第43話 悶着

 和室の壁にかかっている時計は時刻2時を示していた。

 勿論昼ではなく深夜である。


 年中引きこもりの俺でもこの時間帯になれば流石に寝ているのだが……


「先輩。ココアッス、どぞ」

「お、おう、ありがとな」


 蓮がマグカップを俺に手渡す。

 表面張力でギリギリ零れていない満杯ココアを一口すすった。


「あったけぇ……」

「雪山から救助された人みたいっスよ先輩」

「……あながち間違いでもねえだろ……」

「確かにッス」


 池に落とされたせいでびしょ濡れになった浴衣から着替え、モフモフのパーカーを着て座る俺。カラダは小鹿のように小刻みに震えている。

 

「あら蓮ちゃん、おねーちゃんのは無いのかしら?」

「ねーちゃんには要らないでしょ、池に落ちた訳でもあるまいし……ちょっとそっち詰めてよ、私も座るから」

「え~私も蓮ちゃんの作ったココア飲みたかった~」

「インスタントココアなんだから欲しけりゃ自分で作って」


 そして蓮は俺の正面に座る。

 ――俺を池に落とし、そして引き上げた怪力の女性と共に。

 ココアをまた一口すすって、俺は話を切り出す。


「……ええと、二人はきょう――んんっ、姉妹であられる感じで?」


 危うく姉弟というところだった。危ない。

 俺の問いに二人はコクリと頷いた。


「似てないってよく言われるんスけどね」

「5つも離れてるから、かしらねぇ?」

「5つ……」


 蓮より5歳年上とすると、俺の4歳上……21?

 3つ以上離れた人間と話すなんて小学生ぶりでは……? 


「あ、今私の年齢想像したでしょ~。めっ」

「ひっ!!!!!」


 握り拳をこちらに向ける怪力おねえさん。

 何が「めっ」なのかはよくわからないが、また池に落とされても困るので謝罪するのであった。


「――でも蓮ちゃんのお友達が泊まりに来てるなら教えてよ~。そうすれば彼も池に落ちずに済んだのに。ねぇ?」


 ……どうやら彼女の中では俺は自分で池に落ちた扱いになっているらしい。解せないが池に落とされても困るので俺は黙って頷いた。


「ねーちゃんがよくても父さんと母さんが許してくれないと思ったの。父さんとか、気を失った人を運ぶなら旅館じゃなくて病院だろ! って怒りそうじゃない?」

「うーん、まあ患者が普通の人なら当然の反応ね」

「先輩は異常な女たらしだから、病院に運ぼうもんならナースに手が出ちゃうかもしれないし」

「あらそうなの、若いっていいわねぇ」


 すかさず俺はカットインする。


「おい話が脱線してんぞ。戻せ軌道を、今すぐに」


「えー、先輩の泥まみれの人生を矯正するのは厳しいっス」


「俺の人生を矯正しろなんて言ってねえ! つーか誰の人生が泥まみれだ! 話を元に戻せ! 話を!」


「まあまあ二人とも。えーっと確か……彼が女たらしの泥まみれ池ポチャ野郎って話だったかしら?」

「いやなんか増えてます! 尾びれ背びれ以外にも色々ついてないですかおねえさん! そもそも池に落ちたのは僕がおねえさんの真っ赤なs——」

「――もう一度溺れたい?」

「すみませんでしたァ!!!!!!」


 俺は戒めも込めて自分の頬をセルフビンタした。

 いや、どんだけ池に落ちたくないんだとか思うかもしれないが、この極寒の中池に2度も落ちたら流石に死ぬ。いや、厳密には死にたくなるくらいに寒くなる。素で水風呂に入るのをためらっちゃうのと同じ感じ。


