第30話 転落

「御子柴せんぱ~い、こんなもんですかぁ?」


「っ……このッ……」


 1on1のミニゲーム、攻めが西川原さん、守りは私。


 軽快なボール捌きを見せて、彼女は不敵な笑みを浮かべる。

 その顔がどうしようにも腹立たしくて、私は無我夢中でボールに喰らいつく。


「いや、なんですかその惨めなディフェンス。舐めてます?」


「――ッ」


「だからそんなんじゃ無理だって」


 私のディフェンス、ボール奪取は悉く阻まれ、彼女はそんな私をあざ笑うかのように、ただ右に左に、ボールを移動させるだけ。

 彼女の手に戻ってくるように仕組まれたかのように、滑らかに、そして素早くボールは跳ね続ける。


 俊敏さには自信があった。

 校内一、いや、県内でも有数の実力者だという自負があった。


 私は、私にはもう、バスケしかなかった。


「折角この学校のバスケ部に興味あってきたんだけどな~、部長がこのレベルなんじゃ、県大会止まりが限界かな」


「あなたねェ……言いたいことだけ言ってくれるじゃない」


「ならせめて一回くらいボール奪ってみてくださいよ、御子柴先輩。こんなぽっと出の一年にコケにされてちゃ嫌でしょ?」


「……くそっ」


「そうそうその目その目、その意気ですよ先輩、良い感じ」


 突撃する。躱される。


 フェイントをかける。見透かされる。


 フィジカルでは負けてないはずなのに、それを補ってあまりある技量で阻まれる。


 何をやっても、ありとあらゆるアクションに最適解を返される。


 何もできない、手も足も出ない。


「部長……」


 信頼する仲間の前で、無様な姿を晒さざるを得ない。


 視線が痛い、どうして、どうして、どうしてどうしてどうして――


 このもやもやとした感情。

  

 焦っている? 嫌悪している? 

 

 何に? 誰に? 自分に?


 胸が張り裂けそうになって、ズキズキ痛んで、それでもなお、突きつけられる事実は覆らなくて。


 私は、何のために?


 私は、何も出来ない?


 呆然とする私の前で、西川原さんは華麗なドリブルで私を抜きながら、


 ――囁いた。


「――このままじゃ居場所、無くなりますよ」


「――っ?」


 咄嗟にボールに伸ばした手をひらりと躱され、見惚れるようなレイアップシュートを決められる。


 これで、7連続得点。


 私は彼女から一点も取れず、彼女は一度も私に止められることなく点を決めている。


 攻守交替含めた1セットのゲーム。

 つまり私は7回連続で完敗したことになる。


「はい、このゲームももーらいっ。楽勝っすね~」


「――ハァっ……ハァっ……」


 敗北が、疲労を加速させる。

 膝に両足を付き、肩で呼吸する私の元に、西川原さんは近づいてきて、耳打ちした。


 いや、耳打ちなどと言うかわいいものではない。


 もっとおぞましい、身の毛もよだつような呪いのような囁き。


「御子柴ミカ。父子家庭の一人っ子」


「……え」


 坦々と、告げる。


「母親は娘が5歳の頃、別の男とデキた挙句借金を作って蒸発。

 父親は工場勤務で稼ぎも良くなく、借金に追われる日々」


 この学校で私しか知らないはずの事情を。

 誰にも知られたくない秘密を。


「運動神経だけ抜群だった娘は、特待生で高校に入学、学費は全免除。

 1年目からレギュラーでバスケ部を牽引するが、未だ目立った成果は出ていない……この調子じゃ、今年で特待生枠外されるかもっすね? なんて……」


「……な、なんで、そのことを――」


 ぱっと傍を離れた彼女は、気持ち悪い笑みを浮かべながら答える。


「なんで? やだなぁ御子柴先輩、そんなの決まってるじゃないっすか」


 最低な笑みのまま、


「――面白そうだからっすよ」


「おもしろ……そう……?」


「そっす。――ほら、あれ見てくださいっす」


 言って、彼女は体育館の入り口方向を指さした。


 私はその光景に、言葉を失う。


「校長先生……それに……ぱ、パパ……?」


 ふくよかな体形の校長先生と、仕事帰りで直接やってきたのか、作業着のパパ。


 こんな姿を絶対に見られたくない二人が、そこに居た。


「折角なんで来てもらったんすよ。特待生が新入部員をビシバシ指導する、輝かしい姿を見に、ね」


「あ……ぁ……」


 二人の驚くような悲しむような表情を見てしまう。


 心が、割れそうになる。

 

