思っていたが、そんな時間は惜しい。

 クラリスは震えている足を叱咤して立ち上がると、急いで城へ向かうことにした。

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