第7話 連鎖

「?・・・何の音・・・?」


 地響きと、何かが炸裂したかのような大きな音。

 それと同時に、教卓の下に隠れている僕の視界に、明滅する光が差し込んできた。


「・・・花火? いや正月にそんなイベントあるはずないか・・・でも、だったらこの光は一体・・・もしかして・・・」


 ――誰かが助けに来てくれたのかな、なんて。


 正月の深夜の校舎に、助けが来るはずが無いことは内心分かっていた。大体、火事や立てこもりが起きているわけでもない、ただの学校だ。


 ――そう。ただの「化物がいる」学校だ


 こんなウソみたいな話、誰も信じっこない。


 僕は唯一の明かりだったスマホに視線を落とす。

 同級生5人組、男子3人女子2人のグループチャットだ。


『皆どこに居るの? もう学校着いたんだけど』 


 僕が最初にメッセージを送ったのは、年を跨ぐ前の11時45分。


 教室で怯えながら年を越して1時間近くが経過した今、そのメッセージには既読4つと友人からそれぞれ返信が届いていた。


『お前マジで行ってんの? 冗談のつもりだったのにww』


『え、リョウ、それマジ? 深夜の大晦日だぞ? 不法侵入じゃね?』


『リョウくん危ないから帰った方がいいよ、最近夜に不審者出てるみたいだし・・・』


『リョウちんヤバー! つかこれアキラのせいじゃん! 謝れし!』


 どうやら、皆で約束したはずの「学校で年越し」というイベントはどうやら架空のモノだったらしい・・・

 年末にアキラくんが提案していたような気がするんだけど、まさか冗談だったとは。友達付き合いというのはなかなか難しい。


『学校の廊下に変な奴が居るんだ。動物でもないけど人でもない、まるで――』


 入力しかけていたメッセージの送信ボタンに指を近づける。


「・・・・・・・・・・・・信じてもらえるわけ、ないじゃんね」


 呟いてから指を退いて、スマホをポケットの中にしまった。

 僕自身、この状況を理解できちゃいなかったし、そしてそんなことを皆に理解してもらえるわけがないと思っていた。


 僕がやろうとしたのは、ただの恐怖の共有でしかなくて、それは誰も幸せにしない、自己中心的なことだと思った。だから辞めた。


 ――僕、死ぬのかな


 そんな思考が浮かぶ。

 僕はあの化物に殺されるんだろうか。

 ここに逃げ込む前に見た、あの姿を思い出すだけで体がまた小刻みに震えだす。



*** *** ***



 校舎に忍び込んですぐ、あの化物の姿が目に入った。

 室内だというのにヒールを履いていたソイツは、コツコツと音を立てながら廊下を歩いていた。


 最初は、養護教諭の静音先生っぽい容姿だと思った。

 でも即座にその判断を取り消した。なぜならソイツは人とは到底思えないほど、禍々しい何かを纏っていたから。


「――誰かいるの?」


 余りの衝撃にうっかり物音を出してしまった僕は、咄嗟にこの教室に隠れて、惑わすようなあの化物の声を聴いた。

 ――その思考を、知ってしまった。


「あは♡ なあんだ、今日はご馳走がいっぱぁあい・・・ふふっ、ふふふっ・・・全部、全部、――



*** *** ***



 あれからもうどれくらいの時間が経ってしまったんだろうか。

 恐怖と不安に押しつぶされそうな心のまま、恐る恐る教卓の下から這い出る。


 なにが起きているかはよく分からないけれど、さっきの地響きと音から察するに、がこの学校に入ってきたことは間違いない。


 僕以外にこの正月の校舎に訪れる人間など居るはずもないと思いながら、その一縷の望みにかけるしかなかった僕は、慎重に教室のスライドドアを開け、音と光の発生源を探した。


