避暑地へ 3
翌日、グラシアンとともにアレクシスが別荘に到着した。
フェリシテが心を込めて用意した部屋は、マチルダのお気に召したようだ。可愛らしい部屋に嬉しそうに顔をほころばせてフェリシテに感謝を述べているのを見て、クラリスはホッとする。
二年後でもフェリシテとマチルダはとても仲が良かったけれど、巻き戻った今もそれは変わらない。
本日のクラリスの予定は、午前中はフェリシテの侍女としての仕事で、午後からは休みだ。
ジョアンヌは朝から侍女を引き連れて、山を下りた先にある街へ遊びに出かけて、夕方まで戻らないと聞いた。
フェリシテは午後からはグラシアンとマチルダとすごすようだ。
国王陛下は、ウィージェニーに誘われてこのあたりの町を視察に出かけた。ウィージェニーは医療に関心があり、王都を中心に、新しい病院を作ろうとしているらしい。
各地に総合医療が行える施設を建てる案をウィージェニーが推し進めようとしているのだ。
(未来ではすでに王都に一つ、病院を作っていたわよね。古い建物を買い取って改装しただけのものだったけど……)
いずれは新しい総合病院を建てると計画を出していたが、なにぶん建造物を建てるのには時間がかかる。そのため、早く取りかかりたいウィージェニーは、施設が建てられるまでの仮の施設として、古い建物を改装して使うことにしたのだ。
最初はなかなか賛同が得られなかった総合病院だったが、はじめて半年もしないうちにその評価はひっくり返った。
ウィージェニーは王太子グラシアンの地位を脅かしたいのかと思うほどに積極的に動き回り、その名声を高めていたのだ。
クラリスは、自分を殺したウィージェニーにはいい感情は抱けない。だが、彼女が頭脳明晰であることは、間違いない。やっていることも、国のため、人のためになることなので、否定しようがないものだった。
(複雑だけど……ウィージェニー王女のおかげで助かった人もいるのだし……)
その一方で、邪魔だと思ったもの――例えばクラリスの命をあっさり摘み取ろうとするウィージェニーのことは、正直まったく理解できない。命を大切にしたいのか、それとも粗末にしたいのかよくわからなかった。
だからだろうか。つい、疑った目で見てしまう。
ウィージェニーが医療の発展に力を注いでいるのは、果たして国民のためなのだろうか、と。
(って、こんなことを考えたらだめよね)
こんなことばかり考えていると、ウィージェニーと顔を合わせたときに失礼な態度を取ってしまうかもしれない。相手は王女なのだ。クラリスが失礼を働けば、最悪、ブラントーム伯爵家に累が及ぶ。気をつけなければ。
午前中の仕事を終えて、一度自分に与えられている部屋へ戻ろうと廊下を歩いていると、前方からアレクシスがやってくるのが見えた。
「ああ、クラリス。ちょうどよかった。今から会いに行こうと思っていたんだ」
花をめでる会の日から、アレクシスが仄暗い表情をすることはなくなった。にこにこと微笑みながらクラリスのそばまで歩いてくる。
「午後から余暇をもらったんだけど、クラリスも休みだろう? 近くの川にでも行かないか? 涼しくて気持ちがいいんだ」
(こんなに都合よく休み時間がかぶるなんて……王妃様と殿下が示し合わせたのかしら?)
あの二人はクラリスとアレクシスの関係を心配していて、何かあるたびに二人の時間を作らせようとするのだ。善意だとはわかっているが、変に気を回されすぎると困ってしまう。
(でも……別れるのなら、アレクシス様と一緒にいられるのもここにいる間だけだものね)
まだ心が揺れているが、別れなければ同じ未来を迎えることになるかもしれない。もしかしたら違うかもしれないという淡い期待に安易に流されてはいけないのだ。
(この一か月で、優柔不断なこの感情にも区切りをつけなくちゃ)
何とかしてアレクシスを大嫌いになれないかと考えたこともあったが、それはもう不可能な気がしている。ならば、恋心を抱えたままでもいい。自分の中できちんと区切りさえつけられれば、恋心はいつか思い出にかわるだろう。
「予定もないですし、いいですよ」
「じゃあ、昼食を食べたあとで、玄関で待ち合わせよう。歩きやすい格好をしてくるんだよ。ドレスだとレースを小枝に引っ掛けてしまうかもしれないからね」
「確かにそうですね」
侍女の仕事をしているときは華美なドレスではないけれど、伯爵令嬢にふさわしい格好をしている。多少レースやリボンもついているので、小枝にひっかけて無残なことになるのは避けたい。
(部屋着のワンピースがあったからそれでいいかしら?)
靴もヒールのないものに履き替えた方がいいだろう。
足元を確認しながらそんなことを考えていると、アレクシスが身をかがめて耳元でささやいた。
「まあ、俺が抱きかかえて歩いてもいいんだけどね」
甘い声とそのささやきに、クラリスの顔がボッと赤くなる。
恥ずかしくなって思わず耳を抑えて身を引いた瞬間、ヒールの先端を絨毯に引っ掛けてしまって、クラリスの体がぐらりと傾いだ。
「おっと」
アレクシスがクラリスの腰に手を回して体を支えてくれる。
「急に後ろに動いたら危ないよ?」
「――――っ」
揶揄うように目を細めて、アレクシスがやはり近い距離でささやいてくる。
(絶対わざとやってるんだわ! 意地悪!)
アレクシスはクラリスの反応を見て楽しんでいるのだ。
クラリスがむっと口をへの字に曲げると、アレクシスが少しだけ体を離した。
「それじゃあ、あとでね」
クラリスが怒り出す気配を察したアレクシスは、怒られる前にそそくさと退散することにしたらしい。長い付き合いなので、どのタイミングでクラリスが拗ねるかを熟知しているのだ。
(もう!)
昔からこうだ。未来でもこうだった。
(文句を言う前に逃げるんだから、ずるい!)
クラリスは口をとがらせて、どこか楽しそうな足取りで去っていくアレクシスの背中を小さく睨んで、それからそっと息を吐き出す。
ちょっとムッとしたけれど、こんなやりとりは嫌いではなくて――
(やっぱりずるい……)
アレクシスは、こんな些細なやり取りでもクラリスの心をとらえて、離してはくれないのだ。
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