決着 7

 グラシアンが先ほど説明した通り、ウィージェニーはずっと王太子の地位がほしかった。

 ブラントーム伯爵家へ来る前にウィージェニーの身柄を拘束して来たそうだが、彼女は黙秘を続けていて、直接確認できたわけではないが、それは確実らしい。


 グラシアンが集めた証拠によると、ウィージェニーが最初にグラシアンの命を狙ったのは今から二年前だそうだ。

 ちょうど、ウィージェニーがジョアンヌの手伝いもかねて花をめでる会に参加を決めた年だという。


 珍しい植物が好きだと言って、ウィージェニーは自身の温室に他国から仕入れた植物を集めはじめた。

 見た目が可愛らしいものから醜悪なものまで、そこに統一性はないように見えていたという。

 だから最初は気にも留めなかったそうだが、ある日、グラシアンの部屋に飾られた花の中に、これまで見かけなかったものがあった。それが気がついたきっかけだったそうだ。


「甘い香りのする花でした。殿下が気分が悪いとおっしゃって、ジェレットとともに調べたところ、その花の香りに幻覚作用があることがわかったんです。もっとも、ただ花の香りを嗅いだだけではそれほど大きな反応は現れませんが、ずっと嗅ぎ続けていると、徐々に症状がではじめます。依存性もある、危険な花でした」


 輸入禁止植物には該当していないというが、南の国ではその花の香りを呪術的な儀式に用いて、対象者の意識を混濁させるために使用されているとアレクシスが言う。

 グラシアンが出所を調べたところ、ウィージェニーの温室からだと報告が上がった。いい香りの花だからグラシアンにも分けてあげたいと言って、メイドに飾るように指示したという。

 だが、花を育てているウィージェニーが、その花の特性について知らないはずがない。


「花の危険性を理解しての行動だとすぐにわかりました。ですが、殿下が、下手にここで問い詰めるのは得策ではないだろうと、しばらく泳がしてみることにしたんです」

「どちらにせよ、その花だけではウィージェニーを罪に問うことはできなかったからな」


 グラシアンが肩をすくめる。

 そして泳がしているうちに、ウィージェニーは、自分が関与している証拠を残さないようにうまくカモフラージュしながら、何度もグラシアンを狙って来たと言う。


「毒物の頻度は少なかったですね。直接命を狙ってくることもありましたが、はじめのころは、王太子の地位から蹴落とそうとする動きの方が多かったんですよ。外遊先で殿下のミスを誘うようなことが起こったり、殿下に報告されるべき事柄が通っていなかったり。小さなものから、下手をすれば王太子の素質を問われそうな大きなものまで、上げればキリはありませんが」

「あの医療施設の件もそうだ。ちょうど私が宰相と医療体制の見直しを検討していた時に、嫌なタイミングで持ってこられた」

「あれは痛かったですね。医師不足解消のために、分野ごとに分けて医師資格の取得の難易度を下げようとしていた時に、まさか医療技術の低下を打ち出してこられるとは思いませんでしたよ」

「医師の技術力の低下は私も問題視していたが、まずは裾野を広げてからだと考えたのがあだとなったな。私の案の穴をうまく突かれて、危うく無能者のレッテルを張られるところだった」

