第41話 溺
銀色のあぶくが無数に生まれて、水面へと浮き上がっていく。
真冬の水中は、俺が思っていたよりも冷たくなかった。
「―――――――――ごぼっ」
――って
いや無理無理無理!!!
そんな冷静な思考のまま居られるかアホ!!!!
死ぬわ! こんな極寒の池でおぼれて死ぬとかゴメンだ!!!
「―――――――—」
じたばた暴れても体は沈み続けていくだけ。池だからと舐めていたが思ったより深いらしい。
――ホントに、死ぬ……ッ!!!!
そんな窮地の俺を、池から豪快に引っ張り上げてくれたのは他の誰でもない
俺を池に吹き飛ばした浴衣姿の女性だった。
「ご、ごめんなさい……大丈夫です……?」
「…………んぐっ! 鼻にッ、びずがっ――」
世界の重力が逆転してしまったかのようだった。
俺の足首を掴み容易く持ち上げて見せる彼女の姿が、さかさまに見えている。
あぁ、俺が逆立ちみたいな体勢になってるからそう見えてるだけね。
と、納得した瞬間に別の疑問が湧き上がる。
……え、俺今この人に持ち上げられてるの? 片手で? その体勢で?
「あぁ……やっぱりその浴衣、お客様だったんですね……ごめんなさい、つい叩いてしまって……」
「……い、いやっ、だ、大丈夫、とりあえず降ろじて……鼻に水が……」
空いている左手で眼鏡をくいっとなおしながら、彼女は申し訳なさそうな顔でこちらを見つめている。先ほどまで完全にはだけていた彼女の浴衣は、今は辛うじて彼女の身を包み隠し、その職務を全うしている。
しかし、……なんという怪力。水中から俺を引き上げるのにどれだけの力が必要かなど、考えるまでもないだろう。
しかし、俺が一本釣りされたみたいなこの構図はなんなんだ。惨めすぎないか。
「あ、頭、大丈夫です……? このまま降ろすと石の上になりますけど……」
「ゆっくり降ろしてもらえれば大丈夫、す。と、とにかく鼻に、水がッ……」
頭大丈夫です? って表現にツッコミたかったがそれどころではない。水泳の授業以外で鼻が痛くなるなんて、外の世界怖すぎんぜマジで。
そうしてようやく、地上に打ち上げられた魚のように横になる俺。
命を取り留めたことへの安心からか、暫しの間夜空を眺めてボーッとしていたのだがそこに、俺を生死の境目で反復横跳びさせてきた女性がひょっこりと顔を覗かせた。
「あのぉ……先ほどはホントにすみませんでした……お体、大丈夫そうです……?」
「は、はぁ……まあ、何とか……」
おかげさまでというか、せいで、というか、何と形容すべきだろうか。
「さっきは、てっきり変質者かと思って、手が……」
「あ、あぁ、それは、その……隠れてたこっちが悪いです、すみません……」
最初からコソコソせずに出ていけばこうはならなかっただろうか。
「その……」
「?」
突然口ごもる怪力女性。
「……見ました?」
「……?」
「いや"?" じゃなくて、見たかって聞いてるんです」
……あれ?
「み、見たかっていうのは、な、なんのことざんしょ?」
必死に目を逸らす俺。
すると彼女はずいっと俺に顔を近づけてきた。にっこりとした美しい笑顔が暗闇で陰る。
「やっぱり見ましたよね? アレ」
「ど、どれのことっすかねぇ……そ、そもそも俺は貴方の名前すら知らない者でしてッ!?」
「関係ないです、見たかどうか、それだけです」
「こわい! その二者択一は怖すぎる!」
「ご託はいいから、認めてくださいまし」
「くださいまし、じゃないよ! こわい! とりあえずその笑顔が怖い! 別にみてないから! 豪華にはだけた浴衣の下に見える大人な下着とか見てないから! 見てないから!!!!!!」
「――――――やっぱり見てたんですね」
「はうっ!?」
脳みその大事な部分を池の中に落としてきたのかもしれない。そう思うくらいにアホな回答だった。
ゴゴゴゴ、と目に見えても不思議ではないくらいに怪しいオーラが彼女の背後に漂う。どっかで見たぞこんなの。
「こうなっては仕方ないですね……」
「な、ナナ南奈奈何が仕方ないんですかねっ」
「お客様と言えど、池に落ちて落命することくらい、ありますよね」
「ないよ! フツーないよ! くっ、逃げなっぎゃっ――」
「……ふふ、逃がしませんよ?」
そのまま、起き上がろうとする俺の体をその怪力で押さえつける彼女。
彼女の顔がドンドン俺の顔に近づいてきて、その影を一層深くしていく。
「……池に落ちたアナタが、息をしていないという体でいきましょう。そうすればきっと全てうまくいきます」
「う、うまくいくってそれ逝く方じゃないですよね?!」
おふざけなのか本気なのかもはやよく分からなくなってきた俺は水で重くなった浴衣のまま暴れる。しかし、そのアクションは彼女の怪力によって悉くなかったことにされる。
「はい、それじゃ、これで……おしまい――」
「う、うああああああああああああああああああああああああああああああ」
俺の体に覆いかぶさってきた怪力女は、なぜかそのまま俺の顔に自らの顔を近づけ、――その唇を俺に重ねようとした。
刹那、
「な―――――にやってんスかああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ドカン、という大きな音と共に、俺に覆いかぶさっていた謎の女性が押し飛ばされた。
「バカ先輩!!!!!! ねーちゃんと何イチャコラやってんスかぁぁ!!!」
「やーん、蓮ちゃんったら、お姉さんになんてことするの」
「ねーちゃんもねーちゃんッス! またいつものやつで都合の悪い記憶消そうとしてたでしょ!」
「……え、なに……これどういう状況?」
「先輩の女たらし!」
「あら、ということはもしかしてこの人、蓮ちゃんの彼氏さんだったのかしら?」
「い、いやもうなんか色々ややこしいな!」
あまりの寒さに凍え死にそうな俺は、とりあえず室内へ入ることを所望したのであった。
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