決着 3

 ――昔から、どうしてもほしいものがあった。


 ほしくてほしくて、ずっと焦がれてきたたった一つのもの。

 でもそれは、自分以外の人間が持っていたものだったから――


「だったら、奪い取るしかないでしょう?」


 ウィージェニーは、白く明けていく空を見やりながら、艶然と笑った。



     ☆



 翌日の昼すぎ、アレクシスが言っていたように、フェリシテとマチルダ、そして乳母に抱きかかえられてエメリックがやって来た。


 マチルダの侍女も全員勢ぞろいだ。

 ブラントーム伯爵家のサロンにはとっておきのティーセットが準備されて、準備を終えるとエレンたち侍女は全員部屋の外へ出て行った。

 王妃や王太子妃に同席できるほど、ブラントーム伯爵家の侍女は高度な教育を受けていないと言うのが一点と、もう一つはフェリシテが内輪だけでのんびりと話をすることを望んだからである。


 ここで言う内輪と言うのは、フェリシテとマチルダ、そしてクラリス以外にはマチルダの侍女や乳母だけを指す。ブラントーム伯爵家の使用人は対象外だ。

 クーハンに入れられたエメリックは現在熟睡中なので、乳母も交えてみんなでお茶を楽しむことにした。


「急にごめんなさいね」


 エレンたちが去ると、フェリシテが少し困った顔で謝罪して来た。


「いえ、我が家はかまいませんが、ご予定が急に決まるのは珍しいですね」

「それなんだけど」


 フェリシテはちらりとマチルダに視線を向ける。

 マチルダが肩をすくめて、どこか怒っているような口調で言った。


「グラシアン様が急に、クラリスの家に遊びに行けって言い出したのよ」

「殿下が?」

「わたくしたちが城にいてはやりにくい悪だくみでもしているんじゃないかしら? ねえお義母様?」

「そうねえ、そんな気がするわねぇ」


 悪だくみ、と聞いて、クラリスは昨日のアレクシスの様子を思い出す。


 ――明日が終われば、君にも全部教えてあげるから、だから、あと少しだけ待っていてほしい。


(たぶん、殿下のご命令と連動しているはずよね?)


 すると、マチルダの言う通り、彼女たちが城にいると動きにくいことなのだろう。

 それならそうと言えばいいのに、グラシアンにしろアレクシスにしろ、彼らはどうも妻に詳細を説明したがらない。


(全部終わったあとで教えてくれるらしいけど、出来ればその前に教えてほしいことだってあるのよね)


 クラリスに内密にするのは、内容によっては仕方がないかもしれないが、せめてマチルダには教えてあげればいいのにと思ってしまう。秘密にすることで守っているつもりなのかもしれないが、陰で何かをしている夫たちを見ているのは、あまり気分のいいものではないし、心配なのだ。


「それで、殿下はなんと?」

「夕方まで帰って来るなですって」

「まあ……」


 逆に言えば、アレクシスたちの秘密の企みは、今日の夕方には片が付くということだろう。

 ここまで来れば、妻として、夫を信じて待つことしかできない。


「まあまあ、文句はあとで言えばいいでしょう。それより、夕方までどうしようかしらね。クラリスには、ご迷惑をかけてしまうのだけど……」


 フェリシテが困った顔をしていたのは、ここに長居をする必要があるからだったようだ。

 確かに、王妃や王太子妃が長い間居座っては、ブラントーム伯爵家の使用人の心労は計り知れないものがあるだろう。

 二人とも小さなことで目くじらを立てるような性格ではないが、彼女たちの性格はこの際問題にはならないのだ。伯爵家に王族が遊びに来るなんて、親戚や婚約関係でもない限り、そうそうあることではないのだから。


「時間を潰せるものと言えば、やはりレース編みや刺繍になるでしょうか? 我が家にはそれほど材料がありませんので、必要でしたら急いで持ってこさせますが」


 懇意にしている商会に言えば、すぐに持って来るだろう。王妃や王太子妃が使うと聞けば、目の色を変えるはずだ。妃御用達と銘打てる商品があるのは、商会にとってとても大きなことなのである。


