すれ違う夫婦 4

「クラリス。王太子妃殿下も落ち着いたみたいだし、そろそろ臨時の侍女を辞めてもいいんじゃないか?」


 アレクシスからウィージェニー付きの護衛騎士に移動になったと報告がないまま数日がすぎ、ある日のこと。

 一緒に朝食を取りながら、アレクシスがそんなことを言い出した。


 今日はアレクシスだけ仕事で、クラリスは休みだ。

 グラシアンの側近だったころにはクラリスと休みを合わせてくれていたのに、ウィージェニー付きになるとそうはいかない。加えてアレクシスは二日に一度は城に泊りこんでいて、クラリスとこうして顔を合わせる時間もかなり減ったように思える。


 そんな日々が、クラリスの心を更にもやもやとさせていた。

 クラリスはスープを飲む手を止めて、スプーンを置いた。


「どうして急にそんなことを言うんですか?」


 自分で思っていたよりも固い声になってしまった。

 すると、アレクシスがちょっぴり困ったように笑う。


「ほら、もともと王太子妃殿下が出産して落ち着かれるまでと言うことだっただろう?」

「まだお子様が生まれて三週間くらいしか経っていませんよ」

「三週間も経ったんだ、もう充分じゃないかな?」


 声は穏やかだし、強要するような響きはないが、アレクシスがクラリスに仕事を辞めさせたがっているのは明白だった。

 しかしクラリスはそれに気づかないふりをして、再びスプーンを手に取った。


「じゃあ、アレクシス様も殿下、、側近、、をやめられるんですか?」

「いや、俺はもうしばらく続けるよ」

「…………」


 クラリスは、ぐっと奥歯を噛んだ。そうしなければ、不安が顔に出てしまいそうだったからだ。

 視線を落とし、スープを飲むことに集中するふりをしながら数拍時間を稼ぐ。そうして心を落ち着けて、できるだけ穏やかな表情を作ると顔をあげた。


「わたしが侍女を続ける間だけお仕事されると聞いていましたけど?」

「ほら、殿下はまだ本調子じゃないから……」


 グラシアンにどの程度毒の影響が残っているのかはクラリスにはわからない。


(でも、アレクシス様はウィージェニー王女の護衛騎士をしているんでしょ?)


 アレクシスが口にしないのだ、クラリスには知られたくないことなのかもしれないが、グラシアンのそばにいるわけではないのだから彼の体調を理由にするのはおかしい。


「だったら、わたしもアレクシス様がお仕事を続けられる間、侍女を続けますわ」

「いや、でも、俺の泊まり込みが増えたから、行き帰りが一緒じゃないだろう?」

「アレクシス様がいらっしゃらないときは伯爵家の護衛をつけていますから」


 アレクシスは未だにクラリスが彼、もしくは護衛をつけずにふらふらと出歩くことを嫌う。クラリスが馬車の事故に遭ったことがよほど堪えているのだろう。だから、アレクシスが側にいないときは必ず護衛をつけろと言われているので、クラリスはそれをきちんと守っているのだ。一度、クラリスの短慮で護衛を遠ざけてしまった結果事故に巻き込まれてしまい、アレクシスを心配させてエレンにまで怪我をさせてしまったので、クラリスも反省したのである。


 ここまで言えばアレクシスもあきらめるかと思ったのだが、意外にも彼は食い下がって来た。


「いや、でも、やっぱり心配だから。それに、休みも合わなくなったし、クラリスが仕事を辞めてくれたら一緒にいられる時間も増えて。俺としては嬉しいというか……」

「殿下はお休みを合わせてくださると言ったのに、不思議ですね」


 知らないふりをしてクラリスがにこりと微笑むと、アレクシスがぐっと押し黙る。

 視線が泳いでいるが、それでもやはりクラリスにウィージェニー付きに移動したことを告げるつもりはないらしい。


(男の人って、どうしてこれで誤魔化せると思うのかしらね?)


 これだけ顔に出ているのに、妻に怪しまれないと思えるのが逆にすごい。


「事情が、変わったんだ。……クラリスは俺と一緒にいたくないの?」


 そう来たか。

 拗ねたような、悲しんでいるような顔をされると、クラリスも弱い。

 問い詰めてやりたい気持ちもないわけではないが、まだその時ではないだろう。アレクシスとグラシアンの二人が何かを考えているのはおそらく間違いないのだろうから。


(でも、侍女を辞めるつもりはないけどね)


 アレクシスがウィージェニーの護衛騎士に移動した以上、城で働いていた方が二人の様子は耳に入りやすい。

 アレクシスはこそこそ動いているつもりなのだろうが、城の使用人――特に侍女やメイドは噂話が大好きだ。いくら隠そうとしてもすぐに露見するのである。


(まあ、わたしが問い詰めないからまだ気づかれていないと思っているのかもしれないけど)


 そして、いつまでもクラリスが城勤めを続けていれば、いつか知られるのではないかと警戒しているのかもしれない。


(仕方がないわね。いったん折れるそぶりをしておきましょう)


 クラリスが折れなければ、アレクシスはまだしつこく食い下がってくるだろう。朝食の席で夫婦喧嘩はしたくない。


「マチルダ様に相談してみます。ただ、マチルダ様のお考えを尊重して決めますから、すぐに辞められるかどうかはわかりませんよ」

「ああ、わかった」


 アレクシスがあからさまにホッとした顔をする。

 その顔を見て、クラリスは薄く笑う。


(アレクシス様は知らないみたいだけど、マチルダ様はわたしの味方なのよ)


 アレクシスが移動になったことも、彼とグラシアンが陰でコソコソしていることも、マチルダは気がついている。

 彼らが黙って何かをしているのをマチルダも面白く思っていないので、今朝の話をすれば、クラリスが侍女を辞めることにはならないはずだ。


 心の中でほくそ笑んだクラリスは、まるで夫の浮気調査をしているようだと気づいて、少しだけおかしくなった。


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