第44話 日常

「おはよー久利くん……て、随分顔色悪いけど大丈夫……?」


「……おう、リョウか。おはよーさん」


 顔をあげると、葉佩リョウが心配そうにこちらを見ていた。

 ……この気弱そうな眼差しを持つ人間が煩悩の王、ねぇ。

 地獄のような今朝の記憶がリフレインする。勿論、あのトンデモ姉妹どもから聞かされた話だ。


「……す、スゴイ早い登校だね、朝一番じゃない?」


 教室内に俺以外の生徒がいないことを確認しながら、葉佩はそう言った。

 葉佩は2年A組の生徒で、俺は2年B組。本来であればこうして同じ教室内で話すことは無いだろうが、HRの一時間も前から教室に居る生徒同士となれば話は別である。


「俺は今日限定のたまたまだけどさ……葉佩はいっつもこの時間に来てるのか?」


 言えるわけがない。

 家に帰ったのが朝6時で寝たら遅刻しそうだったから登校したんだ、なんて。


「え、あ、僕もたまたまだよ、家の都合で早い時間に出なきゃいけないって今朝言われてね。いやー焦ったよ」


 言いながら、少し寝ぐせの残った後ろ髪を撫でる葉佩。

 葉佩とは奇妙な縁を感じるばかりだ。

 と、そんなことを思ったところで、

 

「あれ、リョウちん何してんの?」


 教室の外から声がした。

 見知らぬ茶髪の男子生徒と、見知った顔の女子生徒が並んで立っている。


「ここ2-Bっしょ? 俺らの教室と違うぜ?」

「あ、おはよう二人とも。今日は早いんだね」

「いやそれがよ~今朝突然ミカが——あぎゃがががががっがいでぇっ! ミカ! イてえぇ!!!」

「余計なことは言わない、どう見たって取り込み中でしょ……じゃリョウ。教室でね」

「う、うん」

「――ま、待てリョウ、こいつの悪行を聞いてェアアッィデエエエエエ――」


 見知った顔の女子生徒——は男子生徒の耳を引っ張ってそのまま視界の外へと消えたが、二人のいがみ合う声はしばらく聞こえ続けた。


 ――御子柴、思ったより元気そうだったな。

 昨日の彼女の悲痛そうな顔が脳裏をよぎる。


 彼女の抱えていた闇が何だったのか、俺には分からない。けれど崩魂の消滅と、浄化によるアフターケアによって彼女の魂は救済された。

 というのが魂の解放者らの見解らしい。


 "" で仰せられる西川原遥にしがわら はるかによれば、だが。



*** *** *** ***


 柔らかくすべすべの肌で俺をもみくちゃにしながら怪力おねえさんは言う。


「煩悩の王と関わりの深い生徒には、ここ最近で強烈な魂の揺らぎが観測されているわ。あまり時間は無いの」


「――ぽ、ぽねえさんそれよりもお、おで息がッぶッ」


「とはいえ私たち和魂の力だけでは限界がある。キミのような荒魂の力は喉から手が出るほど欲しい。本当はウチに招き入れたいくらいよ」


「――ぽ、ぽんとふはとひひますと?(本当はと言いますと?)」


「組織のポリシーに真っ向から反する荒魂の力を行使するには手続きが色々大変なの。そういう意味でも"ただの魂喰らい"であるキミに協力してほしいの――非公式の形で」


「――きょ、きょぷりょぷ?」


「そうよ。煩悩の王とその周辺に発生する崩魂を打倒し、私たち"魂の解放者"が進める"魅魂再構築計画"に力を貸す」


「ぴたまパイこうちくけいぱく……」


「それがキミに取ってもらう。ねえ? 蓮ちゃん――っていやん、くすぐったい~」


*** *** *** ***


「久利くん? な、なんか険しい顔してるけど大丈夫……?」


「あ、あぁ悪い、ちょっと悪夢を思い出してな……」


「随分酷い夢だったんだね……顔青ざめてるよ」


 だって、夢じゃないんだもんね、アレ……。

 重要な情報だってのに、思い出す度に俺の情けない声が思い起こされて死にたくなる……クソ……。


「悪いリョウ、ちょっと気分悪いからもう少し寝るわ。そっちもそろそろ教室帰った方が良いんじゃないか? 友達も待ってるだろうし」


 御子柴の現状や煩悩の王、それに魂の解放者と蓮のこと。

 はっきり言って片付けなきゃいけない問題は山のように残っている。

 でも今は、少し眠ることにしよう。


 ――どうせあいつもどっかでサボってるんだろうしな。

 時間が無いとは言え。うるさい煩悩が戻ってきてからでも遅くはないだろう。


 俺はそのまま机に突っ伏して、HR開始のチャイムの音がするまで眠りについた。






 


 しかしそれから一週間経っても、あの煩悩は戻ってこなかった。

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