第19話 帰宅


「でー? とやらの得体も分からないのに、一緒にぬけぬけと帰ってきたわけだ」


「・・・えぇ、もう、はい・・・」


 我が家の食卓に暴君が座っている。

 

 姿勢を正し俯く俺の正面に、美しすぎる鬼が、座っている。


 頬をほんのりと紅潮させ、自らの銀色の髪を指でさらりと撫でながら、彼女は俺に詰問する。


「それだけでも酷いってのに、しまいには "天敵" のと戦って怪我までして・・・マジで何考えてるの。言ったわよね? 私の許可なく外で力を使っちゃダメだって。ねえ? 何とか言いなさいよ」


「・・・はい・・・おっしゃる通りで・・・」


「はいはいばっか言ってさぁ。"はい" だけじゃ何もわかんないんだけど? 他の言葉喋れないの? 赤ちゃんなの?」


「・・・いや、だからその・・・俺は――」


「うだうだいわないの! この分からず屋!」


「む、無茶苦茶だッ・・・」

 

 の前には、いくつかのお酒の空き缶が置いてあった。

 普段お酒はたしなむ程度にしか飲まない美咲さんにしては、少し缶の量が多いように見える。

 でも、美咲さんが酔っぱらってしまうほどの量ではないことも確かだ。


 俺がそんな邪推をしている内に、美咲さんは項垂れるように机に突っ伏した。

 揺れる美咲さんの髪がほんのり甘いシャンプーの香りを運んでくる。


 そして呟く。

 

「もぉ・・・ホント・・・心配だから・・・やめてよ・・・こういうの・・・」


「・・・すんません」

 

「マジで居なくなっちゃったって、もしかしたら何かあったんじゃないかって・・・心配で、心配で・・・」


 美咲さんの声は少し掠れている。先ほどまで見えていた美しい顔が、それでも少し涙の跡を見せていたことを俺は理解していた。


 ――天野美咲あまのみさきさん。

 この家に住む唯一の同居人にして、ほぼ俺の保護者のようなお姉さん。

 かくかくしかじかで俺の煩悩とも力とも言うべき、下らない性質を理解し導いてくれる人。

 力に悩み、途方に暮れていた俺に声をかけてくれた人。

 美咲さんが奔走して施してくれた恩義の数々に、俺は一生頭が上がらないだろう。


「すみません、美咲さん・・・でも俺、今やらなきゃいけないと思って・・・」


 俺の弁明に、美咲さんは静かに返答する。


「分かってる・・・そんなの、分かってるよ・・・それがくーちゃんの良いところだもん・・・」

 

 くーちゃん、俺は功善ゆえ。


「でも・・・でもやっぱ怖いんだよ、私。くーちゃんが居なくなっちゃうんじゃないかって。不甲斐ないかもしれないけど、それでもやっぱくーちゃんのことが心配で・・・大切だから・・・」


 ゆっくりと美咲さんは顔をあげてこちらを見る。

 瞳一杯に貯められた涙が今にもこぼれそうになっていた。

 その表情はあまりにも美しく、儚い。

 

 俺の心がキュッと締め付けられるのを感じた。


「ほんと・・・すんません・・・これからは、気を付けます。置手紙とかしていきます・・・」


 苦肉の策。


 しかし、「ばかぁ」と言いながら美咲さんは又も机に突っ伏す。


「置手紙じゃ、余計死んだかと思えちゃうじゃんかぁ・・・」


「た・・・確かに・・・」


 遺書的な、ダイイングメッセージ的な・・・


「じゃ、じゃあ、えーと・・・今から帰るよ的な定期的な連絡を――」


 別案を絞り出そうとしたところに、


「――それも足んない――」


 美咲さんはパッと体を起き上がらせて、


 俺の頭をそのまま抱き寄せた。

 柔らかい感覚が頭を包み込む。


「――おかえり、くーちゃん・・・無事でよかった・・・」


「――ほへっ」


 沈黙が流れる。


 あれ? 俺今、何してる?


 いや、何されてる?


 理解が、追いつかない。





 ――ぷるるるる――



「―――っ」


 食卓に置かれていた美咲さんのスマートフォンが着信を知らせる。

 その音で、俺も漸く我に返る。

 

 美咲さんはそのスマホを手に取って、画面に映し出された文字列を見てからすぐに


「――ごめんくーちゃん、ちょっと待ってて」


 とだけ言って、通話を開始した。


「――天野よ。何かしら?・・・いえ、大丈夫よ、続けて・・・うん、それで?・・・なるほどね、で、先方はなんて?・・・――――」


 仕事の顔になりながら自室へと戻っていく美咲さんを、ただぼうっと眺めながら、俺は自分の頬をつねってみる。


「――痛ッ」


 ・・・ふむ、現実のようだ。


 ぼんやりとしながら、食卓に座り直す。


 時刻は0時を回ろうとしていた。

 美咲さんが俺の為に注いでくれていたホットミルクを飲みながら、俺は一日の終わりを噛みしめる。


「くーちゃん、悪いんだけどちょっと長引きそうだから今日はもう早めに休んじゃって良いからね」


「あ・・・おっけーっす」


「その、いろいろ言っちゃってごめんね・・・でも元気でホントに良かった。続きはまた明日、おやすみ。くーちゃん」


 そういって、自室の扉からぴょこッと体を出したまま手を振る美咲さんに、俺も手を振り返す。


「おやすみ、美咲さん」


 美咲さんは美人で、心配性で、甲斐性があって、頭が良くて、社交性があって、


 俺にだけ、厳しくて



 そして、――



 ――俺にだけちょっぴり甘い。

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