第8話 天地
「・・・葉佩リョウ・・・ね」
どんどん小さくなっていく背中を見送りながら、俺は白い息を吐く。
彼は少し歩くたびにこちらを振り向いて、その度にペコリと頭を下げていた。
随分律儀というか、礼儀正しいというか。
『なんだ、人嫌いの引きこもりの癖に、一丁前に話せてたじゃねえか』
チクリ、といつもの煩悩の声がする。
「うるせえ、俺だって別に会話くらいできるわ。・・・つかてめえ、何で今までずっと黙ってたんだよ」
廊下で彼――葉佩と会ってから、この校舎の外に来るまでの間、煩悩は一切俺の言葉に応じず、だんまりを決め込んでいたのである。
俺のイラつき混じりの問いに、煩悩は軽く笑いながら答えた。
『ケケッ、俺様は引くべきところで引けるスマートな煩悩なのさ』
「煩悩にスマートもクソもあるか」
スマートな煩悩って言葉自体が矛盾してるっつうの。
真に賢い人間に煩悩なんて湧かない。スマートじゃないから、煩悩に惑わされ、迷わされるんだ。
『しかし変な奴だったな、あの小僧』
少しだけ真面目なトーンで喋る煩悩。
「・・・変、だったか?」
『あぁ、間違いなく、変だった』
「・・・・・・ちなみにどこが?」
まだギリギリ見える葉佩の小さな背中を見据えながら、俺は問う。
少し黙り込んでから、煩悩はまた口を開く。
『・・・・・・・・・気付いてないなら別に良い、些細なことだ』
「・・・そうか」
俺はそれ以上聞かなかった。いや、聞く必要が無いと思った。
こいつも俺と同じ違和感を覚えていた。
それが分かっただけで、十分だった。
完全に葉佩の姿が見えなくなって、雪の粒が一層大きくなってきた頃合いで、煩悩は痺れを切らしたように提案してきた。
『寒いな。とっととやること済ませて帰ろうぜ、相棒』
「煩悩の癖に寒いとかいうな」
『ケケッ、煩悩だからこそ、なんだがな』
「うまくねえわ」
呆れてそんなことを言いながら、俺たちは再度校舎の中へと戻ることにした。
まだやるべきことは残っている。
*** *** ***
さっきまで激闘を繰り広げていたはずの、今ではもう静まり返ってしまった廊下で煩悩がまた喋り出した。
『ところでオマエ。アレ、よく扱えたな。いくら強力とはいえ、暴発のリスクもあったろうに』
「アレ?」
『惚けるなよ、あの小僧を守るために使った魂のことだ。・・・ったく、俺様が美味しく食事してる最中に無理やり使いやがって』
「あぁ、アレね。我ながら完璧だったわ」
言いながら、俺は右手の指で鉄砲を作る。
そして、虚空に向かって
「ばん」
と撃ってみた。――勿論、何も飛ばない。
でも、さっきまでの俺なら撃つことが出来た。
あの空気を焼くような光線を。
俺を焼かんと迫ってきた灼熱の閃光を。
答えは簡単。
俺があの崩魂を俺の魂にしたから、だ。
『大体な、オマエは迂闊に人前で力を使うべきじゃ――』
「――お、あるじゃん、残映」
小言を挟みそうな煩悩を置いて、俺は視界の隅に映ったキラリとした物体に駆け寄った。
残映――俺たちが探している「魂」の残滓。
この塵のような残映をかき集めて、クソ煩悩を完全な魂――「
そうすることで、俺の煩悩をこの世から消し去る。
それが、俺の目的。俺たちのゴールだ。
とはいえ、もうかれこれ一年経つが、この塵をいくら集めても、一向にクソ煩悩が消える気配はない。寧ろ最初は口数が少なかったのに今では俺のことをからかってばっかりで鬱陶しいことこの上ない。うぜえ。
『おいオマエ、今、俺様のことウザイとか思ったな』
「・・・」
おまけに妙に鋭い。まあ、俺にしか見えない煩悩なんだから、そりゃある程度は仕方ねえけどさ。
・・・いや、厳密には俺の煩悩を器とした、俺ではない存在から生まれた高位な煩悩らしいが、煩悩が何を偉そうに、という風に俺は思うのである。
『煩悩が偉そうに、ってか。ケケッ』
「・・・・・・・・・アー、あんなところにも残映ガー」
心を読まれるのも癪なので、無心で残映を追うことにした。
同時にあることに気付く。
「・・・ん?」
光る残映が小刻みに連なって、一本の筋を作っているのだ。
俺にとっては大量でこの上なく助かるのだが、それ以上にこの筋がどこに繋がるのか、が気になった。
あの崩魂を喰らった廊下だろうか、それとも雑魚魂どもを討ち払った職員室の前辺りだろうか・・・
答えは、すぐに分かった。
あの女型の崩魂を喰らった廊下――から数メートル離れた教室
スライドドアが半開きになったままの教室の中に、残映の瞬く光が連なっている。
追って、教室の中に入る。
「・・・教室・・・」
