第35話 侵蝕
*** *** ***
もし、
友達も、
家族も、
そして自分自身までも、
知りうる限りの、ありとあらゆる存在から
自分の存在を否定されたとして。
――絶望していたとして。
そんな自分に、何のメリットもないのに手を差し伸べてくれる奇跡のような他人が現れて、暗闇から救い上げてくれたとして。
その救世主のような赤の他人を恋焦がれるようになってしまった
なんて考える今の私は愚かなのだろうか。
でも、あの人なら、そんな風に悩む私のことすら、笑い飛ばしてくれそうな気がするんス。
その手で私の頭を撫でながら、一緒に悲しんで、笑ってくれるはず。
私を救ってくれた時と同じように。
「――
――――俺とお前の繋がりが、確固たる証拠だ
……え? 曖昧か?」
*** *** ***
「――やっぱり先輩は、私の救世主っスね」
八重歯を見せてにっこり笑う彼女の顔を、俺は見つめる。
前髪をたくし上げる彼女の額には一文字の傷跡。
とうの昔に完治しきった傷の名残が、くっきりと視界に映る。
「その傷跡……」
「これで思い出せそうッスか?」
かすかな記憶をたどる。
俺はこの傷跡の持ち主に、そして今俺の前に立つ女性のことを知っていることになる。
その記憶の中で彼女は、男子小学生の認識であったが。
「
「泣き虫は余計ッスよ。――つか、何で一目で思い出せないんスか!? 結構傷付くんすけど!?」
「い、いや……俺、蓮のことは男の子だと――」
俺が中学に上がりたての頃に、ひょんなことから出会った当時の小学生。
それがこの
……引きこもりではなかった中学時代の俺のことを知っている、稀有な存在と言えるだろう。
まさか、こんな所で出会うとは……そして、女子だったとは……
てかやば。俺、めっちゃ失礼じゃん。
不意の失言を撤回する間もなく、蓮は立ち上がり激昂する。
「お、男ォ!? 何でそうなるんスか! 見てくださいよこの制服! れっきとした女子生徒ッス!」
「わ、悪い。とはいえ、最後に会ったのってお前がまだ小6とかだったろ? 流石に男女の見分けまではついてなかったというか……」
「いたいけな少女の純情を弄ぶなんて先輩酷いッス! サイテーッス!」
「ッ、人聞きの悪いことを言うな! 他愛もない話をしてただけの友人関係だろうが!」
「うわ~やっぱ私のことは遊びだったんスね! あんなに何度も逢瀬を重ねたって言うのに! このっ、久利先輩の女たらし~!」
「逢瀬って言い方やめろ! 余計怪しい感じになるだろがっ――お、おいやめい!」
「久利先輩のばぁ~か~ このこの~」
言いながら、ぽかぽかと俺の肩を叩く蓮。
小言を言いつつも楽しげな表情は、あの時の無邪気なしょうね……少女のそれと同じだ。
――しかしその瞬間、
「―――――――――――」
「―――――――――――?」
――彼女の背後に無数の蛇の頭が迫るのが見えた。
――凄まじい速度で、一心不乱に彼女の頭目掛けて、捕食を試みる
「――ッ!?」
背後から音もなく発される攻撃に、彼女は回避姿勢など取れるわけもなく、その脅威に気付きながらも、ただ振り返ることしかできない。
――ど、どういうことだ!?
御子柴への警戒を解いたつもりはなかった。
八つの蛇の頭は確かに御子柴ミカの元に残っていたはずだ。
横目で御子柴の方を見遣る
――やはり、今も尚残っている。
ということは、この場には16個蛇の頭があるということになる。
隠れていたということか? ……いや、ここまで温存する必要性が無い。
幻覚でもなく、実体を伴った陽動。
「―――――――」
迫りくる蛇の表皮がやけに艶やかなのに気付く。
――脱皮。
用語としてしか知らない程度の言葉が脳に浮かぶ。
つまり、御子柴ミカの元に今も携えられている蛇の頭は、脱皮後の残滓で、ここにやってきたのは本体。
そしてその本体はこの瞬間まで、「人に知覚されない」ときた。
どういう能力だよ。
1秒にも満たない時間でそんな答えを出したところで、戦況は一向に好転しない。
ただ迫る危機が、俺の思考を現実に引き戻す。
――クソッ!
自分自身に怒りをぶつけながら、俺は右手に力を籠める。
――俺はいつも遅すぎる。
助けるのも、自分自身の生き方を見定めるのも。
何もかも、後手後手だ。
「――せんぱっ」
迷いと恐怖が混ざる蓮の表情。
――行くさ、待ってろ。
もう二度と、俺を知っている誰かを失うわけにはいかない。
その眼をまっすぐ見返して、俺は心を決める。
これしかない。
ノロマな俺でも、この魂さえあれば――
俺は右手の感触を確かめる。
ごつごつとした石ころのような、蛇の鱗。
先刻砕いたはずの蛇の頭から得た、奴の一部。
右手から滲み出るほど負のオーラを纏う不思議な破片を俺は握りしめていた。
意図的なものでは無かった。もとよりこうなるなんて思っていなかったのだから。
だが、直感的なものではあった。
これは何かに使えるかもしれないという予感。予兆。
そしてその迷いともいえる選択肢を、捨てなかった。
捨てることを選ばなかった。
俺は、そういう人間だ。
優柔不断だからこそ、
何も選べなかったからこそ、
あらゆる可能性を排除しない
あらゆる準備を怠らない
来るべき時の為に。
「――喰らい尽くしてみろ、クソ煩悩が——」
破片を握りしめた右手を、己が胸に充て、突き刺す。
音もなく侵蝕してくる蛇の破片を、魂に融合させるために。
――自分の魂に他者の魂を溶け込ませるなんて、美咲さんが聞いたら鬼のように怒るんだろうな
だが問題はない。俺は元々空っぽだ。
根幹となる魂が存在しない、器だけの人間なのだから。
出来上がった魂だけが、俺の答えだ。
「――ぐッ」
――行き場のない黒い感情
――淀んでいく負の感覚
――溢れ狂う劣情
その全てが、流れ込んでくる。
俺の意識を奪わんと、暴れ狂う。
それと同時に、俺の体の周りに黒いオーラが纏わりつく。
時が止まったかのような時間の流れの中で、
『――ヒャハハ!!! おもしれぇ!! 相棒、やってくれるじゃねえか! …………いいぜ、張ってやるよッ……』
いつものアイツの声に、真剣さが混じっているのが分かった。
それから間もなくして、
――せめぎ合っていた二つの魂が、一つになるのが分かった
「――――――――――――」
混線する思考が徐々に落ち着いていく。
情や迷いが悉くうち伏せられ、
目の前の魂を喰らうことにだけ、意識が研ぎ澄まされていく。
「―――――――」
――全身が、黒に染まる
――心が、邪悪に落ちる
――魂を引き摺り、喰らうために
「――失せろ、蛇頭」
――次の瞬間、俺の後輩である西川原蓮を襲おうとした8つの蛇の頭は、
――喰らい尽くされた残骸となって宙に舞った。
暗闇の自意識の中で、奴の声がクリアに聞こえてくる
『……
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