「・・・・・・・・・」


 僕の居る場所から数十メートル離れた廊下の先。

 視界に映ったのは、二人。


 いや、正確には僕が見つけたあの化物一体と、

 ――ヒトではなさそうな、でもヒトっぽい真っ白な誰か。


「な、なにしてるんだろ、あれ・・・」


 まるで化物と誰かが抱き合っているかのような光景に僕は驚きつつも、目を凝らす。


 じっと固まって動かない両者だけを、視界に収める。


「・・・・・・・・・」


 よく見ると、

 養護教諭に化けた化物は、微動だにしていないのが分かった。


 一方で、もう一人の誰かの全身は真っ白で、点々と赤黒い飛沫が散っているのが見える。

 校舎に差し込む月明かりに照らされる姿は、やけに美しく思えた。


 影に隠れてはっきりと見えない彼の右手は、何かゴソゴソと動いているようだ。


 なんだあれ・・・あの右手。


 まるで・・・


 そんな風に見えた僕は、不思議な興味にそそられて、そのままゆっくりと体を乗り出してしまった。


 ――瞬間、背に伝う冷たい感触。


「え――」


 振り向いた先には、バスケットボール程度ののサイズ感で、真っ黒な球体から手が伸びて、僕の背に手をかけていた。


「・・・魂・・・ヨコセ」


「――ひッ!」


 目も口もない、ただの球体から、手が伸びている。足もないのに、その場に浮いている。


 ――あ、死んだよ、これ


 ホラー映画くらいでしか見たことのない、あまりに衝撃的なその光景に、気付けば僕は悲鳴のような叫び声を漏らしてしまっていた。


 静寂に包まれていた廊下に、僕の声が十分すぎるほど響く。 

 その声で、数十メートル先に居た彼もこちらに気付いたようだった。


「――ん? なんだ、またクズレタマか・・・?」


「わあああああああああああああああああああああああああああああ」


 しっかりと背中に手をかけられた感覚が、絶望と恐怖を呼び起こし、思考を乱す。

 ただ、ひたすらに、怖い。


「おーいあんた、大丈夫かー?」


「だ、大丈夫なわけないじゃないかああああああああああああああああああ」


「落ち着けー、そいつは別に強くない」


「む、無理だよ! こ、こんなの!!! あ、ぁああああああああああああああああ!!!!!」


 強いとか弱いとかの問題じゃない!

 怖い! ただ恐怖が僕の感情を支配して、何もさせてくれない。

 助けを求めるように、真っ白な彼を見た。


「――っ?」


「――仕方ねえ・・・やるか」


 

 僕の頭に無数の「?」が浮かぶ。


 彼は人間なのだろうか、そんな、漠然とした疑問。


 ――彼の右手は、明らかに異常だった。

 ――真っ白な全身に、黒赤の飛沫を所々纏って、

 ――をこちらに向けていた。


 殺人鬼だと言われても納得してしまうかのようなその凶悪な風貌に、僕はバラバラになった言葉を呟く。


「な、に・・・そ・・・れ・・・右・・・手・・・?」


「ん? あぁ、これか」


 言って、彼は右手をこちらに向けた。


「これは、俺の・・・いや、こいつらの、煩悩だ」


 ――安心しろ、外しはしない。

 

 そう言って彼は、


――穿


 刹那、僕が教卓で見たのと同じ真っ白な光が僕の視界を覆った。

 矢のような光線が、空気を裂く音と共に、僕を――――


「・・・へ?」


「初見の割にちゃんと当たったみたいだけど・・・なぁクソ煩悩、使い方これで合ってんのか?」


 放たれた一閃は、僕の体をぎりぎり掠めて、後方に居た小さな化物たちに突き刺さっていた。

 矢で貫かれた彼らは、瞬く間に内部からその身を焦がし、焼け焦げた匂いと共に散り散りになって消えていった。

 火が付いた紙のように、質量を失って、最後は空気に溶け込んでいく様を僕は呆然と眺める。


 気付けば、僕の目の前にが立っていた。


「アンタこんなとこで何してんだ? 崩魂に狙われてるのを見る限り、どうやらあいつらのお仲間って訳じゃなさそうだけど・・・つか、なんで制服・・・? コスプレイヤー?」