『あの小僧が居たところ、で間違いないな』
「なんだっけ、友達に誘われて年越しに来たものの、崩魂を見て怯えちまったからここの教卓に隠れてたんだっけ?」
言いながら、俺はその視界に入る情報から目を逸らす。理解を拒む。
『・・・残映が導くのは、魂の漏出。あふれ出た心は煩悩の餌となり、崩魂を生み出す元凶となる』
坦々と話す煩悩。
「・・・・・・で?」
ここまでずっと連なってきた光る残映は、
教卓の下で、その道の終わりを告げていた。
『葉佩リョウ、だったか』
「・・・・・・・・・だからなんだよ、何が言いてえんだ」
沸々湧いてくる意味不明な感情に、俺は苛ついてきていた。
『さっきも言っただろ。――あの小僧は何かがおかしい。それだけだ」
「何か・・・ね」
『まあ別にオマエがあの小僧と二度と関わることが無ければ、それでこの話は終わりだ。・・・波風立たずに終わらせたいなら今のままヒキコモリ続けておくことを勧めておく』
「・・・言われなくてもひきこもるっつうの」
『その割には随分、校舎内の探索に精を出しているように見えたがな』
「黙ってろ、クソ煩悩」
ノールックで煩悩を掴もうとする。
しかし、またもぬるっとすり抜けられて、煩悩は暗闇に溶け込みながら腹立たしい笑い声をあげた。
「・・・あんなのただの一般人だろ」
そうだ、あの男子高校生は見るからにただの凡人だ。
何ら特別ではない、フツーに友達と遊んで、勉強して、恋愛して、ただ日常を謳歌しているだけのただの人間だ。
・・・環境に適応できる、ただの人間だ。
俺はそんなことを思いながら、心の奥底でぶらついていた違和感に一つの答えを見出した。
そうだ。
適応力。
彼に覚えた違和感の正体は、彼の適応力そのものだ。
だってそうだろ。
訳わからん化物が居て、
訳わからん人間が居て、
自分も化物に襲われて、
訳わからん人間に助けられて、
どうして正気で居られるんだ?
どうして何事もなかったかのように彼は俺と話せたんだ?
普通の人間からすれば理解することなど到底できない、現実と幻の境が分からなくなってしまってもおかしくない、そんな異常な光景を目にしたというのに彼は何事もなく帰っていった。
――警察に電話しようともせず、俺の存在を疑うことすらなく、だ。
あれは「諦め」というのとは明らかに違う。
無数の異常を認知して、その上で彼はその尋常を受け入れた。
歪で、真っ当な世界に対して、――適応した。
それが一つの現象であり、事象であり、結果である。
・・・それ自体がまた別の意味を持ってしまうことは、明白だった。
クソ煩悩が警告している内容もきっとそういうことなのだろう
『何者なんだろうな、あの小僧』
「・・・陽キャなんじゃね、知らんけど」
『よ、ようきゃ・・・? なんだそれは・・・』
俺の適当な冗談に、煩悩は疑問符を浮かべていた。
わざわざ説明してやる気分でもなかった俺は、そのまま頭を傾げる煩悩を放って廊下に出た。
「あ、そういえばお前さ、ずっと気になってたんだけど、なんか喋り方変わってね?」
ずーっと片言だったはずなのに、なんか急に流ちょうな喋りになったものだから、気色悪い。
『ん? ああ、これか。これはお前が魂との共鳴を果たした報酬、みたいなものだ』
「なんだその微塵も嬉しくねえ報酬は・・・」
『喜べ。なんなら俺様の真の姿を貴様に見せてやることも出来るぞ、どうだ、見たいか? 見たいよなぁ?』
「・・・いや、別に・・・」
『なんでだぁ!!!! 俺様の超絶カッコいい姿見たくねえとか正気か!!!!』
「いや、ホントに大丈夫・・・興味ないから・・・」
『興味は持てェ!!! これでもお前の煩悩だろうがぁ!!!!』
「知らねえよ、お前みたいなやつ・・・もう寒いから帰ろうぜ、やること終わったし」
『ま、待てこのままじゃ俺様の気が済まねえ! 見ていきやがれ俺様の真の姿!』
「露出魔のセリフだろそれ。もういいよ、寒いし、別に興味ねえし、眠いし」
『ぬああああああああああああああああああああああああああなんで俺様がこんな辱めをぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!』
「辱めてねえよ・・・・・・・・・」
なぜか一人燃え上がる煩悩を置いて、俺は玄関へと向かう。
道中、校舎の窓から夜空に目を遣った。
雲一つない空で、星が煌めいている。
明け方の、ひときわ明るい星が、妙に俺の眼に焼き付いた。
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