「殿下がうまくウィージェニー王女の案に乗る形でかじを切られたので、被害は最小限に抑えられましたけどね」


 主従が顔を見合わせて揃って息を吐く。

 だが、話している内容からすれば脱線したものなので、フェリシテがこほんと小さく咳ばらいをした。


「その話はあとでいいから、続きをお願いするわ」

「そうですね。アレクシス、続きを」

「はい」


 グラシアンが苦笑して、アレクシスに続きを促す。

 ウィージェニーがそうやって、裏でグラシアンの地位を脅かそうと動いていた。

 そして、それがなかなかうまくいかないとわかると、今度は物理的にグラシアンを追い落とすことにしたそうだ。――つまり、命を奪う方に舵を切ったらしい。


「ウィージェニー王女から狙われる危険があったのは、殿下と、そしてマチルダ王太子妃殿下でした。けれどここでもう一つ誤算が」

「誤算?」


 クラリスがきょとんとして首をひねると、アレクシスが言いにくそうにクラリスから視線を逸らす。


「クラリス、君も狙われはじめたんだ。馬車の事故に巻き込まれたのも偶然ではなかったんだよ。そして、先日の侵入者――、ある程度は覚悟していたけど……」

「アレクシスが私の側近である以上、その婚約者だったクラリスも巻き込まれる可能性が高かった。だから警戒していたのだが、事態は思わぬ方向に流れたと言うわけだ」

「思わぬ方向……?」


 グラシアンの腕の中で、マチルダが顔をあげる。

 グラシアンが肩をすくめた。


「ウィージェニーがアレクシスに惚れ込んだんだ」

「そうね。薄々は気づいていたわよ」


 フェリシテが微苦笑を浮かべてクラリスを見る。


「クラリスが一時期アレクシスと距離を取りたがっていたから調べさせたの。そこでウィージェニー王女とアレクシスの関係を疑ったのだけど、ウィージェニー王女はともかくアレクシスは深入りしていないように見えたから大丈夫だと思ったのだけど?」


 クラリスは目を丸くした。


(フェリシテ様が動いてくださっていたなんて、気づかなかったわ……)


 心配してくれているのはわかっていたが、まさかそこまで気を使ってもらっていたなんて思わなかった。

 ふんわりと心が温かくなるのを感じながらフェリシテを見ると、にっこりと微笑まれる。それからフェリシテはグラシアンとアレクシスに視線を移した。


「概ね母上の調べた通りだと思いますが、念のため補足しておきます。アレクシスにはウィージェニーの動向を探らせていたんです。陰ではジェレットが動いていましたが、ジェレットに気づかれないようにするために、アレクシスには表立ってウィージェニーとの接点を増やしてもらっていました。結果どうやら、ウィージェニーはアレクシスに心を奪われたようですね。この男は顔もよければ人当たりもいいので、騙される女が多いんです。本当は粘着質で面倒くさいというのに」

「殿下、クラリスの前で余計なことを言わないでください。俺はちゃんと好青年ですよ」

「自分で言うな! ……とまあ、そういう理由で、ウィージェニーはクラリスを邪魔に思っていたんですよ。こちらは私と違い、それほど用心しなくていいと思っていたのでしょう。あのように白昼堂々馬車の事故を装って狙ってくるとも、子飼いの男を夜中に侵入させてクラリスを殺そうとするなんて強引な方法を取るとは思いませんでしたがね」

「思わなかったではすまないでしょう? どちらも、一歩間違えていればクラリスは死んでいたのよ⁉」

「わかっています。それについては私の考えが甘く、クラリスには怖い思いをさせてしまったと心から反省していますよ。悪かった、クラリス」

「い、いえ……」


 クラリスは首を横に振りながら、そっと胸の上を抑える。

 命が狙われたことよりも、クラリスは二人の話しの続きが知りたくて仕方がなかった。


 もしかしたら――、もしかしたら、一度目の未来でも、アレクシスは……。


 すがるようにアレクシスを見上げると、彼はグラシアンに目配せしてから話を続けた。


「ウィージェニー王女を油断させるため、俺は王女の護衛騎士に移動することにしました。近くにいた方が証拠集めも楽ですからね」

「でも急に移動したら、逆に怪しまれるのではなくて?」


 マチルダが誰もが思いつくだろう疑問を口にしたが、グラシアンは首を横に振った。


「それはない。ウィージェニーはアレクシスが私の側近に戻ってから何度も自分の護衛にほしいと言って来ていたし、何より、アレクシスの心が手に入ったという確証があったんだ」

「どういうことですの?」

「香りだ」

「香り?」


 クラリスが首を傾げると、アレクシスはポケットから小さな香水瓶を取り出した。


「これはウィージェニー王女の部屋から押収したものです。ウィージェニー王女がいつからか甘い香りをまとっていたの知っていますか? あれは、この香水の香りです。二年前に殿下の部屋に飾られた幻覚作用のある花から作られた特殊な香水。軽く嗅いだだけでは眩暈を覚えるくらいのものですが、嗅ぎ続けると軽い意識の混濁、動悸、息切れなどの症状が現れます。そしてその症状は、脳にある錯覚を及ぼす――」

「端的に言えば、惚れ薬だ。麻薬成分入りのな。アレクシスにはこの香りの影響が出ているそぶりをさせていたんですよ。だからウィージェニーは疑わなかった。香りの影響で、アレクシスが自分に心を奪われたのだと錯覚したんです。こちらは事前にその影響を中和する薬を侍医頭に処方してもらっていましたから、もちろんアレクシスには香りの影響は出ていません」


 クラリスは、ゆるゆると目を見開いた。


(じゃあ、やっぱり――)


 もし、一度目の未来でも、アレクシスが同じようにグラシアンの指示で動いていたとしたら。

 香りの影響で、ウィージェニーに心を奪われたそぶりをしていたのだとしたら。


(アレクシス様は、浮気なんてしていなかった……?)


