第38話 再生

「――魂の浄化プリフィケーション・オブ・ソウル


 椎名の右手を起点として、御子柴の全身が碧い光を放つ。光を放つ無数の糸のような何かが御子柴の体から湧き上がり、椎名の右手に吸い込まれていく。


「……これは……一体……」


 俺の横に蓮が立つ。


「――魂の浄化。煩悩が喰いつくしてしまった人の心を修復する術。煩悩を吸い取ると共に、傷を塞ぐんス。ミナミはこの道のスペシャリストなんスよ」


「……」


 俺は御子柴の様子を見ていた。

 彼女の体は温かい光に包まれ、悲痛に満ちていたはずの表情も徐々に和らぎを取り戻していた。いつの間にか気を失っていた御子柴の精神状態も安定してきた、ということだろうか。


「本来崩魂が現出してしまった人間は精神的に"穴あき"状態になってしまう。

そりゃそうよね、いくら煩悩とはいえ、精神の一部。無くなったら精神的に不安定になるのは当然。だから、するの。残る煩悩の残滓を吸いきって、開いてしまった心の穴を代わりの和魂にぎみたまで埋めてあげる…………あ、和魂ってのは私ら"魂の解放者"が扱う汎用的な魂殻のことね。つってもあれか、その様子だと魂殻のことも知らないよね……とにかく、人体に害はないから安心して。彼らの事後処置のことをって言ってるだけだから、別に殺しゃしないよ」


 そう言いながら、椎名の右手はぐんぐんと御子柴の体から不思議な糸のような媒体を吸い込んでいく。

 同時に、御子柴の傷だらけだった体が徐々に再生していく。


 ボロボロになった心の傷跡を塞ぐ。

 元凶である煩悩を、なかったことにする。


 御子柴の中から崩魂は消える。それはきっと良いことのはず。


 だが、この違和感はなんだ。

 どことなく、うまく言葉に出来ないやるせなさはなんだ。


「……」

「先輩? どうかしたッスか?」

「……いや、何でもない……」


 忌まわしいはずの煩悩が消えていく様子を見て、俺はなぜこんなにも

 


 煩悩が消えるのは、良いことなんじゃないのか?


 答えの出ない疑問が延々さまよっている間にも、椎名による浄化は続いていった。



*** *** ***



「こいつらは大丈夫なのか? 気付けば体育館が大荒れって感じだけど」


 御子柴の煩悩浄化を終えた後。

 体育館の入り口付近で、ずっと固まったままだった一般ピーポーたちを指さして、俺は椎名に問う。


 流石に彼らにこの状況を見られて、タダで済むとは思えない。


 破壊されたバスケットゴールに、破れてしまったバレーコートのネット、衝撃で抉れた床は、ところどころ落とし穴のようになっていた。

 つい先刻まで部活動をしていたはずの人間からすれば、世紀末にタイムスリップしたかと思うことだろう。


「私の結界が破壊前の形状を記憶してるから、結界を解けば建物は自動で修復される。ここに居た人には亡失魂殻を施しておくから、"今日は何もなかったことに出来る"。どう? 結構万能でしょ?」