 全てが、嫌になる。


 何も考えたくない。もう何も失いたくないのに、悲しみたくないのに、どうして、どうして、どうしてこんなに苦しいの、哀しいの。


 どうして、報われないの。

 

 嫌、嫌、嫌。何もかも、嫌。


「ミカ! なにやってるんだ! 諦めるな! もっとできるだろう! 校長先生、もうちょっと待ってください、これは何かの間違いです、ミカの実力はあんなものじゃないんです!」


「……むぅ、しかしですな……どう見ても彼女の方が……」


「特待生、ミカは、特待生なんです! だから、こんなところで……お願いだ……ミカ……負けないでくれ……」


 あぁ…………。


 ……ごめんパパ、私ね。限界なの。

 バスケは好きだけど、私は自分の才能の限界を知っている。

 届かない天井を理解してしまっている。


 ずっと前から、きっとわかっていたのに。


 でも、辞められなかった。止められなかった。

 私が私であるために、私はこんな私を認めてはいけなかった。


 何にもなれない私を、人の才能に嫉妬しているだけの私を、自分だと定義するわけにはいかなかった。


「どうっす? 自分の限界を突きつけられる感覚は」


 絶望する私の頭上で、見下すような声がする。

 言葉が出ない。


「あ」


 と、何かを思い出したかのように呟く西川原。


「そういやなんすけど、先輩がいつもつるんでるクラスメイトさんたちいるじゃないっすか~」


 私が学校で関わる人――アキラやリョウ、カイトたちのことを指しているのだろうか。


「――彼らにも迷惑かかるかもっすね」


「――っ」


「だって先輩が特待生だから、彼らの評価も一定保たれてた側面もあるくないすか? 特にあの陽野って問題児と、葉佩っていう平凡すぎる人。

よくよく考えれば先輩たちが皆同じクラスに在籍してるのも、おかしな話ですしね~」


 ぁぁ。


 もう、何も言わないでと願った。


 その先に待つ言葉は、もう、――


「つまり先輩が特待生じゃなくなったら、あそこにも先輩の居場所は無くなるっす。良かったっすね、先輩」


 居場所がなくなる。


 その言葉は、今の私には響きすぎる。


「―――ぁ、――――――ッ、 ―――――ぁぁぁぁ」


 頭が割れるように痛い。


 掴んで、引き抜いて、痛みが治まるのなら、良かった。

 でもそれさえもできない。


「――イイ感じ……っすね、ぼちぼち連絡してやるか」


「私の……居場所が……なくなる……」


「――そうっすそうっす、独りぼっちっす」


「アキラも……リョウも……」


「恨まれるでしょうね~ 絶縁で済めばいい方かもっす」


「――ぁ……ぁ、ぁああああ」


 静かに、心が壊れていく。


 ひびが入って、剥がれ落ちて、弱弱しい生身の心がむき出しになっていく。


 ボロボロと落ちていく私だったはずの何かは暗闇の中に消えていく。


 心がずたずたに破れていく。


 ――その割れた隙間を縫って、思考が割り込んでくる。


 ――恨め


 ――妬め


 ――――拒絶しろ


 分からない。何も。


 私の感情も、私の本心も。


 もう、どうだっていい。


 そう思ってしまった。


 どうせ何もかも失うのなら、


 居場所がなくなってしまうのなら、


 全部、壊れてしまえば良い。


 誰も、妬まなくて済むように。


 私はそのまま、ゆっくりと目を閉じた。

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