狙われたクラリス 2
「殿下、これは一体どういうことですか!」
ホゥホゥとどこからか梟の鳴き声が響いてくる、深更。
グラシアンの執務室の窓の外には、薄い雲間から顔を出した欠けた月が銀色に輝いている。
宿直の人間以外寝静まったような夜中に、グラシアンの執務室を訪れたアレクシスは、部屋の扉を閉めるなり部屋の主をなじった。
マチルダが寝入ったのを見計らって執務室に移動したグラシアンは、窓際の執務机に座って眉間に皺を寄せている。
「私に言われても知らん! いきなり母上がクラリスをもらうと言い出して、マチルダが勝手に了承したんだからな」
「これではいつまでたってもクラリスが城からいなくならないじゃないですか!」
「わかっているが、母上から取り上げることはできないだろう。それこそ何があったのかと根掘り葉掘り聞かれるぞ。まだ母上や父上に上げるだけの証拠は集まっていないだろう?」
そう言われると、アレクシスも文句が言えない。
フェリシテは王妃と言う立場上、良くも悪くも公正だ。そして、疑わしきは罰せずという考えの持ち主である。
だからこそ、昨年の花をめでる会に起こった騒動のときも、自らは動かなかったのだ。犯人の予測はついていただろうに、それ以上の問題が起こらなければと見逃していたのである。
「今、母上に口出しされるわけにはいかない」
「わかっています。……あともう少しのところまでは来ているんですから」
「ああ」
「捕らえた侍医を死なせたのは失敗でしたね」
「そうだな。……その侍医の件だが、こちらはジェレットが調査を進めている。ジェレットが集めた情報によると、やはり侍医は自殺でないらしい」
「例の薬品の成分分析はどうですか?」
「あちらは終わった。ああ、これを渡しておこう。ジェレットからだ」
アレクシスは机から薬包がたくさん入った袋を取り出した。
「侍医頭に頼んで処方させたそうだ。今日から毎日飲むように」
「わかりました。殿下も気を付けてくださいよ」
「大丈夫だ」
グラシアンは机の上に置いてある液体の入った薬瓶を揺らして見せる。
アレクシスはさっそく薬包を一つ開けると、そのまま口に流し込んだ。舌に張り付く粉末の苦みに眉を顰めつつ、無理やり飲み込む。グラシアンが苦笑して、水差しからコップに水を入れて差し出してくれた。
「エメリックも生まれたことだし、これ以上長引かせたくはない。矛先がエメリックに向かないとも限らないんだからな」
「では、計画通り例の方向で進めるんですね?」
「ああ」
「わかりました。……本当に、くれぐれも、気を付けてくださいね」
「お前もな」
「ええ」
アレクシスは残りの薬包が入った袋をポケットに入れて、一礼して踵を返す。
長居をしていたら、誰に気づかれるかわからないからだ。
静かにグラシアンの執務室をあとにすると、最近城に泊る際に使わせてもらっている部屋へ向かった。
ベッドと小さな机と椅子があるだけのあまり大きくない部屋だが、一人で寝泊まりする分には何ら問題ない。
持ち帰った薬包を机の引き出しの中におさめて鍵をかけると、アレクシスはどさりとベッドに横になった。
体裁上、宿直と言うことにしているので熟睡はできないが、仮眠くらいは取らないと体力的にきつい。
(早く終わらせないと。……クラリスとも、しばらくゆっくりできていない)
新婚なのに、全然新婚らしくない日々が続いている。
城勤めを続けているから、クラリスの耳にもアレクシスがウィージェニーの護衛をしていることは耳に入っているはずだ。
できれば耳に入れたくなかったが、すぐに辞めさせることができなかったのだから仕方がない。
(変な噂が耳に入っていないといいが……)
ブラントーム伯爵家に帰ったとき、それとなくクラリスの様子を探ってみるが、特に変わったところはない。ウィージェニー付きに移動になったことを聞かれるかとも思ったが、それもない。食事の席でもいつも穏やかな顔をしていて、いつも通りのクラリスだ。――だが、アレクシスには逆にそれが怖かったりもする。
(前のことがあるからな……、いきなり別れると言い出したらどうしよう……)
結婚前に唐突に別れてほしいと言われたことが脳裏をよぎって、心臓が氷のように冷えていく。
もう一度同じことを言われたら、アレクシスは平静でいられるだろうか。
(いや、無理だな)
正直、自分が暴走しない自信がない。
前回はクラリスが途中で考えを改めてくれたから何とかなったが、もし今度別れるなんて言われたら、それこそクラリスを鍵のかかる部屋の中に閉じ込めてしまいそうだ。そんな暴挙は許されるはずがないと頭ではわかっていても、感情がついて行かない気がする。アレクシスはクラリスが絡むと冷静ではいられなくなるのだ。
(将来浮気をして捨てるから別れろなんて言っていたくらいだ。ウィージェニー王女と俺の関係を怪しむかもしれない。そうなったら絶対に別れるって言い出すだろう。……そうならない前に、早くけりをつけないと)
アレクシスの心はクラリスだけのものだ。それは今も昔も変わらない。だが、今のこの状況がよろしくないこともアレクシスはわかっている。
「はあ……」
アレクシスが天井に向かってため息を吐き出した時だった。
コンコンと扉が叩かれてむくりと起き上がる。何かあったのかと怪しんで扉を開けると、そこに立っていたのはウィージェニーの侍女の一人だった。
「どうかしたのか?」
「王女殿下がお呼びです」
「……こんな夜更けに?」
「ええ。寝付けないとおっしゃって……。お話し相手にアレクシス様を呼んでほしい、と」
「わかった」
ため息を吐きたくなるのを我慢して、アレクシスはニコリと微笑む。
「侍医頭に薬を処方してもらうように頼んでから向かうと伝えてくれるだろうか」
すると、侍女はホッとしたように息を吐きだした。おそらくアレクシスを呼べと無茶を言われて困っていたのだろう。夜更けに王女が若い男――それも、既婚者を部屋に入れるのは外聞が悪い。夜とはいえ、夜警にあたっている兵士はいる。誰かの目にはつくのだ。
アレクシスの伝言を持って侍女が去っていくと、アレクシスはランプに灯りを入れて、鏡の前で服の乱れを確認した。ボタンの一つでも外れていたら、あらぬ噂を立てられかねない。きっちりと着こんでおくに越したことはないのだ。
(先生に強めの睡眠薬を処方してもらおう)
長々と話につき合わされてはたまったものではない。
アレクシスは部屋を出ると、速足で医務室へ向かった。
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