第42話 訪問

 ズキッと音を立てる頭痛で目が覚めた。

 いつもの電球と、風に揺れる白いカーテンが視界に映る。


 ――私の部屋だ


 直感的にそう判断した。

 悪い夢を見ていたような心地悪さにうんざりしながら、体を起こす。

 枕元に置いてある時計は午前二時を指していた。


「……なに、してたんだっけ」


 パジャマの下に、嫌な汗をかいていた。

 自分の部屋の自分のベッドで目覚める。当たり前のことのはずなのに、違和感を覚える。


 家に帰った記憶も、布団に入った記憶もない。

 いつも通り学校で授業を受けて、リョウたちと談笑して、放課後は部活に出てそれで……


 そこからの記憶にもやがかかっている。

 不安が、私の心を駆け巡る。


「……はは、変だな、私」


 言いながら、焦りを振り払うように私は自室の一角に目を遣る。

 豪華な額縁で壁に飾られている賞状、棚の中で輝くメダル。

 小中高と続けているバスケットボールの大会で貰った入賞景品の数々。

 そのどれもが私が「御子柴ミカ」であることを証明してくれる――私の存在意義そのもの。


 最近は何かに追われるような、じりじりと首を絞められているような感覚があった。だからこうして自らの存在意義を再確認して、心を落ち着けていた。


「……?」


 でも、今日は何かが違う。

 いつもなら湧き上がってくるパワーを感じない。

 それより寧ろ、いつもよりずっと――


「……落ち着いてる」


 おもりが消えたような、心に憑いていた穢れが払われたようなそんな感じ。

 賞状やメダルを見ても、何も感じない。


 あぁ、私は頑張ってきたんだな

 そんなノスタルジーに浸るだけ。


 ――昨日の私もこんな風に感じてたのかな?


 あまりの落ち着きぶりに、昨日までの自分への疑問が生まれる。

 でもそれも今の私にとっては取るに足りないものに感じられた。

 記憶が曖昧なことへの不安はいつの間にか消え、心の波は微塵も揺れることは無い。

 音もなく静かに、ただ流れている。


「……寝よ」


 なぜこんな真夜中に頭痛で目覚めたのか

 なぜ昨日の記憶があいまいなのか


 そんな疑問にも早々に諦めをつけて、私は布団に入り直す。

 

 ……


 …………

 

 …………………


 時計の秒針がカチカチと時を刻む。


 ……


 …………

 

 …………………



 部屋に流れ込む冷たい風がカーテンを揺らす。


 ……


 …………


 ……あれ?


 ――なんで窓、開けてるんだろ


 少し考えれば分かることだった。

 真冬の一月に窓を開けて寝るなんてありえない。


 次の瞬間、私は勢いよく跳び起きて冷風を招き入れる悪しき自室の窓を閉めた。

 おかしいなとは思いつつも、私はその疑問の答えも探さなかっただろう 



 ――がそこに居なければ



「よぉ、随分しおらしくなったみたいじゃねえか、蛇のお嬢ちゃん」


「――!?」


 全身に走る悪寒。

 振り向いた先には彼がいた。黒いコートに身を包む同年代の男、いけすかない怪しい転校生。

 その光景に開いた口が塞がらない、言葉が出てこない。


 なぜ? いつ? どうやって?


 疑問が堰き止められない。

 混乱する私を見ても尚、彼は言葉をつづける。


「あー、安心しろ。俺様は "久利功善" じゃねえ。"俺様"はアイツの皮を借りた幻影。だからそう怯えんな」

「あ、あ、アンタ、く……久利……功善じゃ、ないの……?」


 脳が混乱する。


 私の前に居るのは久利功善という男に他ならない。

 でも、彼は自分のことを久利区善では無いと言い切った。確かにその表情や口調に私の知る久利区善らしさは微塵もない。


 不遜な態度、全てを見下す口調、おまけに禍々しい不敵な笑みを浮かべるのが眼前の男。

 いくら久利功善が嫌いとはいえ、彼がそういう男でないことだけは確かだ。

 ――寧ろそういうところがいけすかないのだから。


 であればこの男は、いやこの影は、一体何者なのか。

 彼は、そんな疑問の答えを探す暇も与えてはくれなかった。 


「俺様と取引しないか? 蛇のお嬢ちゃん」

「取引……?」

「あぁ、そうだ」


 そう言って彼は私の胸を指さした。


「お嬢ちゃんの心に開いちまったデカい穴を埋めるための、な」


 一帯が影に染まる。


 ――私の部屋が。

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