「――あ、亡失魂殻ってのは、簡単に言ったら"記憶消去マシン"みたいなもんス」


「……簡単に言ってくれるねえ……」


 二人とも、は慣れっこなのだろうか。


 とまあ、一般人に被害が及んでない点を鑑みれば、椎名たちの所属する「魂の解放者」という組織は、民間人にも気が配れる組織なのかもしれない。


 ……丸メガネの東條の姿と、金髪ヤンキーの顔が思い浮かぶ。

 ……いや、無いな。


 そんな中、椎名が蓮に会話を振る。


「私は御子柴さんを送り届けるけど、にっしーは……彼と帰る?」


「い、良いんスか? ミナミの傷もまだ――」


「もう大丈夫。上への報告もあるし、多少ケガしたくらいでへこたれてるわけにはいかないしね」

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」


 蓮はすすっと俺の傍らに寄ってきた。

 どうやら、一緒に帰ることになったらしい。


「久利くん」

「お?」


 椎名が改めて俺に向かい合って言う。


「今日はありがとうね、助かった。久利くんがいなかったら、二人ともあの蛇に喰われてたかもしれない」


 面と向かって言われると、どうにも変な気分だ。

 何かをしたようで、何もしていない。


「……礼を言われるほどのことはしてねえ。邪魔しただけだ」


「変なとこで謙虚だね」


「事実だからな」


「ま、いっか。アイツらよりはよっぽど話の出来る人だって分かったしぃ?」


 少しずつ、「学校の椎名南」が戻ってきているのを感じていた。

 その口調に、態度に、いつもの陽気さが戻ってきているようにも見える。


「あ、そうだ、パフェの件、忘れないでね?」


「……パフェ……」


 何だっけそれ……


「とびきりおいしーとこ探しとくから、楽しみにしてるね! じゃ、また明日学校で~」


 言って、椎名は御子柴を連れて、彼女自身が作り出した光のゲートの中に消えていった。

 どこでもドア的なものなのだろうか。羨ましいな……それがあれば……


「――久利先輩、今邪なこと考えてなかったスか?」


 横から突き刺すような視線でこちらを見る蓮。


「……え? いやいや何も……」


「ホントっすかね……てか、さっきのパフェって何スか? 何なんスか? 先輩がパフェとか知ってるわけないっスよね!? あの俗世に疎い先輩が! よりにもよってパフェとか!!! あり得ないっスよね!?」


「……え、いや、お前の中で俺の印象どうなってんの……?」


「世間知らずの女たらし!!!!!!!」


「もうちょい言い方考えてッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 豪速直球の大暴投を大ジャンプで捕球しようとする俺だった。



「まあ今日のとこはいいっスけど……」



「何が良いのかわかんねえけど……ぼちぼち帰る、か」


 そう言って、力を抜く。魂をいつものように空っぽにする。

 同時に、全身を包む黒色の瘴気が、宙に溶け込むように消えていくのが分かった。

 原始的かつ強烈だった思考がようやく落ち着いてくる。


 今回はだいぶ無茶してしまった自覚があった。ただの器とはいえ、肉体的、精神的な疲労が尋常ではない。


 早く帰って休まねえと……


 そうして、一歩を踏み出した時だった。



「―――――――――あ」


 

 ?!



 視界が、チカチカと明滅する。

 平衡感覚が一瞬無くなって、自分の立っている場所が分からなくなる。

 そのまま、俺は膝をついてしまった。



「――先輩ッ?」



 駆け寄る蓮を手で制す。


「……大丈夫……ちょっと休ませてく……」


 後輩の前で格好悪いところを見せたくない、などというちっぽけなプライドから肩を借りるのを断ったが、正直限界だった。


「…………——やべ」


 大丈夫などと言った矢先に、俺はそのまま後方へと倒れる形になる。


 倒れる形になって、


 ――倒れることなく、柔らかい何かに包まれるように、俺の頭は着地する。


「――っ?」


「良いっスよ、先輩。……今は、ゆっくり休みましょう」


 気付けば、後輩のかわいらしい顔が眼前にあった。

 そのまま顔をぺたぺたと撫でられ、ようやく俺は今、蓮の膝を枕にしているのだということに気付く。後ろ頭に柔らかい人肌の感触。


「―――――――――――」


 様々な言葉が喉元にこみあげてくるが、俺はもう、声も出ないほどの状態だった。

 極限まで疲労した体は、目を閉じればすぐにでもその活動を終えようとしている。


「……わる、い……な」


 かろうじて絞り出した声と共に、俺の視界はゆっくりと閉じられていく。


 視界が真っ暗になるその直前で、蓮の声が聞こえたのだけ覚えている。


「――ったくもう、昔っから一人で頑張りすぎなんスよ先輩は。……………でも――」


 何かを言いかけていた彼女の声は聞こえず、

 俺はそのまま、後輩の太ももの上で眠りについた。

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