 近くで見ると、僕と同じくらいの年代の人だと分かって少し安心する。


「ち、違うよ、ぼ、僕は、この学校の生徒・・・」


「生徒・・・てことは高校生・・・」


「・・・うん、2年A組、葉佩ハバキリョウ」


「・・・・・・・・・・・・まずったな」


「?」


「あぁ、いやごめん、こっちの話。あいつらのことは知ってるのか?」


「あいつらって、さっきの化物たちのこと? 知らないよ・・・あんなの・・・」


「じゃあ、あれだ。とっとと帰って、ここで見た訳わからんことは忘れた方がいい、正月早々悪夢に苦しまされたくないなら、な」


 もう悪夢みたいな現実を十分に体験したよ、と思いながら小さく頷く。


「――え、えと、キミは・・・僕と同じ高校生だったり、する?」


「あー、俺は・・・そうだな・・・」


 ――ただの引きこもりだ


 そういって、彼は自虐気味に小さく笑った。

 その笑顔がどこか寂し気で、でもどこか満足気で、印象的だった。


「一つだけ、聞いても良い?」




*** *** ***




 彼に連れられて、僕は何とか校舎を出た。

 最初の頃、彼は僕でも、周りで怯える小さな化物たちでもないと会話しているようだったけど、その会話相手は僕には見えなかった。・・・まあ、ここまで来てその程度のことに驚く僕ではなかった。


「あ・・・雪・・・」


 玄関から校舎の外に出ると、雪がしんしんと降り出してきていた。


「気を付けて帰れよ。雪だいぶ染みこんでて、滑りやすいから」


 さっきまで全身が真っ白だった彼も、気付けば普通のヒトの姿になっていた。

 真っ黒なコートを着て、首元をすっぽりと埋めている。


 普通のヒトの姿ってなんだ、とは思うけど。


「・・・ありがとう、その、色々・・・」


「別になんもしてねえよ、じゃあな、良いお年を・・・ってのは違うな。あー・・・あけおめ、かな」


 どこかぎこちない彼の言葉に、僕はぺこりと頭を下げた。


「・・・うん、あけましておめでとう」


「うい、じゃあな」


「うん、バイバイ」


 手を振って、彼と別れた。

 彼は、まだ学校に残るらしい。




*** *** ***




 家に着くと、いつも通りの日常が、僕を待っていた。


 リビングで流れる正月特番のテレビを横目に、食卓に着く。


「年越しそば、食べ損ねちゃったな」


 家族が用意してくれた、僕用の年越しそばはもうぬるくなっていたけれど、食べているうちに、僕の心はいつもの平静を取り戻していった。


「おにい、どこ行ってたの?」


 寝間着姿の妹がリビングにやってきて、眠そうな目をこすりながら僕に問う。


「ん、・・・年越しイベント、みたいなやつかな」


 花火みたいなあの閃光が、まだ瞼に焼き付いているような気がした。


「なにそれ」


 ふふっと笑う妹の顔を見て、僕も笑った。


 悪い夢を見た。きっとそうだ。

 何も、起きちゃいない。

 だって僕の今は、いつもの今だから。


 

 ・・・・・・・・・


 ・・・・・・


 ・・・


 ――あのさ、一つだけ、聞いても良い?


 ――別にいいけど、何だ?


 ――名前、教えてもらえるかな。折角助けてもらったんだし・・・


 ――え、いや、そうはいってもだな・・・つか別に助けたっつっても大したこと――


 ――教えてほしい


 ――・・・はー、分かったよ、分かった。俺は――



「久利功善くん、かぁ・・・」


 同年代っぽいのに顔も名前も知らなかった。


 いつか、またどこかで会えたら恩返ししないとな。

 とはいえ、僕は彼のような超人に恩返し出来る人間ではないけど。

 

 結局彼は一体・・・そしてあの化物は・・・


「うん、わからん。忘れよ」


 全てを放り出して、非日常を忘れて、日常に身を任せる。

 それで良いさ。

 僕のような凡人には、丁度良い。


「年越しそばならぬ、年越したそばだな、これは・・・」


 ずずず、とおだしの効いた汁をすする。いつも以上に美味しく感じる。

 これが生きているということか、なんてまた小さく笑った。

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