「そうねえ、じゃあお願いしようかしら? お茶を飲んでおしゃべりするだけであと五時間も潰すのは難しいものね」

「かしこまりました。家人に頼んできますね」


 クラリスは一度席を立って、部屋の外の廊下で所在なさげに立ち尽くしているエレンを見つけて苦笑する。用事ができれば呼ぶのに、ずっと待機していたらしい。これでは気が休まらないだろう。


「エレン、布や糸がほしいの。商会に連絡を入れてくれるかしら? 大声では言えないけれど、内々に、王妃殿下と王太子妃殿下がお使いになると伝えて、お店で一番いいものを集めてきてと伝えてくれる? それが終わったら、エレンもゆっくりしてちょうだい。夕方まで刺繍やレース編みをする予定だから、あまり呼びつけることはないと思うの」

「わかりました。すぐに連絡を入れますね」


 エレンに頼んでおけば間違いはないだろう。王妃と王太子妃の名前を聞いた商会が大慌てをするかもしれないが、そこは許してほしい。

 クラリスがサロンに戻ってしばらくして、本当に急いできたのだろう、商会の主がたくさんの布や糸を持ってやって来た。

 ティーセットを一度片付けて、サロンのテーブルの上に次々に布と糸が並べられていく。

 外が暑かっただけではないだろう、額の汗をぬぐいながら、店主がそれぞれの布の特徴を一生懸命述べていた。


「赤ちゃんの肌にも優しいものはあるかしら?」

「そ、それでしたらこちらの絹が……」


 クラリス相手では普通に話ができる店主だが、相手が王妃となれば別である。かなり緊張している様子の店主を見やりつつ、クラリスは内心で「ごめんね」と謝っておいた。

 一通りの説明を聞いたフェリシテとマチルダが、かなりの量の布と糸を購入し、請求書を城に回しておいてほしいと告げる。

 店主が何度も頭を下げて礼を言いながら部屋を出ていくと、サロンの中はさっそく何を作るかで盛り上がりはじめた。


「パッチワークでお布団も作りたいわよね。できるだけ軽い素材がいいわ」

「手袋もいくつか編んでおきたいですね」

「あと、涎掛けも必要ね」


 当然と言えば当然だが、作るものはすべてエメリックのものである。

 手分けをしつつ、レース編みをしたり刺繍をしたりパッチワークをしたりしながら時間を潰していると、あっという間に日が傾きはじめた。


「夢中になっていると時間が早いわね」


 ふと顔をあげたマチルダが窓の外を確認しつつ苦笑する。

 五時間は長いと思っていたが、窓の外は薄いオレンジ色に染まっていた。


「そうね、そろそろお暇した方がいいかしらね」


 フェリシテもそう言いながらかぎ針を置く。

 作りかけのものや使っていない布や糸はすべて城に持って帰るため、クラリスをはじめ、マチルダの侍女総出で片づけをはじめていると、何やら外が騒がしくなってきた。

 クラリスがどうしたのだろうかと顔をあげたとき、執事が血相を変えてサロンに飛び込んでくる。

 王妃や王太子妃がいるのに無断でサロンに入ってくるような無作法をしたということは、相応のことがあったに違いない。


「どうしたの?」


 無作法を叱責するより先に確認したクラリスは、青ざめた執事の後ろから部屋に入って来た大柄な男たちに目を丸くする。彼らは全員、騎士団の紋章の入った騎士服を着ていた。


「あなたたち、何事ですか!」


 フェリシテが眉を寄せて叱責したが、騎士は険しい顔で口を開く。


「マチルダ王太子妃殿下。あなたには、王太子殿下を殺害しようとした嫌疑がかけられています。申し訳ございませんが、身柄を拘束させていただきます」


 クラリスは、息を呑んで立ち尽くした。


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