第52話 誠実
「……ダメ。電波も通ってないみたい……」
御子柴はスマホ片手に肩を落とした。
この美術館跡地から出る手段を探すべく、なんらかの方法で外部と連絡を取ろうとしたのだが、その希望はあっけなく砕けてしまったようだ。
「……マジで迷路みたいな場所だな。ここ……」
「案内図でも残ってれば良かったんだけど、ここまで老朽化してるとはね」
言いながら、ボロボロの壁をさする御子柴。
「……さっきの話、信じていいんだよな?」
今も尚、御子柴の中からあのクソ煩悩の存在を感じる。
その理由を――「魂の消失」を防ぐためだと彼女は言ったのだ。
「当たり前でしょ。嘘つくメリットなんてないし」
「魂の消失とか物騒なこと言う割に、当事者が落ち着きすぎててビビってんだよ」
さも当たり前のように、それが自明であるかのように。
彼女は自らの魂が消失に至る経緯を淡々と語った。
「落ち着いてるように見えるなら、結構よ」
「……」
……
…………
……………………
気まずい沈黙が流れてからしばらくして、彼女が口を開いた。
「……あのさ」
いつだって威勢の良い明朗快活女子である御子柴の消え入るような声。
空耳かもしれない。
俺はゆっくり彼女の方を向いた。
彼女は俺に背を向けていた。
やはり、気のせいか――
「――あの日のこと、ちゃんとお礼言えてなかった。ごめん。ありがとね」
今度はハッキリと聞きとれる声だった。
ごめん、と。
ありがとう、と。
彼女はそう言った。
「私、あの時自暴自棄ってか、何もかも全部壊れちゃえばいいって思ってた。自分の価値が無くなったと思っちゃってさ。それでアンタや他の人にも迷惑かけて……子供みたいだったよね、はは……」
何のことか、などと聞くのは野暮だろう。
思い出すまでもない。
彼女の壊れゆく姿は今でも俺の脳裏に焼き付いている。
全てに失望し、絶望していた彼女の虚ろな目を俺は知っている。
俺は彼女に言葉を返す義務がある。
そう思った。
「……別に迷惑だったとは思ってねえよ」
「え?」
お世辞ではない。
迷惑なら迷惑だと告げるべきだ。不快だと伝えるべきだ。
俺は知っている。
気休めや遠慮が気遣いから最も遠い所に位置することを。
人を傷つける残酷さが、時としてもっとも誠実であることを。
だからこの言葉は気休めでも遠慮でも、ましてや嘘でもない。
「人間誰だってそういう気持ちになっちまう時はある。あー、いや、決して御子柴の苦しさや辛さを分かったつもりになってるわけじゃない。そういうんじゃなくて、そういう気持ちになってしまうことは、その経緯に関わらず仕方のないことなんじゃねえかな、って」
御子柴の苦難を俺が理解することはできない。
俺と御子柴が体験した不幸は同一ではない。
だから究極的に俺と御子柴は分かり合うことはできない。分かち合うことはできない。
だがしかし、それでも尚、
俺は人の魂に寄り添いたい。
それが俺の選択。
誰かのためではない、俺が俺であるために選んだ道。
「……」
俺の言葉に、御子柴は突然黙り込んでしまった。
「――わ、わるい、気を悪くしたなら謝る」
まずった。妙な感傷に浸って意味不明な言葉を吐いてしまったか。
「……くくっ、あははははっ。何よその言い方、めっちゃ回りくどいじゃん」
俺の心配をよそに、御子柴はお腹を抱えて笑い出した。
「――なっ」
人が真剣に答えてんのに! と言い切る前に、彼女はこちらを見て笑っていた。
笑い涙を指で拭いながら。
「いやごめんごめん、そういうこと言うタイプだと思ってなかったからさ、ちょっと予想外で……くくっ」
「あのなぁ――」
「――でもありがとう。アンタ優しいんだね。慰めてくれるんだ」
そういって真剣な顔つきになる彼女に、俺は一瞬怯む。
「っ……別に慰めたつもりはねえ。事実を述べただけだ」
「――ぷっ、やっぱ変な奴だ、アンタ」
彼女は笑った。
晴れやかな笑顔に、消えぬ影を残して。
今にも消えてしまいそうな美しい花びらのようだと、そう思った。
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