事故と陰謀 2
「クラリス、すまない。明日、仕事になったんだ」
避暑地から戻って数日がすぎたある日のこと。
城からの帰りの馬車の中で、アレクシスが申し訳なさそうに眉尻を下げてそう言った。
明日、クラリスはルヴェリエ侯爵家にお邪魔することになっていた。アレクシスの母と結婚式の打ち合わせをする予定だったのだ。
ルヴェリエ侯爵家からブラントーム伯爵家へアレクシスが婿に入るから、結婚式はブラントーム伯爵家が主体となって進めているが、アレクシスの家族を無視することはできない。そのため、義母とはこまめに連絡を取り合い、時間が許せば会いに行って、状況の報告と意向を聞いていた。
アレクシスの母はおっとりと穏やかな人で、息子を婿に出すとはいえ義理の娘ができることを喜んでくれている。義母には娘がいないので、義娘の結婚式をすごく楽しみにしてくれているのだ。だからできる限り、義母の意向も取り入れたいし、一度経験した未来でもそうしていた。
(不思議なのが、前の時とお義母様のご希望が少し違うことなんだけど……)
いくつかの経験していない出来事が起こった影響だろうか。基本的なことは変わらないが、飾る花だったり、結婚披露パーティーで使うお皿だったり、ちょっと違うのよね。
結婚式のあとは、ブラントーム伯爵家で結婚披露パーティーを開く。飾りつけや使用する食器、提供するお酒や料理に至るまで細かいことを決めなければならず、実母とも義母とも綿密に打ち合わせを重ねる必要があるのだが、義母が希望した食器のブランドが以前と違うのだ。
(食器はルヴェリエ侯爵家が買ってくれるって言うから最終的にはお任せすることになるんだけど、ちょっと不思議よね)
些細な違いだし、前回と少し似たデザインで、義母の好みからは外れていないので前回と今とで義母の趣味が変わったわけではないのだろうが。
(ちょっとずつ何かが違うと、未来も違うのかしらって、思ってしまうわ)
できることなら幸せになる方向で変わってほしいと思うけれど、こればっかりはどう転ぶかわからない。アレクシスが危険な目に遭わなければいいけれど、とクラリスは目を伏せる。
「だからねクラリス……って、聞いてる?」
「あ、はい。お仕事ですね」
つい思案に耽っていたクラリスは、ハッとして誤魔化すように微笑んだ。
「うん、だから、明日うちに来るのは延期にしようか」
「え? いいですよ、わたしだけでも。お義母様とお茶を飲みながら結婚式のお話をするだけですし」
アレクシスが隣にいても、結婚式の準備にはあまり口を挟んでこない。なので、打ち合わせにはいなくても全く問題がないのだ。
「そう? クラリスがいいならいいけど……」
そう言いつつも、どこか面白くなさそうな顔だ。
(もしかして、のけ者にされたと思って拗ねてる?)
口には出さないが、おそらくこれは拗ねている顔だ。
クラリスはくすくすと笑って、隣に座っているアレクシスの顔を覗き込んだ。
「食器やお花の準備についてお話しするだけですよ? お話ししたことは、ちゃんとあとで報告します」
「……クラリスは、うちの母上と仲がいいよね」
義母と仲がいいのは喜ぶべきことだと思うのだが、やっぱりアレクシスは面白くなさそうだ。
「まさか……お義母様にやきもちですか?」
それはないだろうと思いながら揶揄って見たのだが、アレクシスは少し頬を染めてぷいっと顔をそむけた。どうやら図星だったようだ。
(本当にやきもちだったの?)
