避暑地へ 1
「クラリス、疲れただろう? 少し休もうか」
アレクシスに手を引かれて、クラリスはカフェへと立ち寄った。
今日はアレクシスに誘われてデートをしている。と言っても、王都の商店街をぶらぶらと歩いているだけなのだが。
花をめでる会から二か月。
ロベリウス国はすっかり夏に彩られて、照りつける日差しもかなり強くなった。
日傘をさしているけれど少し歩けばじっとりと汗をかくくらいなので、カフェで冷たい飲み物が出てくるとホッとしてしまう。
アレクシスに別れるなんて言わないでくれと言われた花をめでる会から今日まで、彼は宣言通りクラリスのために頑張ってくれている。
忙しいのに休みの日には必ずクラリスをデートに誘って、朝夕の送り迎えも継続中。もともと優しかったが、輪をかけて優しくなったアレクシスに、クラリスもあれ以来「別れてくれ」なんて言えなくなっていた。
もちろん、まだ心の中では不安が渦巻いている。
このまま流されるように結婚してしまったら、また同じ未来が訪れるのではないかと言う恐怖はなかなか消えるものではない。
でも、クラリスに優しく微笑みかけてくれるアレクシスを前にすると、別れてほしいとは言えないのだ。信じるのは怖いけれど、信じたいと思う自分もいて、どうしていいのかわからない。
このままではいけない気がするという焦りが生まれては、優しいアレクシスを前に霧散する。その繰り返しだ。
「そう言えば、避暑地にはクラリスも行くんだろう?」
ぱたぱたと手で風を送りながら、アレクシスが言う。彼の目の前のアイスティーはすっかりからっぽで、現在おかわりが持ってこられるのを待っていた。アレクシスは暑がりなので、クラリス以上に喉が渇いていたらしい。
「はい、そのつもりです」
王都は盆地なので、夏場はとても暑くなる。そのため、夏が本番になると国王や妃たちはここから少し北にある避暑地へ移動するのだ。だいたい毎年一か月程度は避暑地で過ごしている。
クラリスもフェリシテの侍女のため、彼女について避暑地に向かうことになっていた。アレクシスもグラシアンのお供で向かうはずだ。
「今年はマチルダ様も一緒なんですよね?」
グラシアンとマチルダの結婚式は秋――あと三か月と少し先に予定されている。そのため、マチルダは城へのお引っ越し作業中だ。一週間の半分ほどを城で過ごすようになっていて、結婚前だがグラシアンとマチルダはほとんど新婚のような雰囲気である。
「うん。殿下と一緒に向かうはずだよ。マチルダ様が行くならクラリスは少し忙しくなるかな?」
「少しだけですけどね」
マチルダは実家から一人侍女を連れてくるはずだが、他の侍女はグラシアンとの結婚後に任命される。
城の生活に慣れるまでが大変だろうからと、フェリシテの侍女から二人ほどマチルダの方に移動されるはずだ。クラリスは以前に希望を出した通り侍女を続けることができなければ、マチルダとグラシアンの結婚式と時を同じくして辞める予定だし、ブリュエットも来月結婚のために辞職するので、マチルダの侍女にはならないが、彼女が結婚するまではフェリシテの頼みでマチルダが城にいるときの侍女も兼任していた。フェリシテの侍女として働いていた時間の三分の一ほどが、マチルダの侍女としての仕事にあてられている。
(といっても、マチルダ様が連れて来られるエディンソン公爵家の侍女はしっかりした方だから、あまりすることはないんだけどね)
勝手が違う部分を説明したり、侍女が一人では対応しきれないところを助けたりするくらいなものだ。マチルダは侍女に無理を言うような性格ではないので困ることもない。
運ばれてきたアイスティーのおかわりを飲みながら、アレクシスが笑った。
「それなら今年も自由時間があるだろうし、一緒にすごせる時間も多そうだね」
侍女とは言え、交代で仕事をするので、仕事中以外は自由時間だ。羽目を外しすぎなければ、散歩に行こうと、たまたま一緒に避暑地で仕事をしている恋人とすごそうと咎められることはない。
(さすがに、仕事もないのに婚約者を連れて行くのはダメだけど……)
去年もそうだったが、ブリュエットからは恨めしそうな目で見られそうだ。ブリュエットの婚約者は避暑地には向かわないので、一か月ほど離れ離れなのである。
「そう言えば、結婚式のドレスのデザインは決まったの? 避暑地に行く前に決めなければいけないんじゃなかったっけ?」
結婚式の話題が出て、クラリスはドキリとした。
アレクシスとこのまま結婚していいのかどうか、クラリスはまだ悩んでいる。けれど、結婚式はすでに予定が決まっているため、準備を無視することはできないのだ。両親もクラリスがアレクシスに別れを告げたことを知らないし、今の彼を前にして「別れてくれ」とは言えないので、このままいけば結婚式を迎えることになるだろう。
別れるなら早くしなければならないし、別れることができないならば結婚することを受け入れなければならない。
頭ではわかっているのに、クラリスは答えが出せないでいた。
「ドレスのデザインは、決まりました」
ドレスは悩んだ末に、記憶とは違うデザインにした。実は未来でアレクシスと結婚した時、最後まで二つのデザインで悩んでいたのだ。だから今回は、悩んで選ばなかったもう一つのドレスに決めたのである。
「どんなドレスにしたのかは聞かないでおくよ。当日のお楽しみだね」
「はい……」
果たして、そのドレスでアレクシスの隣に立つ日は来るのだろうか。
(早く決めないと。……結婚式の直前になって取りやめるなんて、できないんだから)
別れるならば、避暑地から王都へ帰って来るころには決断しておかなくてはならない。
(あと、一か月……)
この一か月で、クラリスは決断できるだろうか。
何とかクラリスの意思を変えようと頑張ってくれているアレクシスを前に、やっぱり別れてほしいということはできるのだろうか。
(でも、もう無理だわ。これ以上は時間がない。……避暑地から帰るまでに、答えを出さないと)
別れるか、別れないか。
猶予は一か月。
もうこれ以上は、優柔不断ではいられない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます