第46話 暗闇

 

 その名を知らない町民は居ない。深花町の北東に位置し、だだっ広い山地を背に構える美術館。

 昔はテレビ局や週刊誌の記者が取材に訪れていたこともあるらしい

 取材陣の注目は勿論「展示品」。俺はそういった分野に疎いので詳しいことは知らないが、海外で大層有名な絵や彫刻が一時的に深花美術館に移送され、公開されていたとかなんとか。

 ……こんなしょぼくれた町のどこに海外と交渉出来るような権力が隠れているのか、今思えば不思議な話だが。

 とまあ、そうして栄えていたのも昔の話で、人口と観光客の減少を理由に10年前に閉館。今では手入れもされぬ廃墟となってしまい見る影もないのがこの場所である。


 俺も幼いころに訪れたことはあるが、何が展示されていたかなど覚えていない。

 幼少期の記憶は往々にしてそういうものではあるが、



 ――少なくともこんな



「――なんだよ、あの影……展示されてた作品、なわけないよな……」


 俺は壁と天井に這う黒い影を指さして呟く。

 間違いなくその影は我々のモノでもなく、尋常ならざる者のそれだ。


「……嘘だろ……こんなバカでかい崩魂がどうしてこんなただの廃墟に……」

「狼狽えるな諸星。図体はデカいが、魂殻はさほどでもないと見える。焦らず叩くぞ」


 しりもちを着いたままの俺の後ろで諸星と東條が話すのが聞こえる。

 二人には、崩魂が見えているらしい。


「……は、はは、まさか、こういう感じとは……」


 俺は自分の置かれている状況に渇いた笑いを浮かべるしかなかった。

 視界に映るのは


 この一年間崩魂の姿を明確に捉えてきたはずの俺の眼が、全く以て機能していない。

 ただ黒く異様な影だけが揺れ、見えない恐怖を掻き立てる。


 ――姿


「おい」


 背後から咎めるような東條の声。

 

「何ボケッとしてるんだ、早く立て。巻き込まれたくなければな」


 東條と諸星は既に臨戦態勢だった。俺には見えない崩魂の挙動に目を凝らし、好機をうかがっているように見える。


「……お、おう、わりいな」

「……」


 俺は立ち上がり、黒い影から遠ざかる。いつもなら真っ向から命のやり取りをしているはずの対象に背を向ける。


 ――見えない。

 ――存在を認知できない。

 ――何も、分からない。


 その積み重なる事実が、奴に背を向けた一瞬の間ですら俺の心に巣食う恐怖を増幅させる。

 呼吸が乱れ、思考が鈍る。


「――――――ッッ!!!!!!!!!!!!」


 俺の耳には聞こえない崩魂の強烈な叫び声で廃墟が揺れる。

 東條と諸星だけが耳を塞いでいる姿を見て


 俺は立ち尽くしているだけ。

 力もなく、姿を見ることすら叶わず、ただ呆然と立ち尽くすだけ。


「――っるせえな、この崩魂がッ……隊長、俺先行くんで援護頼みますよ」


 諸星は黒い影へと駆けだし、両手で何かを握るようなポーズをとる。


「待て諸星ッ! この崩魂、様子が変だ――」


 そんな諸星を制止しようとする東條の声より先に――


「――


 諸星の言葉と同時に、彼の手元に一本の剣が現れた。


 ――ように見えた。


 ――今の俺には、その真偽さえ分からない。


 諸星は瞬く間に黒い影に跳び込み、その手に持つ剣と思しき何かを勢いよく振り下ろす。


 黒い影はその一撃によって爆散する。

 と同時に、黒い影はまるでその瞬間を待ちわびていたかのように大広間全体に広がった。

 壁を天井を地面を装飾品を、ありとあらゆる物体を、空間を黒に染め上げる。

 黒く禍々しい影が部屋全体を覆い、俺たちの視界を黒で埋め尽くさんとするその中で、



「――ッ、あの馬鹿、だから止まれと――」




 東條の苛立った声はそれ以降ピタリと聞こえなくなってしまった。

 俺の視界も例外なく真っ黒に染まる。

 自分がどこにいるのか、それさえも分からない。



 ……




 …………




 ………………



 暗闇と静寂の中、見えない恐怖が押し寄せる。


 俺に崩魂の姿は見えない。


 この状態で崩魂と会えば、 


 為す術もなく、殺される。


 は、はは、こーわ……



「――みぃつけたぁ」

「――ッ!?」


 そのまま俺は何者かに羽交い締めにされ、首筋に刃物らしきものをあてがわれた。

 冷たく鋭い感触に息を呑む。


 身動きの取れない俺の背後にいる人物は、聞きなれない飄々とした声だった。


「いやーやっぱここで正解だったね、一石二鳥か? いや、三鳥?」


 見えない崩魂ではない。

 人間の声と実物の刃物。


「お、おまっ――ッ!」


 抵抗すべく声をあげようとしたところを、力強く手で押さえつけられる。


「しーっ、静かにしてないとダメだよ。死んじゃうから。


 ――キミも、キミのお仲間もね」


 

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