王妃様に侍女をやめたくないと言ってみた 1

「なんだか機嫌がよさそうだね」


 王城からの帰りの馬車の中。

 アレクシスが若干の訝しさを含んだ声でそんなことを言った。

 帰宅するころに迎えに来ると宣言した通り、クラリスが侍女の仕事を終える夕方にアレクシスが迎えに来た。

 そして、なんと明日から送り迎えをすると勝手に決められたのだが、まあいい。今のクラリスはアレクシスに言い当てられた通り機嫌がいいのだ。


(ふふん、婚約を解消してくれないなら、結婚をずるずると先延ばしにすればいいだけの話しなのよ)


 クラリスは考えたのだ。

 記憶では、クラリスは半年後に結婚準備のために侍女をやめる。が、もしやめなかったらどうなるのだろうか、と。


(王妃様にお願いして侍女を続けさせてもらえば、結婚を先延ばしにできるかもしれないもの)


 侍女を続けると結婚できないと言うわけではないけれど、アレクシスの場合はクラリスと結婚するということはブラントーム伯爵家の婿になって跡を継ぐ準備をはじめると言うことである。クラリスの父に伯爵家のことを学ぶため忙しくなり、クラリスもアレクシスを支える仕事を求められる。

 実際、結婚後はそうだった。アレクシスについて領地へ行ったり来たりし、忙しい日々を送っていたのだ。


 しかしクラリスが侍女をやめなければ、アレクシスとともに領地の細々とした仕事をすることができない。すると結果として、侍女が辞められる時期まで結婚が延期される可能性があるのである。

 安直と言われるかもしれないが、これが意外とうまくいくはずなのだ。


 問題は侍女を続けさせてもらえるかどうかだが、クラリスが辞す予定の三か月前にブリュエットが結婚準備で侍女をやめる。レオニー夫人以外の侍女はみんな入って日が浅く、ブリュエットの次の古参がクラリスなのだ。勝手を知っている侍女が一度に抜けるのはフェリシテとしても困るはず。だから交渉の余地はある!


(いつまでも逃げ回っていたらそのうち諦めてくれるわよ)


 クラリスが結婚しなければブラントーム伯爵家の跡継ぎに困るが、伯爵家ともなれば親戚なんて吐いて捨てるほどいる。叔父か叔母のところから養子を取るなりすればいいのだ。

 アレクシスとの結婚を回避し、彼への恋心が鎮火するのを見計らって、クラリスが親戚の誰かと結婚したっていい。アレクシスと結婚さえしなければ、裏切られることも殺されることもないはずなのだから。


「何かいいことがあったの?」


 ほくほくと思考に没頭していると、アレクシスがにこにこしながら手を握って来た。

 朝のほの暗い色をした瞳は鳴りを潜め、いつもの優しい彼の碧い瞳に戻っている。


「何があったの? 教えてよ、クラリス」


 いつも通りの優しい彼についドキドキしてしまうのが悔しい。


「な、なんでもありませんわ」


 顔が赤くなりそうになって、クラリスは馬車の窓外を見るふりをして顔をそむけた。


「秘密にしなくてもいいだろう? ねえ、教えてよ」


 教えてと言われても、アレクシスとの結婚を先延ばしにする方法を考えていたなどと言えるはずがない。そんなことを言おうものならアレクシスが激怒して、意地でも阻止しようとするだろうからだ。


「……花をめでる会のことを考えていただけです」


 ほかに適当な話題がないので、クラリスは苦し紛れに言ったが、アレクシスはあっさり騙されてくれた。


「ああ、もうすぐだね。当日は俺も殿下について出席するよ」


 花をめでる会は王族以外にも、貴族が大勢やって来る。妃たちが育てた花を観賞する以外に、お茶やお菓子が出されるので、規模の大きなガーデンパーティーのようなものなのだ。


「今年はどんな花を展示するの?」

「まだわかりません」


 情報が漏れるといけないので、どの花を飾るかはギリギリまで知らせない。未来の記憶があるためクラリスは虹色の薔薇を展示すると知っているが、本当ならばまだ教えられていないのだ。そして、教えられた後も侍女たちには秘密保持の義務がある。いくら婚約者と言えども秘密は教えられない。


「でも、今年もクラリスは花を頭に飾って参加するんだろう?」

「それは……そうなると思います」


 花をめでる会では、妃は頭に生花を飾るのが習わしだ。フェリシテはどうせならみんなで楽しみましょうと、例年侍女にも生花を飾らせる。


「去年は百合を飾っていたよね? 今年はどうするの?」

「王妃様にあわせることになると思います」


 記憶では、フェリシテは今年は髪にも虹色の薔薇を飾る。侍女たちはそれに合わせて色とりどりの薔薇を髪に挿すはずである。


「俺が送った花を飾ってもらえればいいのに……」


 アレクシスがそう言って、クラリスの焦げ茶色の髪に触れた。恭しく一房を手に取ると、髪にチュッと口づける。

 髪には神経は通ってないはずなのに、ビリッと体がしびれたような不思議な感じがした。


(……どうしてこういうことをするの?)


 クラリスは早くアレクシスへの恋心を消し去って、彼と婚約を解消したい。それなのに、こんなにドキドキすることをされたら、一生懸命封印している恋心が溢れ出してきそうになる。

 いったいどこで間違ってしまったのだろう――、考えたところで仕方のない問いが、頭の中をよぎりそうになるのだ。


 どうしてアレクシスは、未来で心変わりをしたのか。

 クラリスはどうすればアレクシスの心をウィージェニーに奪われずにすんだのか。

 もしかして、クラリスが悪かったのだろうか。

 いつから、アレクシスはクラリスから心が離れはじめたのだろう――


 そんなこと、いくら未来の記憶があるからってわかるはずがない。

 クラリスが知っているのは事実だけで、アレクシスの心はわからないからだ。


 アレクシスが心変わりしない方法を見つけることができたら、もしかしたら幸せな結婚生活が送れるのではなかろうかと、弱い自分が逃げようとする。

 殺された時の恨みや絶望が胸の中で渦巻いているのと同時に、ずっと抱え続けてきた恋心もまた、同じように存在しているから。


 今目の前にいるアレクシスは、クラリスのことを確かに愛してくれているのだろう。

 だからこそ、揺れてしまう。甘えたくなってしまう。


(しっかりしないと……また同じ未来を迎えるの?)


 アレクシスはまだクラリスの髪をもてあそんでいる。

 拒絶しないといけないのに今声を出すと震えてしまいそうで、クラリスはせめてもの抵抗にそっと目を閉じた。



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