御子柴ミカの嫉妬

1月10日(火)

第21話 僕の目覚め

「―――い」



「――――――リョウ――」



「――そろそろ起きないと、学校遅れるわよ~」


 母さんの声が朧気に聞こえる。


 ・・・もう、朝か。


 最ぼんやりとした視界で白い天井を眺めていたが、窓から差し込んできた陽の光から逃げるように、僕は寝返りを打つ。


 もう少し、寝ていたい。

 少しでも現実から逃げるように、僕は瞼を閉じた。


「・・・・・・」


 覚醒した意識が、否が応でも昨夜の記憶を思い起こさせる。


 夢のような、紛れもない現実の記憶を。


『そいつは――煩悩の王、この街に蔓延る数多の煩悩の頂点に君臨する者だ』


 眼鏡の彼の聞きなれない言葉が消えない。

 僕を襲った3人の姿が、余りにも生々しく記憶に焼き付いている。

 そして、僕を助けてくれた彼の姿も。


 ――よく、わかんないし。眠たい・・・

 

 と、一旦諦め瞼をギュッと閉じたところで、階下から兄の声がした。


「――凌~! 俺ももう出るぞ~! 母さんに手間かけさせんなよー!」


 玄関が開けられる音。


 ――そうか、兄さんがもう仕事に行く時間・・・ということはそろそろ起きないとまずいか・・・


 母さんは心配性だからいつも想定よりも早く起こしてくれる。けれどそれは僕にとっては無駄に早起きしているだけにすぎない。

 よって、兄さんが家を出る時間に合わせて起きるのが習慣になっていた。

 

 半開きの瞼で、重い体を起こして、僕は起床する。


「・・・・・・ねむ」


 胸をさする。


 昨夜抉られたはずの胸は、なぜか傷跡も残っていなかった。


 やはり昨夜の出来事は夢だったのか。


 そう、思いたかった。



 *** *** ***



 リビングの食卓には、もう僕の朝ごはんが配膳されていた。

 早速席に着いて、食べ始める。


「おはよう凌くん。昨日帰ってくるの遅かったみたいだけど、ちゃんと起きれたの、えらいね」

 

 言いながら、エプロン姿の楓さんが僕にお茶を注いでくれた

 楓さんは兄さんのお嫁さん。つまり義理の姉だ。

 優しい雰囲気に、それでいて一本芯の通った女性。兄さんは勿論、父さんと母さんも楓さんを家族として受け入れ、歓迎している。

 もちろん、僕も。


「今日の朝ごはん、楓さんが作ってくれたんですか?」


 今日の朝ご飯は目玉焼きにタコさんウィンナー、それから味噌汁と数点の小鉢。

 一見簡素な朝食のように見えるが、それでも朝の眠たい時間から温かいご飯を用意してもらえて、しかもおかずが数種類あるなんて有難いことだと思う。


「えぇ、今日はお義母さんが町内会の用事で忙しいらしくて、私が作ったの。・・・もしかして、口に合わなかった?」


「いや、全くそんなことないです、とってもおいしいですよ」


「ふふっ、大したものじゃないけど、お世辞でもそう言ってもらえると作った甲斐があるわ」


 言って、柔和な笑みを見せる楓さん。

 兄さんと同い年――今年で24になる楓さんは、僕の目から見て十分すぎるほど魅力的に映る。思春期真っ只中の僕には少し目に毒なくらいに。


「――あ、そうだ、凌くん」


 突如何かを思い出したかのように、楓さんが掌を合わせて僕の方を見た。


なんだけど、また準備のお手伝いお願いしても良いかな? 色々忙しいと思うから、凌くんの暇な時で大丈夫だから」


 例の件、というのは、楓さんによる兄さんへのサプライズ計画のことだ。

 2月半ばに控えた結婚記念日が決行日。開催場所は我が家。

 そうなると同居人の家族の協力は必要不可欠ということで、弟の僕に白羽の矢がたった。


 新婚ほやほや、幸せ真っ盛りの兄さんたちの仲はどうやら良好らしい。


「いつでも大丈夫です、楓さんの都合のつくときに教えてください」


「え、いいの!? ホントに!?」


「兄さんと楓さんのためですから」


「凌くん優しい~!」


 楓さんはぱあっと明るい顔になった。

 そのまま、僕の頭を優しく撫でる。


 ――子供だと思われているのだろうか


 そう思いながらも、悪い気はしなかった。


「――凌くんは勿論、葉佩家の人はホントに良い人ばっかりね。・・・って私も葉佩になるんだった、もっと頑張らないとね」


 惚気るように、楓さんは自らの頬に手を添えて小さく笑う。


「・・・楓さんもとっても良い人ですよ、兄さんがうらやましいです」


「も~、こんなお姉さんにお世辞言っても何も出ませんよ~? あ、ご飯おかわりする?」


 僕の言葉に楓さんは少しだけ嬉しそうな顔をしてくれた。

 こうして楓さんと話していると、いつもの日常に戻ってきた感じがする。


 ――そうだ。これが僕の日常。


 朝の会話もほどほどに、僕は身支度を済ませて学校へと向かった。

 一月の朝は清々しい空気で満ちていた。

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