決着 8
夜――
クラリスはベッドの縁に座って、ぼんやりと壁紙の模様を数えるでもなく数えていた。
ニケが連行されて、エレンもどこかぼんやりしている。
入浴後クラリスの髪を乾かしながら「……いい子だったんですけどね」とぽつりとつぶやいたエレンの言葉は、クラリスの心も代弁していたと言えよう。
本当に、いい子だったのだ。
明るくて気が利く、可愛らしい子だった。
もちろん、「いい子」という理由で罪が許されるわけではないけれど、やっぱりやるせないものがある。
そして、気落ちしているエレンに、今日はもういいから早く休むように告げて、クラリスはぼんやりとアレクシスがお風呂から上がるのを待っていた。
今回の件の後始末が終われば、アレクシスは今度こそ仕事を辞めて、伯爵家の些事に専念するという。そうなればクラリスももちろん侍女の仕事を辞すから、予定通り、伯爵家を継ぐ勉強をしつつ二人で忙しくものんびりとした毎日を送ることになるだろう。
一度目の未来でクラリスの命を奪ったウィージェニーが捕縛されたことで、この先の未来も変わったと思っていいのかもしれない。
そう思うとなんだか気が抜けたような、変な感じがした。
安堵感とも似ているが、それよりも、本当に肩の力が抜けたというか、まだにわかには信じられない気持ちというか、とにかく、ぼーっとしてしまうのだ。
「クラリス、どうしたの? 気分でも悪い?」
タオルで髪のしずくを拭う動作をしながら、アレクシスがバスルームから出てきた。
湯上りで暑いのだろう。バスローブは着ているが、胸元をかなり寛げている。
アレクシスはクラリスの隣に座ると、心配そうに顔を覗き込んできた。
「いろいろ聞いたから気疲れしているんだろう?」
「大丈夫ですよ」
感情の整理が追い付かなくてぼんやりしてしまうが、疲れているのとは少し違うのだ。
クラリスはこてんと、湯上りで火照っているアレクシスの肩に頭を預ける。
「なんて言えばいいのか……終わったんだなって、思って」
「ああ、そうだな。全部終わった」
アレクシスの言う「終わった」とクラリスの「終わった」は少し意味合いが違うけれど、それをアレクシスに伝えるつもりはない。
ただ、過去に巻き戻ってくるという不思議な体験は、クラリスが思っていなかった方へ着地して、その結果がいまだに信じられないでいる。
(この先も、ずっとアレクシス様といられる……)
少なくとも、一度目の未来と同じ形で命を落とすことはなくなったはずだ。
アレクシスがいつか語ってくれた夢のように、互いに年老いてもずっと隣にいられるだろうか。
アレクシスの手が、優しくクラリスの頭を撫でる。
クラリスはそっと目を閉じて、アレクシスの肩に体重を預けながら口を開いた。
「あのね、アレクシス様。……去年は、ごめんなさい」
「うん?」
「アレクシス様が、浮気してわたしを捨てるって、言ったこと」
そんなことは、なかったのだ。
今も、そして一度目の未来でもきっと違った。
ウィージェニーの刺客の言葉を鵜呑みにして、絶望して死んだ一度目の未来では、そのことに気づけなかった。
裏切られると決めつけて、アレクシスに失礼なことを言って、傷つけた。
クラリスの心がもっと強ければ、アレクシスを信じることができたかもしれないけれど、そこまでクラリスは強くなかったから。
(でも、もう疑ったりしないわ)
アレクシスは、クラリスを大切にしてくれている。一度目の未来でも、それをきちんと理解していたのに。
「もういいよ。俺もクラリスを不安にさせるようなことをしたのかもしれないし。こうしてクラリスがここいるから、それでいい」
くすぐったそうに笑うアレクシスはやっぱり優しくて、クラリスはちょっぴり泣きたいような気持で彼にすり寄る。
引き寄せられて、ごく自然に唇が重なった。
「俺は生涯、クラリスだけだよ」
その言葉を疑う日は、もう来ないだろう。
唇を重ねながらささやかれる優しい言葉。
クラリスはどうしようもないほどの多幸感に包まれながら、微笑んだ。
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