「ふふっ、なんてね。冗談よ冗談」


 そう言ってクスクスと笑う怪力おねえさん。

 願わくばその怪力も冗談であってほしかった。マジックとかだったらよかった。


「てか、ねーちゃんも大概だよ。いくら先輩が覗き魔だったとしても、記憶消そうとするのはマズいでしょ」

「ま、まて俺は覗き魔だったわけでは――」

「仕方ないじゃない、最初は宿泊客じゃなくて質の悪い覗きだと思ったの」

「い、いや俺は覗きに来ていたわけでは――」


「「良いからちょっと黙ってて!」」


「…………はい」


 ……なんと非力な俺。

 委縮する俺など置いて、目の前の美人姉妹の会話は続く。

 

「とにかく、ねーちゃんは亡失魂殻使うの禁止!」


 亡失魂殻……どっかで聞いたぞそれ。

 なんだっけな、記憶をなかったことにする、みたいな秘密道具だったような?


 ……ん? でもあれ椎名が使ってなかったか? 


「えー? 蓮ちゃん厳しい~ これないとおねーちゃん深夜のストレス発散できないんだけど~」

「だーかーらー! アレは私用で使っていいもんじゃないんだってば!」

「それなら蓮ちゃんもおねーちゃんと一緒にストレス発散してみる? やったら気持ち良さ分かると思うよ?」

「しないってば! 何が楽しくて露出狂みたいなことしなきゃいけないの?」

「ありとあらゆる縛りから逃れ、生まれた時の姿に戻る感覚、あぁ……思い出すだけで体が疼くわ……」

「――わっ、勝手に気持ち良くなんないでー!!!!」

「もー、そんなおっきい声出さないの。……もしかしたら彼も蓮のストレス発散を覗き見したいのかもしれないわよ?」


 コソコソと蓮の耳元で呟くお姉さん。丸聞こえである。


「お、おねえさん、何度も言いますが覗きに来たわけでは――」


 と、即座に弁明をしようとしたところに


「せ、先輩も、そういうの、見たいッスか……? やっぱり男の子だし? ど、どどどどどうしてもというならやぶさかではないッスけど……ね」


 なぜか蓮が割り込んでくる。

 しかも何故か自らの襟元に手をかけて、いつでも浴衣を脱ぎ棄てる準備をしているようにも見える。

 何をしてんだお前は。


「蓮ちゃん、貴方にだけ恥ずかしい思いはさせないわ、私も一肌脱がせて頂戴」


 いやアンタはただ脱ぎたいだけだろ。

 ――てかもう脱いでる、遠山の〇さんみたいになってる。


 これ以上はまずいな。


「あの二人とも、そろそろおふざけはこの辺に――って、あれ?」


 二人を止めるべく立ち上がった俺の両腕の動きが封じられる。

 右腕は怪力おねえさんに易々と掴まれ固定、左腕は蓮の両腕とわき腹で見事に圧迫され制止。


「せ、責任はとってもらうッスからね、功善先輩……」

「うふふ、良かったわね。私も責任さえとってくれるならサービスしちゃう」


 ?


 ?????


 責任? え、マジで何を言ってらっしゃるのこの人たちは。


 両手に滲む緊張の汗と、腕から伝わる柔らかい感触。

 二人が俺に近づくのと同時に、甘いシャンプーの香りが漂った。


「先輩——」

「ちょ、ちょっと待ってェええええええええ!!!!!!!!!!!! お、おい出てこいアホ煩悩! 今が出番だろ! 何寝てんだ! オイ! オイってば!!!」

 

 あの煩悩を叩き起こそうにも、両手が塞がっている。必死に呼びかけても応答がない。


 バカ、アイツマジでバカ。絶対バカ。一生バカ!


 このままじゃ俺、大変なことになっちゃっううううううううううううう!!!!!!!!!!!


 懇願虚しく、俺の体は二人の美女の間に吸い込まれていく。



「「――さあ、きて」」

 


 甘い誘惑、死の香り。



「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――――――――――――」


 こうして、

 断末魔のような俺の叫び声が和室に響き渡ったのであった。

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