すれ違う夫婦 6

 アレクシスが城へ向かった後、クラリスは領地からの報告書に目を通した後、暇つぶしにレース編みをすることにした。


「何を作られるんですか?」


 エレンが紅茶を用意してくれながら訊ねて来る。


「赤ちゃんの服を作ろうと思って」


 クラリスが何気なく答えると、エレンがびっくりしたように手を止める。


「どうかした?」


 首をひねりつつ訊ねると、エレンが慌てたように訊ねてきた。


「お、お子様ができたんですか⁉」

「え? あ! 違うわよ! マチルダ様のお子様を見ていたら可愛くて、なんとなく作りたくなっただけで、妊娠したわけじゃないわ!」

「あ、そうですか……。びっくりした……。いえ、もちろんおめでたいことではあるんですけど、兆候がなかったものですから」

「ふふ、早とちりだったわね」


 もちろん、クラリスとしてはいつ子供ができてもいいと思っている。だが、残念ながらそういった兆候は微塵もなかった。

 経験した未来では、子供を持たないまま死んだから、できれば――とは思うけれど、こればかりは神様でなければわからない。


「せっかくなので、わたくしも参加してよろしいですか? 今のうちから作っておけば慌てなくてすみますからね」


 生まれた子供の服は、購入することもあるが、こうして手作りする風習がまだ根強く残っている。手作りの服や小物が多ければ多いほど母親の愛情が大きいという考えがロベリウス国にはあるのだ。だから王太子妃であるマチルダも、せっせと子供の服を編んでいて、最近では暇さえあれば侍女たち全員で編み物をしていたりするのである。


「じゃあお願いするわ」


 エレンの骨折は完治したが、まだ足に若干の痛みが走ることがあるらしいので、座っての作業の方がしやすい。

 エレンがクラリスの隣に座って、レース編みをはじめたところで、困惑顔のニケがやって来た。


「あの。奥様……」


 ニケは夫婦の部屋の片づけをしていたはずだ。まだ夏だが、そろそろ秋の模様替えに向けて足りないものを調べてくれていた。


「悩まなくても、追加で頼む必要があればリストアップしてくれてかまわないわよ? あとでチェックするから」

「いえ、その……」


 模様替えの準備で何か悩みでもあったのかと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。

 言いにくそうに口ごもって、ニケがおずおずと何かを差し出して来た。

 かぎ針をテーブルの上に置いて、クラリスはニケが差し出してきたものを受け取る。それは、薄ピンク色の可愛らしいハンカチだった。広げて見ると、甘い香りがふわりと漂ってきて、一瞬、くらりと眩暈を覚える。甘ったるい香りだったからだろうか。クラリスは香りを逃がすようにハンカチを数回振ってから、ニケに訊ねた。


「これは?」


 クラリスのハンカチではなかった。もちろんアレクシスのものでもない。

 ニケは困惑顔で、そっとハンカチの隅を指さした。


「旦那様の服のポケットに入っていたんです。その……王家の紋章が刺繍されていて……イニシャルも」


 ニケが指した方を見れば、確かにハンカチの隅に小さな刺繍が刺してあった。王家の紋章の下に刺してあるイニシャルは、W。王家の紋章とセットで使うイニシャルでWを使うのはウィージェニー以外にいない。

 ざわり、とクラリスの心がさざ波を立てる。


「その……、それはウィージェニー王女殿下のもので間違いないでしょうか? どうして旦那様のポケットにこれが……」


 ニケの視線が気づかわしそうなものに代わった。

 クラリスはぎゅっとハンカチを握りしめると、努めて明るく微笑む。


「拾ったのかもしれないわね。……洗濯して、アイロンをかけて差し上げてくれるかしら? アレクシス様に確認した後で、王女殿下にお返ししなくてはいけないでしょうから」


 ニケが何か言いたそうに口を開きかけて、そしてつぐむと、クラリスからハンカチを受け取る。


「かしこまりました」


 ニケが去っていくと、いつのまにかレース編みの手を止めていたエレンがわずかに眉を寄せた。


「奥様……」

「わたしは大丈夫よ、エレン」


 ニケが出て行った途端に、不安が顔に出ていたのだろう。エレンが心配そうにこちらを見ている。

 クラリスは一度息を吐き出して、自分を誤魔化すように笑った。


(アレクシス様はウィージェニー王女の護衛騎士をしているんだもの。ハンカチくらい、拾うことがあるでしょう)


 夫に別の女性の影があるのは面白くないが、彼は仕事をしているのだ。こんな些細なことで目くじらを立ててはいけない。それで喧嘩になるなんて、絶対にダメだ。


(大丈夫。こんなことで疑ってはダメだもの……)


 一度目の未来とは違うのだ。今のクラリスなら、城で情報を集められる。だから、こんな些細なことで一喜一憂はしない。


「さ、続きをしましょ」


 クラリスはかぎ針を手に取ると、レース編みを再開する。

 願わくば、今から作る服を使う機会が訪れますようにと、思いながら。






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