第15話 選択
突如、視界が微睡んで、海底に溺れていくように意識が転換する。
もう戻れないあの過去が、膨大な感情と共に流れ込んでくる。
*** *** ***
放課後の教室。隅っこの席で本を読む俺に、
「ねえ
頬杖を突いたまま、彼女はそう言った。
校内で人に声をかけられることなんて、課題提出の催促くらいしかなかった俺は、あまりの衝撃にうっかり声を漏らしてしまう。
「・・・え?」
「いや、え、じゃなくて、なに読んでるのって聞いたんだけど」
「なにって・・・え、ホントに俺に言ってる?」
「ふふっ、面白いこというね。そもそも久利って名字、このクラスに一人しかいなくない?」
くしゃっとした可愛げな笑顔。
艶やかな黒い長髪が教室の窓から差し込む夕日を反射する。
凛とした雰囲気に、無防備な笑顔。
不意打ちのギャップが心を揺らがせる。
「そ、それはそうだけど・・・別にフツーの本だ。同じ本、教室の本棚にもあるよ多分。題名は――」
「久利くんの読んでるとこを、見せてよ」
「・・・はぁ? なんで・・・?」
「キミの読んでる本に興味があるから」
「意味不明だ・・・からかってるのか・・・?」
「違う違う、そんなんじゃないよ。久利くんってどんな人なんだろうって気になってるのはホントだし」
「それも意味不明だ・・・クラスの日陰者としてのんびりしてる俺に何を期待しているんだ・・・」
「自分で日陰者って言う? 普通」
「そもそも俺からすれば、普通の人間は日陰者じゃないからな」
「あはは、何その自虐。やっぱ久利くんのこと気になっちゃうなぁ・・・頭の中覗いてみたいかも」
・・・気になるとかいうな。そして頭の中覗きたいとか言うな、こえーよ普通に。
「気になる」とか、「興味がある」とか。
陰キャボッチの俺に、その言葉は禁句だ。
誰とも関わらない生活に、差し伸べられる女神の手。
それはきっと、掴んではいけない手だったのだろう。
「ね、ちょっとでいいから見せてくれる? あ、頭の中じゃなくて、本の方ね」
*** *** ***
意識は予兆もなく転換する。
河川敷を歩く俺と彼女。
自転車を押して帰る俺と、伸びをしながらただ歩く彼女。
友達になってしまった、俺たち二人。
「うや~今日も疲れたぁ・・・ねえ久利くん、その自転車の後部座席に私も載せてよ」
「いや、自転車に後部座席なんてねえよ・・・というか、生徒会長がそんなこと言って良いのか? 校則違反どころか道交法違反だろ」
「ふっふっふ、生徒会長である前に一人の人間。一度や二度の過ちは神様も許してくれるんじゃない? 多分」
「・・・随分適当な神頼みだな」
「神は至る所に宿ってるからね、ほら、久利くんの自転車の後部座席にも――っと」
ぴょこん、と彼女は俺の自転車の後ろに飛び乗った。
体制を崩しそうになりながら必死に自転車が倒れないようにバランスを取った。
「――お、おいっ、急に飛び乗んなよ、危ねえなあ!」
「でも、ちゃんと抑えててくれたじゃん、やっさし~優男だ~褒美を与えて遣わす~」
言いながら、俺の背をつんつんつつく彼女を見て、俺はわざとらしくため息をついた。
「まったく乱暴な女神さまだ・・・てっきり、アンタはもっと真面目な人間だと思ってたが」
一瞬、間を置いて、彼女はボソッと呟いた。
いつにもなく、気弱そうな声で。
「・・・真面目、かぁ。よく言われんだよねえそれ。帰る前も、先生に言われてきたし」
珍しく、一瞬陰りを見せた彼女の表情を見て、訂正する。
「・・・まあ、別に真面目なだけがアンタだとも思ってないよ、今は」
「もしかして、私のこと慰めてくれてる?」
「いんや、別に、そういう意図はない」
「久利くんは相変わらず変な人、だよ」
つん、と一度だけ背中をつつかれる。
「でも、そういうとこが、良いとこだよね」
「そりゃどうも」
「――そうだ、ねえ久利くん。私と悪いこと、してみない?」
「悪いことって、なんだよ」
「決まってるじゃん」
言って、耳元で囁く。
「二人乗り、だよ」
*** *** ***
遥か彼方から、声が、聞こえる。
彼女が、俺の名を呼んでいる気がした。
――ねえ
――――最後の一生のお願い、聞いてくれる?
――――――私の全てを奪って
そして――
――――――――あなたの全てを、私に頂戴
*** *** ***
止まない雨が、俺の体を延々と叩き続ける。
レインコートのフードを深くかぶっても尚、俺の頬は濡れていた。
――俺の、俺のせいで・・・彼女が・・・
――俺が・・・俺が・・・選ばなかったから
選択には常に責任が伴う。
だから俺は、空っぽを選んだ。
選ばないことを、持ちえないことを、選んだんだ。
それが誰も不幸にしないための最善策だと思ったから。
でも違った。
何も選ばないことは、彼女を守ることにはならなかった。
何も選ばないことは、彼女を救う手段を放棄することだった。
結局、俺は唯一守りたかったはずの彼女さえ、守ることが出来なかったんだ。
――俺が、空っぽだったせいで
*** *** ***
――オマエは、何のために生きている?
――オマエは、何者だ?
答えの出せない問い。
煩悩との忌まわしい出会い。
「俺はオマエを祓う、煩悩なんて、この世から消し去ってやる」
『ケケッ、いいゼ、なら、力を貸せ。俺も協力してやるヨ』
空っぽだ。
理想も信念も矜持もない。何かを清算するためだけに、俺は行動する。
でも、それが俺だ。
空っぽなのが、俺なんだ。
誰になんと言われようと、その存在を否定されようと、
空っぽな俺は、確かに俺だ。
*** *** ***
止め処なく溢れる過去の情景。
そのどれもが断片的で、不明瞭だ。
おかげで俺の自意識は、奔流する思考の中に置いてけぼりになっている。
滝のように流れ落ちてくる無数の感情の中に、俺は俺自身を探す。
激流の中に手を突っ込んで、手探りで俺は俺を求める。
――俺は、
――何のために、ここに居るんだ俺は
――こいつを、葉佩リョウとかいうよく分からん奴を、よくわからん理由で助けに来たんじゃないのか
――俺と関わった人間にもう二度と居なくなってほしくないから、来たんじゃないのか
――今度こそ選択を、責任を、背負いに来たんじゃないのか
不甲斐ない自分に、怒りを籠めて、
俺は、激流の中でソレを掴む
そして、自らを一喝する。
どこ彷徨ってんだよ、クソみたいな俺の自意識がッ!!!!!!!
なに迷って、後悔して、見失ってんだよ
俺は俺にしかできないことを、やるだけだ
今も、これからも、ずっと。
もう、迷いはない。
俺は、深い水の底から、浮上する。
*** *** ***
「死、に、腐れェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!!!!!!」
意識が今度こそ、現実世界に引き戻される。
絶体絶命の3対1。
頭上から降ってくる、金髪野郎の斬撃。
両足首を掴まれているから、踏み込みも跳躍も出来ない
それでも俺は、俺は――
右手を強く握りこんで、天に向かって勢いよく突き上げる。
「――――
――今度こそ、この手で――
――誰かに手を伸ばすんだ
天をも穿つ光の柱が、路地裏から立ち昇る。
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