狙われたクラリス 4
「クラリス‼」
血の気の引いた顔で部屋の中に飛び込めば、腕に包帯を巻いたクラリスが顔をあげて、目をぱちくりとさせた。
「アレクシス様? 今日は城に泊りじゃ――」
不思議そうな顔をしてクラリスが訊ねてくるが、すべて言い終わる前に、アレクシスは突進するように駆け寄ってクラリスを抱きしめる。
(よかった――)
ぎゅうっと胸に頭を抱き込んで息を吐けば、腕の中のクラリスが小さな声で「痛いです」と文句を言った。
ハッとして腕を緩めると、包帯が巻かれた腕をさすりながらクラリスが上目遣いに睨んでくる。
「ご、ごめん」
「いえ、いいですけど、腕が痛いのであまり力を入れないでほしいです」
「あ、ああ……」
おろおろしながら、アレクシスはクラリスが座っているソファの隣に座る。
まだ鼓動は落ち着かなくて、胸の奥がぎしぎしと言っていた。
目の前のクラリスは、怪我はしているが元気そうで――だけど、一歩間違えば、という可能性に心が急速に冷えていく。
先ほど痛いと言われたので、そーっと抱きしめて、アレクシスはクラリスの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
クラリスが愛用しているジャスミンのバスオイルの香りが、動揺した心を落ち着けてくれる。
動揺していた心が落ち着いてくると、次に沸き起こってくるのは例えようのない怒りだった。
「それで、アレクシス様はどうしたんですか? お仕事は?」
気丈にふるまっているように見えるがやはり怖かったのだろう。アレクシスが背中を撫でると、クラリスがきゅっとアレクシスのシャツをつかんですり寄って来ながら、遠慮がちに訊ねる。
「仕事は、抜けてきた」
「え? 大丈夫なんですか?」
「ああ、問題ないよ」
抜けてきたのは間違いないが、本当は少し事情が違う。
ウィージェニーに呼ばれて、アレクシスは侍医頭に彼女のための睡眠薬を処方してもらうべく医務室へ向かっていた。
仮眠を取っていた侍医頭を起すと、彼は不機嫌顔をしたが、事情を話すとやれやれと肩をすくめて睡眠薬を用意してくれて、アレクシスはそれを持ってウィージェニーの部屋に行くつもりだったのだ。
だが、その前に医務室に駆けつけてきたジェレットに、今すぐ伯爵家へ帰れと言われた。
『監視していた男の一人がブラントーム家へ向かいました。目的は定かではありませんが、嫌な予感がします。急いで帰ってください!』
アレクシスがさっと表情を強張らせると、侍医頭が薬は自分がウィージェニーに持って行ってくれると言った。その言葉に甘えて、アレクシスは慌てて邸に帰って来たのだ。
だが、アレクシスの帰宅は間に合わず、クラリスは怪我を負ってしまった。
(怖かったろうに……)
小さくて華奢なクラリスでは、武器を持った男に太刀打ちできるはずがない。
包帯を巻かれた腕が痛々しくて、アレクシスはギリっと奥歯をかみしめる。
「……クラリスに怪我をさせるなんて……、殺してやる」
「アレクシス様!」
思ったことが口から出てしまったのだろう、腕の中のクラリスがびっくりしたように顔をあげた。
だが、口からついて出たのは紛れもない本心だ。クラリスを驚かせはしたが、否定するつもりはない。
クラリスを傷つけた犯人は、どうやら逃げたらしい。
伯爵家で雇っている護衛が追いかけたようだが一足遅かったようだ。
(だが問題は、護衛がいるのにどこから侵入したか、だ)
常に夜警の護衛が巡回している庭から侵入するのは至難の業のはずだ。しかもクラリスが眠っていた夫婦の寝室は二階にある。二階の高さなら、ある程度訓練を積んだものであれば飛び降りることは可能だろうが、登るのは一瞬では無理だ。外から壁伝いに侵入しようとすればすぐに気づかれる。
――何か、見落としている気がする。
気になることはたくさんあるが、今は目の前のクラリスが最優先だ。
クラリスの頭を安心させるように撫でながら、アレクシスは小さく笑う。
「怖がらせてごめん」
「いえ……。でも、殺してやるなんて、簡単に言ったらダメですよ? 誰が聞いているかわからないんですから」
「犯罪者に向けた言葉だ、誰が聞いていたってかまわないさ」
「だけど――」
「クラリスが傷つけられたんだ。俺は絶対に許さないし、むしろ目の前に現れたら斬って捨てない自信はないな」
「だ、だめですよ! アレクシス様は辞めたとはいえ騎士だったんですから!」
騎士は、正当防衛や主の指示がある場合は相手を斬り殺すことも認められているが、そうでなければ基本的に相手が犯罪者であっても捕らえることが仕事だ。不用意に命を摘めば、殺した方も罪に問われる。面倒くさい騎士道精神では、怨恨や報復は認められていない。
(だが俺は、もう騎士ではないからな)
騎士は、騎士道精神に反すれば罰せられるが、アレクシスはもう違うのだ。騎士道精神なんて遠くに投げ捨ててもかまわない。
(クラリス、君はわかっていないみたいだけど、君は俺のすべてなんだよ)
自分が目の前の妻に恐ろしく執着しているのは自覚している。
この感情全てをクラリスにぶつければ、怯えさせてしまうだろうこともわかっていた。
だから口に出すつもりはないが、クラリスに何かあれば、アレクシスは狂わない自信がない。
(ジェレットに言って、侵入経路を探らせよう。……馬車の事故の時は確証が持てなかったが、クラリスが標的にされているのはこれで確実になった。絶対に許さない)
アレクシスはクラリスの頭のてっぺんにキスを落としながら、碧い瞳をひんやりと凍りつかせた。
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