決着 4
「殿下‼」
グラシアンの体が、ぐらりと傾ぐ。
アレクシスの叫び声と、侍女があげる悲鳴を聞きながら、どさりと絨毯の上に倒れたグラシアンは、こぽりと口から血を吐き出した。
「侍医頭を呼べ! 急げ!」
アレクシスが怒鳴り声をあげて侍女を執務室から追い出す。
アレクシスと二人きりになった執務室で、グラシアンは、鮮血で赤く染まった口を、静かにつり上げて笑った。
☆
「ちょ、ちょっと待ってください‼ どういうことですか⁉」
しばらく茫然と立ち尽くしていたクラリスだったが、ハッと我に返ると、マチルダをかばうように両手をあげて騎士の前に立ちはだかった。
「意味がわかりません! どうしてマチルダ様が……!」
「クラリスの言う通りです。説明なさい」
フェリシテが立ち上がり、毅然と騎士を睨みつける。
フェリシテに肩を抱かれたマチルダは蒼白になっていた。
逃亡を恐れるように数人の騎士がサロンの扉の前に立っている。
この隊の隊長なのだろう、一人だけ腕章をつけた騎士が、険しい表情のまま言った。
「一時間ほど前、殿下が毒物に倒れられました」
「なんですって⁉」
フェリシテが悲鳴のような声をあげる。
マチルダもさっと顔を強張らせた。
「それで、殿下は……」
「未だに意識は戻られません。ウィージェニー王女殿下の指示で毒の経路を調べた結果、王太子妃殿下、あなたの部屋から殿下に盛られたのと同じ毒が発見されました」
「そんな馬鹿なことがありますか!」
クラリスは即座に否定した。
クラリスもマチルダの侍女として勤めていたのだ。彼女の部屋にあるものは把握している。
もちろん怪我でしばらく休んでいたし、フェリシテの部屋に移動になったから、新しく入れられたものはわからないが、クラリス以外の侍女もいたのだ。毒物が部屋に持ち込まれるはずがない。
(第一、どうしてマチルダ様がグラシアン殿下を殺害しようとするのよ!)
マチルダはグラシアンを愛している。そしてグラシアンもだ。何故マチルダが愛する夫を殺害しなければならない。
クラリスが騎士と睨み合っていると、騒がしさに目を覚ましたのだろう、エメリックが目を覚まして、火がついたように泣き出した。
乳母がクーハンからエメリックを抱き上げ、部屋の隅に移動してあやしはじめる。
フェリシテがマチルダと、それからエメリックに視線を投げて、そっと息を吐きだした。
「それだけだと、状況がよくわかりませんね。いいでしょう。ひとまずわたくしたちはここにおります。動かなければそれでいいのでしょう?」
グラシアンの安否が心配でないはずがないのに、フェリシテが青ざめた顔をしながらもそう判断すると、騎士がホッと息を吐きだした。
「申し訳ございません。陛下の指示があるまでは、どうか」
(つまり、これは陛下の指示ではないのね)
すると、騎士が押しかけて来たのはウィージェニーの指示と言うことでいいのだろうか。真偽のほどはわからないが、マチルダの部屋で毒を見つけて、取り急ぎ逃亡を恐れて身柄の確保に動いたのだろう。
「お義母様、殿下は……」
血の気の引いた顔で、マチルダがフェリシテに肩を撫でられながら力なく何かを言いかける。
フェリシテは首を横に振って、元気づけるように笑った。
「大丈夫ですよ。じきに目を覚ますはずです。前回もそうだったでしょう?」
「そう、ですわよね……」
マチルダが、白くなるほどぎゅっと手を握りしめていた。
これ以上騎士を踏み入らせまいと、彼の前に立ちはだかったまま、クラリスは深呼吸をくり返す。
そうして動揺した心を落ち着けていると、ふと、アレクシスが言ったことを思い出した。
(そうよ、明日何かが起こるって言っていたわ。その何かがこれなら、きっと大丈夫)
アレクシスは何かが起こると言ったのだ。きっとこれは、彼らの計画のうちに違いない。信じて待っていてほしいと言われたのだから、信じなくてどうする。
「騎士の方は部屋の外に出てください。そろそろエメリック殿下のお食事の時間ですから」
王太子妃の柔肌を見るつもりかと言えば、騎士が慌てたように頷いて部屋から出て行った。
そう言って騎士を部屋から追い出すと、クラリスはマチルダの側に膝をついて、そっと彼女の手に手のひらを重ねる。
「大丈夫です。殿下たちにはきっと、何かお考えがあるはずですから」
クラリスが言うと、フェリシテも少し明るい顔で頷いた。
「ええ、そうね。あの子が夕方までここにいろと命じたのだもの。きっと何か考えがあるのよ」
「そうだと、いいのですが……」
マチルダが、泣くのを我慢するようにぎゅっと目をつむる。
どのくらい経っただろうか。
長いのか短いのかもわからない。
まるで、永遠のように思えた不安な時間が突如として途切れたのは、窓の外が青紫色に染まりはじめた頃だった。
「クラリス‼」
「マチルダ‼」
サロンの扉が壊れんばかりに乱暴に開け放たれて、部屋に飛び込んできた二人を見た瞬間、クラリスはへなへなとその場にへたりこんでしまったのだった。
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