切り刻まれた花 3
休憩時間にブリュエットと相談した結果、クラリスが温室の夜の番をするのは三日後と七日後に決まった。夜の番は寝ずの番なので、翌日が休みの日に調整することにしたのだ。
三日後、クラリスは侍女の仕事が終わったあとでこっそり温室へ向かった。
アレクシスが毎日迎えに来るため、アレクシスにだけは夜の番をすることを伝えている。さすがに城の内情なので家族には伝えられないため、家族には泊りの侍女仕事だと言っておいた。
ランタンと毛布、それからブリュエットが事前にバスケットに詰めておいてくれた軽食を抱えたクラリスが温室に入ると、日が落ちかけた今でも温室の中はかなり薄暗かった。
ランタンとバスケットを温室の中にある丸テーブルの上に置いて、毛布を羽織って椅子に座る。
ランタンのオイルはとてもではないが朝まで持たないし、灯りをつけたままにしておくと、城の衛兵が警備のために巡回するときに不審がられるので、ランタンの灯りは食事が終わったら落とすつもりだ。
バスケットに詰まっていたサンドイッチの一部をいつもより少し早い夕食として食べて、残りは空腹になったときのために取っておく。バスケットには食べきれないくらいたくさんのサンドイッチが詰められていたので、間でつまんでも余るくらいだろう。
ランタンの灯りを消し、クラリスはぼーっと温室の窓の外を眺める。あと一時間もしない間に星が輝き始めることだろう。今日は半月だった気がするが、空に雲がかかっているので星も月もあまりきれいに見えないかもしれない。
温室の中は夜も暖かいのですごしやすいにはすごしやすいが、一人きりだとやっぱり淋しい。
(今のところ、犯人らしい人は来ていないって聞いたけど、諦めたのかしら?)
昨日と一昨日に寝ずの番をした侍女仲間は、朝まで誰も来なかったと言っていた。犯人は一度の犯行で満足したのだろうか。
(でも、犯人が予想通りジョアンヌ様だったら、しつこくほかの花も狙いそうなんだけど……)
代わりに選んだ花を、再び切り刻みに来ると思うのだ。フェリシテが育てた花はどれも素晴らしく、決めていた花が切り刻まれたからと言って、予備の花が見劣りすると言うことはないのである。
(来ないと言うことは、ここで交代で番をしているのに気づいているのかしらね?)
それはそれでも構わない。クラリスとしては犯人を捕まえて、一度ジョアンヌには痛い思いをしてほしいという思いもあるが、最低限残った花を守ることができればそれでいいのだ。これは花を守るための夜の番であって、犯人を捕縛するためではないのだから。
(まあ、むしろ犯人が現れたとしても、わたし一人じゃあ取り逃がしてしまいそうだし。騎士が協力してくれれば別なんでしょうけど)
フェリシテが犯人の特定に動く気になれば別だが、フェリシテにその気がないのだから仕方がない。
そんなことをぼんやり考えていると、突如として、コンコンと温室の扉を叩く音がした。
(まさか犯人⁉)
クラリスが飛び上がらんばかりに驚いて、そーっと温室の扉に近づくと、外から「クラリス?」と声がかけられる。
「なんだ、アレクシス様か……」
声はアレクシスのものだった。
クラリスがホッとして温室の扉を開けると、騎士服を来たアレクシスが立っていた。
「どうしたんですか?」
「話は中でするよ。入っていい?」
「それはかまいませんけど……」
温室の扉をいつまでも開けておくと、夜の冷たい風が入って花たちによくない。
アレクシスの入室を許可して、クラリスが扉を閉めると、アレクシスは薄暗い温室の中をぐるりと見渡した。
「はじめて入ったけど、花がいっぱいですごいね。夜でこれなら昼に来たらもっとすごそうだ」
「殿下は温室へは足を運びませんからね」
国王はフェリシテが温室にいる時を見計らって遊びに来るが、グラシアンはクラリスが記憶している限り一度も来たことがない。そのため、グラシアンの側近であるアレクシスも、足を踏み入れる機会がないのだ。
クラリスが座る隣の椅子に腰を下ろしたアレクシスが、テーブルの上のバスケットを目ざとく見つける。この時間なら、まだ夕食を食べていないはずだ。
「……サンドイッチ、食べます?」
どうせ一人で食べきれない量が入っていたので、食べてもらっても構わない。
クラリスがバスケットを開けながらサンドイッチを勧めると、アレクシスが嬉しそうに手を伸ばした。
「クラリスが作ったのか?」
「違いますよ。わたしじゃあ、こんなに綺麗に作れません」
そう言えば、アレクシスのために何度かサンドイッチを作ったことがあるなと思い出しながら、クラリスは肩をすくめる。
伯爵令嬢であるクラリスはキッチンに立つことがない。ただ、乙女心と言うかなんというか、貴族令嬢の間で恋人や婚約者に手作りのお菓子や料理をふるまうのが流行った時期があって、そのころに数回サンドイッチを作ったのだ。
なれないクラリスが作ったサンドイッチはいびつでお世辞にも美味しそうに見えなかったが、アレクシスは嬉しそうにすべて平らげてくれた。