 もちろん、一度目の未来に戻って事実を確認することはできない。

 だが、未来でクラリスが殺された日の朝まで、アレクシスはいつも通りだった。優しい夫のままだった。彼が心変わりした兆候は、まったく感じられなかったのだ。


 ホッとしたような、泣きたいような――言いようのない安堵感と幸福感、そして疑ってしまったことへの罪悪感が胸の中に渦巻いて、クラリスは視線を落とす。そうしないと泣いてしまいそうだった。


 クラリスの心情をわかっているのかいないのか、アレクシスがクラリスの頭を胸に抱き込むように抱き寄せる。


「俺がウィージェニー王女の護衛騎士に移動になって、香りの影響が出ているそぶりを続けていたからか、安心したのでしょうね。本格的にクラリスの命を摘み取りに行ったようです。何があっても大丈夫なように伯爵家周辺は見張らせていたのですが、上手くかいくぐられました。……さすがに俺も、我慢の限界で……」

「放っておけば、アレクシスがウィージェニーを殺しかねなかったため、行動を急ぐことにしたんだ。私としてもこれ以上のんびりとしていられなかったからな。相手の出方を窺って後手に回った結果、マチルダやエメリックに何かあれば後悔してもしきれない。だから、こちらから罠に嵌めることにしたんですよ」


 それが、今日だったらしい。


「伯爵家に侵入した男も捕らえました。あの男は、去年別荘でマチルダ王太子妃殿下の部屋に侵入した男でもあったようで、こちらは尋問すればあっさり口を割りましたね」


 ウィージェニーが口を割らなくても、男からある程度情報は引き出せたらしい。

 それにより、グラシアンの毒殺計画と――そして、母親であるジョアンヌ、そして協力者だった侍医の殺害にもウィージェニーが関与していたこともわかったらしい。


「ジョアンヌは自殺ではなかったの?」


 フェリシテが愕然と目を見開く。

 グラシアンが首を横に振った。


「殺されたんですよ、実の娘にね。動機はウィージェニーに口を割らすしかないですが、ウィージェニーが毒を盛らせて殺したのは間違いないようですね」

「そんな……」


 さすがに想像しえなかったのだろう、フェリシテが両手で顔を覆って俯いた。

 クラリスもアレクシスの腕の中で茫然としてしまう。


(実の母親まで、殺したの……?)


 そうまでして、ウィージェニーは玉座がほしかったのだろうか。


「捕らえた男が口を割ったので、わかっていなかった部分についても情報が集まりました。あとはウィージェニーを尋問して、より詳しい内容を聞くだけです」

「……そう」


 フェリシテはもう、何も言わなかった。

 グラシアンは確かに無茶をした。ウィージェニーを捕えるためとはいえ、王太子が毒とわかっていて口にするのは間違っている。だが。そこまでしなければ、ウィージェニーを捕えることはできなかったのだろう。


 マチルダも、たくさん言いたいことがあるのに言えないという顔で黙り込んでいた。

 このままウィージェニーを放置していれば、いずれ息子のエメリックまで狙われていた可能性があるとわかれば、何も言えないだろう。グラシアンがしたことは無茶だが、妻と子を守るためだったと言われたら怒れない。アレクシスとグラシアンの話でウィージェニーの異常性を知った今なら、余計に。


「今日話せる内容についてはここまでです。マチルダ、城に戻ろう。母上も、父上が憔悴しているからそばについてあげてください」

「……ええ、そうね」


 ウィージェニーは罪を犯したが、王にとっては大切な娘だ。その娘が、妃を殺し、息子の命を狙ったと知った王の心は、クラリスには推し量れないものがある。


「アレクシスは今日はこのままここで過ごして構わない。いろんなことがあったんだ、クラリスの側についていてやれ」


 グラシアンがそう言ってマチルダを支えるようにしながら立ち上がる。

 玄関まで見送ろうとしたクラリスだったが、グラシアンから大丈夫だと言われて、その言葉に甘えることにした。

 なんだか放心してしまって、まともに動けそうになかったからだ。


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