第6話 圧倒

 ――上だ


 そう言うアイツの声が聞こえる前に、俺の体はもう動いていた。

 右でも左でもない。もはや回避ともいえぬ、無様なただの跳躍。


 縄跳びでもするかのような感覚で、地面を蹴ってジャンプする。

 まあ、大縄跳びなどしてこなかった人生だが。



『――いい回避だ』


 こいつも俺と同じで昂っているのだろうか。

 煩悩の声はどこか楽しげだ。


 反射か、それとも経験から来る俺の勘か、或いはなのかは定かではないが、ともかく。

 こうして、女型の崩魂が放出する灼熱の光線を避けることに成功した。


「ははっ、えっぐいな・・・これ」


 こぼれる笑みを自覚しながら、俺は宙で体を反転させて、天井に張り付くような姿勢を取った。

 重力が逆転してしまったのかと思えるような体勢に、俺の思考回路はさっきから混乱しっぱなしだ。


 だってそうだろ。

 こんなのスパイダーマンみたいだ。

 当たり前だが、俺の足にそんな粘着力はない。


 なら、天井に張り付いたフリをしたってこの先は、。それが普通の脳内で導かれる結論だ。


 ただ、んだ。

 この体勢になることが可能だということが、

 「正解」だということだけが、明確に。


『どうだ、よく馴染んでるだろ。そりゃそうさ、この一年間ずっと使い続けたんだ』


 何ら驚きを含まない煩悩の声と同時に、俺は俺自身の変化を更に深く認識していく。


 さっきの回避、いや、ダッセェ跳躍の時もそうだ。


 跳び上がった瞬間に、いや、ほんとは跳ぶ前から分かっていたのかもしれない。


 ――俺の筋力がもう俺の知るではないことも、この跳躍がも、その先で俺に出来るも。


 全てが、初めてのことなのに、何ら疑念や違和感もなく脳内に刷り込まれていく感覚。

 自分の思い描いた動きが、自分の脳内イメージの限界を超えてくる。現実が理想を凌駕して、更新していく。


 ――見える、動ける、避けられる


 ――今なら、近づける


 ――近づいて、あの魂を握りつぶすことが出来る


 ――――負けない




 ――――――いや、勝てる


 無数の勝利への道筋が視界の至る所に張り巡らされる。

 何本もの糸のような細い線が360°、あらゆる角度からの勝利を約束する。

 俺の視界が、何者かにジャックされているような気分だ。


 でも、――これはだ。

 の視界で、の戦術で、の現実だ。


「なんで、なんで、なんで当たらないのよ!!!!!!!!!!!!」


 叫ぶ崩魂を見据えて、下半身に力を籠める。


 次の瞬間、重力の影響を漸く感じてきた体を、そのまま重力に従わせつつ、両足で天井を強烈に蹴り飛ばす。


 天井からの跳躍。それはつまり、敵に対する急降下。俺の速さに付いてこれない崩魂の懐に潜り込むための、猛スピードの突進であった。


「――ッ!?」


 目にもとまらぬ速さで懐にやってきた俺に、崩魂は明らかに動揺した。


 その動揺は、魂の揺らぎ。


 崩魂を生み出した現象であり、崩魂が還るための現象。


 虚を突き、実を以て、魂の強度を下げる。


 それが崩魂を潰す、或いは喰らうための下準備。


 崩魂を見ると、奴もこちらを睨みつけていた。

 ゼロ距離で、視線が交錯する。


「――やっとだ。これで一発ぶちこめるな」


「――ゼッタイコロス・・・コロス・・・!!!!」


 その執念に燃える目を見て、


 哀れだ、と思ってしまった。

 

 人の心を喰い殺した煩悩のなれの果て。

 その瞳は、憎悪と哀愁にまみれて赤く黒ずむ。


「――――――――――――――――ァ!!!!!!!!!!!!!!!!!」 


 そうして言葉にならぬ叫びと共に憤る崩魂は、瞬時にその腕全体を刃物に造り変えて、俺を切り刻まんと接近戦に持ち込もうとした。人間相手ならこのタイミングからでも切り替えせると踏んだのだろう。


 だが、全てが遅い。

 あらゆる行動が脆く、鈍い。


 その強度の無さは、人の心を喰らうことでしか大きくなれない崩魂にはお似合いかもしれないが。


「――いくぞ、クソ煩悩が」

『――いつでもこい、クソ人間』


 狙いを定める。

 

 右手を強く握りしめる。


 この一年何度もやってきた、いつもの行動に、いつものように力を籠めて。

 

 ――相変わらずムカつく野郎だ。

 ――腹いっぱい、もう何も要らなくなるくらいにご馳走してやる。


「喰らい、やがれェェェェェェェェ!!!!!!!!!」


 崩魂のわき腹に、腰のひねりを存分に生かした右ストレートをぶち込む。


 ――真っ白な腕で放つ右ストレートで、


 


 一閃。




 真っ暗な廊下で、眩い白光が明滅し、同時に何かのはじける音と崩魂の悲鳴が校舎中に響き渡った。

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