(嬉しくて、調子に乗って何回も作っちゃったのよね)
十七歳のクラリスからすれば一年ほど前の出来事であるが、二年後の記憶を持っているクラリスには遠い昔のことのように思える。
懐かしい記憶に無意識のうちに口元を緩めながら、クラリスはアレクシスのためにポットからお茶を注いで渡した。
アレクシスがあっという間にサンドイッチを五つ平らげて、お茶でのどを潤してお腹をさする。サンドイッチはまだ残っているが、もういいのだろう。
「ありがとう。美味しかった」
「わたしが作ったんじゃありませんけど、どういたしまして」
バスケットに蓋をして、クラリスは「それで?」とアレクシスを促した。
「アレクシス様がどうしてここに?」
「ああ、そうだった」
食べることに夢中になって忘れていたらしい。
アレクシスがちょっぴり気まずそうに笑う。
「殿下に言われたんだ。ここでクラリス達が寝ずの番をしているのを殿下も知っていてね。危険がないように、それとなく騎士を派遣させたんだよ。で、今日はクラリスの番だから、俺に行かせてほしいってお願いしたんだ」
「え? そんなの聞いてないですけど……」
ブリュエットも騎士がいるなんて言わなかった。
「そりゃそうだよ。ほかの騎士たちはこっそり見張っているからね。殿下はできることなら犯人を特定したいと考えているから、犯人に気づかれそうなところには隠れたりしない」
「そう言うことですか……ん? それじゃあ、アレクシス様はどうして中に入って来たんですか?」
「そりゃあ、クラリスがいるからだよ」
答えになってない気もするが、アレクシスのことだ、本当にそれが理由のような気もする。
(ってことは、このままアレクシス様と朝まで二人っきり……? え⁉ どうしよう……!)
それはさすがに気まずいのではなかろうか。そして、心臓にも悪い。
二人っきりでずっと近い距離にいるのは問題な気がして、クラリスはそーっと椅子を遠ざけようとするが、その前にアレクシスに手をつかまれてしまった。
「毛布を半分貸してくれない? 温室だから外よりは暖かいけれど、やっぱりちょっと肌寒いよね」
絶対嘘だ、とクラリスは思った。アレクシスはむしろ暑がりな方なので、この気温で肌寒いなんて言うはずがないのである。
(くぅ……)
でもここでダメと言ったらただの意地悪だ。
クラリスは諦めて、毛布を半分アレクシスに渡した。
「近づかないと毛布が小さいよね」
などと言いながら、嬉しそうな顔で椅子を近づけて来る。
ぴったりと椅子をくっつけて、一つの毛布に一緒にくるまるアレクシスに、クラリスはものすごい敗北感を感じた。アレクシスと距離を置きたいのに、彼の策略なのか、全然距離が取れない。それどころか、日々の送迎といい今日といい、より近づかれている気もする。
(悔しい! そして静まれわたしの心臓‼)
気がつけば、アレクシスの腕がクラリスの肩に回っている。離れてほしいのに嫌ではない自分がとにかく悔しい。別れたい、結婚したくないと思っているのに、こうして流される自分の弱い意志に絶望しそうだ。
クラリスがドキドキと高鳴る心臓を押さえつけようと必死になっていると、アレクシスがクラリスの頭にコツンと頭をぶつけながら言った。
「そう言えばさ、侍女を辞めたくないって王妃殿下に申し入れたんだって?」
(どうして知ってるの⁉)
違う意味でクラリスの心臓がドキーンと跳ねた。
思わずびくりとしたクラリスの顔をアレクシスが覗き込む。
「どうして侍女を続けたいの? そんなに俺と結婚したくない?」
結婚したくないと言いたかったし、以前も別れ話をしたはずなのに、どうしてか今それを言ったらダメな気がする。
すぐ目の前にあるアレクシスの碧い瞳の中に、温室よりも暗い何かがある気がしたからだ。
ここで迂闊なことを言うと、彼の腕に捕らえられて離してもらえなくなりそうで――クラリスはごくりと唾を呑んだ。
「そんなに俺が信用できない? まだ未来で浮気するって思ってるの?」
吐息がかかる距離で問われる。声は優しいのに、まるで詰問されているようだ。
「浮気はしませんって、俺が誓約書を書けば納得する? それとも、結婚後、ずっと俺に張り付いてる? 俺はそれでも構わないよ?」
誓約書はともかくとして、ずっと張り付いていられるはずがないのにアレクシスは本気の目でそんなことを言う。
「だ、だって……」
未来でアレクシスがウィージェニーと浮気して、彼女の使いに殺されることになるのだと、言えるはずがない。
「俺はクラリスが好きだよ。どうしたらわかってもらえるの?」
今目の前にいるアレクシスがクラリスを愛してくれていることは、クラリスだってわかっている。でも、未来でそうでないなら意味がない。
アレクシスがクラリスの頬に口づける。そのまま顔を滑らせて唇が塞がれたけれど、少し前までは心臓が壊れそうなくらいに嬉しかった口づけが、今はただ、悲しかった。
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