クラリスは驚いたが、自分の母親にまで嫉妬するアレクシスを可愛いと思ってしまうのだから自分も大概重症だ。
「ふふ……」
クラリスがアレクシスの肩にそっと頭をつけると、彼がやっとこちらを向く。
そっとハーフアップにしている焦げ茶色の髪を撫でられた。
「俺はついて行けないけど、伯爵家の使用人と一緒に向かうんだよ?」
そう言えば、「結婚予定の花嫁が襲われる事件」とやらがあるから気を付けるように言われていたのだった。
(そんな事件、やっぱり聞かないんだけど……)
かといって、ここは従っておかないと、心配したアレクシスに明日は外出禁止にされかねない。
「わかりました。侍女のエレンと、うちの護衛を一人連れて行きますね」
ブラントーム伯爵家には警護のために雇っている兵士が数名いる。普段は邸の警備や、父が外出するときに同行するのが仕事だが、家人が護衛を頼めばもちろんついて来てくれる。彼らの一人に頼めばいいだろう。
「うん、それならいいよ」
護衛を連れていくと聞いて、アレクシスも納得したようだ。
「護衛と言えば、マチルダ様の近辺の護衛の数がまた増えてる気がするんですけど……」
もともと数名の護衛がつけられていたが、今では十人近くに増えていて、マチルダが窮屈そうにしている。グラシアンの倍以上の護衛がつけられているのだ。
「結婚式が近いから、殿下も心配しているんだよ。避暑地の件も片付いていないからね」
「そうだとしても、お城の中にはたくさんの兵士がいるのに……」
外出中ならまだしも、城の中で十人近くも護衛をつけておく必要はない気がするが、アレクシスは首を横に振った。
「別荘のときも、見張りの兵士がいたのに侵入されただろう? 油断して未来の王太子妃に何かあれば大変だ」
「そう言われればそうですけど……」
だが、どこを行くにもぞろぞろと護衛に後をついて来られるマチルダがストレスを感じているようなのだ。フェリシテに、何とかならないかと相談しているのも聞いた。フェリシテは困った顔で「我慢して頂戴ね」としか言わなかったが。
「結婚したら殿下と同じ部屋になるから、護衛の数も落ち着くよ。あと二週間の辛抱だ」
あと二週間だというけれど、すでに憂鬱そうな顔をしているのに、あと二週間我慢してくださいとは言いにくい。
「せめて護衛を女性にできませんか? 大勢の男性について来られるのは精神的な負担が大きいと思います」
避暑地でマチルダの部屋に侵入した犯人が捕まれば、グラシアンの過保護も落ち着くかもしれないが、手掛かりがないそうなので仕方がない。
ならばせめて護衛が男性から女性に代われば、まだ落ち着いて過ごせると思うのだ。
「なるほど、確かにね。わかった、殿下に言ってみよう」
「お願いします」
そんな話をしていると、馬車がブラントーム伯爵家の玄関前で停まる。
「じゃあ、クラリス。名残惜しいけど今日はここまでだね。明日は気を付けて行ってくるんだよ」
ちゅっと頬に口づけてから、アレクシスがクラリスの手を引いて馬車からおろしてくれる。
別れ際に、今度は額に口づけが落ちてからアレクシスが再び馬車の中に戻った。
クラリスが馬車が見えなくなるまで玄関前で見送ってから邸に入ると、馬車の車輪の音を聞いて迎えに出ていたエレンが困り顔をしていた。
「どうしたの?」
「それが、旦那様が……」
父に何かあったのだろうかとさっと顔を強張らせたクラリスだったが、続く言葉に脱力した。
「ベビーベッドを買ってこられました」
「…………」
クラリスは額に手を当ててため息を吐き出すと、無言で階段を上っていく。
エレンに案内されて向かえば、使っていなかった部屋の中で、両親があれやこれやと楽しそうに言い合っているのが聞こえてきた。
「お父様お母様、気が早いって何度言えばわかるんですか!」
結婚式の前になぜ子供部屋の準備をはじめるのか。
部屋に入りながら文句を言えば、両親はそろって笑顔で振り向いた。
「クラリス、見て? 可愛いでしょ?」
「男の子でも女の子でも使えるようにしてみたんだ」
嬉しそうな二人には、クラリスの苦情が聞こえていないようだ。
(まったく! ……でも、そうね。そう言えば、未来では孫の顔を見せる前に、死んじゃったのよね)
少しずつ記憶と違う出来事が起こっているなら、せめて孫の顔だけは見せてあげることができるだろうか。
ドン! と部屋の真ん中に鎮座するべビーベッドを見ながら、クラリスは困ったような、切ないような、複雑な感傷を覚えたのだった。
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