王妃様に侍女をやめたくないと言ってみた 3

「お前、いったい何をしてクラリスを怒らせたんだ?」


 グラシアンが休憩すると言うのでアレクシスがつき合っていると、彼は唐突にそんなことを言った。

 グラシアンの執務室に用意された紅茶を飲みながら、アレクシスが肩をすくめる。休憩を理由にグラシアンの補佐をしている文官たちは追い出されたので、部屋の中にはグラシアンとアレクシスの二人だけである。


「だから、わからないって言ってるじゃないですか」


 クラリスが急に別れたいと言い出したと言うことは、何かしらの原因があるとはアレクシスも思っているが、それが何なのかはいまだにさっぱりわからないのだ。


「だがなぁ、侍女を辞めたくないとまで言い出したってことは、よほどお前との結婚が嫌なんだとしか思えないんだが」

「は?」


 アレクシスはティーカップを持ったまま動作を止めた。


「今なんておっしゃいました?」

「だから、お前との結婚が嫌なんだとしか――」

「そっちじゃなくて!」

「ああ。クラリスは侍女を辞めたくないと母上に言ったらしい」

「なんですって?」


 アレクシスは茫然とした。

 侍女を辞めたくないと言うことは、少なくとも予定している一年後に結婚をするつもりがないということと同意である。

 クラリスの場合は、結婚と同時にアレクシスがブラントーム伯爵家を継ぐ準備に入る。妻として、そして伯爵家の一人娘として、クラリスはアレクシスについて伯爵領を行ったり来たりすることになるのだ。とてもではないが、侍女を続けることはできない。


「聞いていませんよ……」

「そりゃあ、お前に言えば反対されるからじゃないのか?」

「だからって!」


 そんな重要な問題を、こそこそと裏で画策されていたという事実に動揺してしまう。それと同時に、クラリスから別れ話をされてから時折感じるほの暗い感情が胸の奥から溢れ出しそうになった。


「おい、怖い顔になっているぞ。その顔を見せたらクラリスが怯えるだろうから気をつけろよ」

「……わかっています」


 うっかりクラリスの前で怖い顔をしてしまったことはあるが、アレクシスだって愛しい婚約者を怯えさせるのは本意ではない。できることならこのほの暗い感情もクラリスの前では封印しておきたいのだ。けれど、自分の意思で止められないことだってある。


(でも、侍女を辞めたくないなんて……)


 アレクシスが婚約解消に同意しなかったから、強硬手段に出たのだろうか。そうすればアレクシスがクラリスを諦めるとでも?


(逃げるなら地獄の果てまで追いかけるって、言っただろう?)


 逃げようとしても絶対に逃がさない。クラリスの前でしっかり宣言したのに、彼女はそれをきちんと理解していなかったようだ。


「だから、そんな顔するなって。母上はその話は保留にしてお前に相談するように言ったらしいから、どこかできちんと話し合って、妙なわだかまりが残らないようにしろよ?」

「ええ、わかっています」


 アレクシスだってこのままではいけないことくらいわかっていた。だが、原因が何もわからないから困っているのだ。


(触れると赤くなるし、俺への気持ちが冷めたわけではないと思うんだが)


 嫌悪されているわけでもないはずだ。


(愛情表現が足りなかったのだろうか……?)


 クラリスへの気持ちは隠したことはないが、アレクシスも忙しい身だ。仕事で会えない日が続いたこともある。もしかして、それが原因なのだろうか? だが今は、グラシアンの計らいでクラリスと会える時間が増えたし、結婚したら騎士の仕事は辞めるから、一緒にいられる時間はぐんと増えるわけで――そう考えると時間が理由ではない気もする。


「まあいい。侍女の仕事の件はクラリスから直接聞け。それで、例の件だが――」


 グラシアンが声の調子を落とすと、アレクシスも表情を引き締めた。


「何か動きが?」

「ああ。そろそろ仕掛けてくるだろうなとは思っていたが、予想通りだな」

「マチルダ様の方に接触があると困りますから、輿入れ前ですが護衛騎士の手配もした方がいいかもしれませんね」

「ああ。信用のおける女性騎士を数名つけてくれ」

「かしこまりました」


 グラシアンは指先で眉間をもみながら、はあと息を吐きだした。


「さっさと尻尾を出してくれれば動きやすいのに、あれはなかなか狡猾で困る」

「こちらから仕掛けますか?」

「いや、下手につついて警戒されるとやりにくくなるからまだいい。マチルダの安全を最優先にしてくれ。私に嫁ぐんだ、否が応でも巻き込まれる」

「このことはマチルダ様には?」

「言っていない。言う必要もない」


 言えば怯えさせるだけだというグラシアンに、アレクシスはもっともだなと頷く。もし自分がグラシアンと同じ立場でも、クラリスには何も教えなかっただろう。

 アレクシスはふとグラシアンの執務机の上に置かれている一輪挿しに目をやった。


(もうじき花をめでる会か。……何事もないといいんだが)


 大勢の貴族が集まる場で、表立って騒ぎを起こすようなことはないと思いたいが、フェリシテの侍女として花をめでる会に参加するクラリスがいるからか、どうしても不安に思ってしまう。


(念のため、花をめでる会の警備は厳重にしておくか)


 花をめでる会は二週間後。

 来週には会場となる城の前庭の設営がはじまる。

 設営時に妙な仕掛けをされないように、設営段階から騎士を配置していた方がよさそうだ。


(騎士団長に相談してみるか)


 騎士団長は普段は国王の護衛任務についている。安全のためだと告げれば、手の空いている騎士を派遣してくれるだろう。国王や妃たちが参加する催し物は特に気を遣うので、怪訝にも思うまい。


(クラリスのことだけ考えていたいのに、そうもいかないから嫌になるな)


 アレクシスはこっそりと嘆息した。



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