第4話 共鳴

「はぁ……どうしてこんなことに……」


 教卓の中に隠れてつぶやいた言葉。しんとした教室では、やけに響いて聞こえた。


「そもそも、なんで僕だけ……みんなで行こうって約束したじゃないか……も、もしかして僕、騙されたのか!?」


 一人ぼそぼそと呟き続けていても、事態が進展しないのは分かり切っている。けれど怖いものは仕方がない。恐怖で足が竦んでしまうのだから、どうしようもないだろう。

 ……かれこれもう一時間ほどだろうか。

 教卓から出て壁にかかっている時計を見ることすら、もう億劫だ。


「マジで何なんだよ、あれ……」


 視界を手で覆いながら、とびきりのため息をつく。

 現実逃避。

 全てが夢であってほしいと、切に願う。

 頬を軽くつねってみたが、鈍い痛みだけが残酷にもこの世界が現実であることを知らせてくる。



 ――本当に、あれは、あいつは、なんだったのだろう。



 純粋な疑問が脳内で生まれる。

 落ち着いた思考はすぐにその問いに答えを出す。




 ――化物だ。 


 ――あんなの、化物以外の何物でもない。


 ――ヒトの形をした、人ではない、化物


 もう何度目かもわからない自問自答に、僕はまた一つ、教卓の下でため息をつく。


*** *** ***


『右ダ』


 俺は煩悩の声に従って、言われるがまま体を右に傾ける。そしてそれと同時に、俺がついさっきまで居た場所に、無数の閃光が飛び交うのが見えた。

 無数の閃光は空を裂き、何かを焼き尽くしたかのような音と共に消えていく。

 

「避けるんだ、ざーんねん♡」


 閃光を生み出した張本人――女性の形をした崩魂は、不気味な笑みを浮かべながら、舌をぺろっと出して見せた。二俣に分かれた舌先が独立して動いているのが妙に気色悪い。


「あは」


 何かに気付いたかのようなわざとらしい素振りを見せる崩魂。


 そして彼女は、ぶらっとした右手をゆっくりとあげて、俺を指さした。


「――まだ終わってないよ、はいっ♡」


 刹那、俺の視界を閃光が襲う。

 

「な…………ッ」


 眩い光。視界を覆うべく両腕を掲げる。


「ッ!?」


 全身が焼けつくような感覚を覚えた次の瞬間、俺は何かに突き飛ばされた。


 いや、突き飛ばされたというよりは「体の内側から引っ張られた」というべきか。

 無理やり体を突き動かされたせいで俺の体勢は大きく崩れる。

 

『阿保ガッ! 気を抜くナ! あんなのマトモに受けたら一瞬であの世行きだクソ人間!』


 胸の奥からけたたましい怒号が聞こえてくる。

 どうやら俺はこいつに引っ張られたらしい。

 口元を拭って、俺は言葉を返す。


「……悪い」


 自分の死をこんなに身近に感じることが日常生活であるだろうか。

 一歩間違えたら死ぬ。

 その感覚は、この一年ここで彷徨い続けた俺にとってもまだ新鮮で恐ろしいものであるに違いない。

 全身から吹き出る冷や汗が、不規則な呼吸が、強張った全身の筋肉が、


 ――俺に近づく死を実感させる


『分かりゃイイ。こんなとこで死ぬんじゃねえゾ、アイボウ』


「急にキザになんな、俺とお前は相棒じゃねえ。ただの依り代と寄生虫だ」


『ケケッ、その調子ダ』


 俺と煩悩のやり取りなどなんら意にも介さない崩魂は、黒紫のオーラをさらに色濃くして全身に纏う。


「あらあら♡ 今のは仕留めたと思ったんだけど。なに、先生のこと嫌いなの? そんなことないわよね? 好きよね? 好きって言え、ほら」


「……」


 「こっちにこい」と手招きする彼女の手がギラリと光る。

 この崩魂の、攻撃の合図。


『右ダ』

「――っ」


 言葉に合わせて俺は最速で体を翻す。


「え~何でよけんのよマジで。ちょームカつくんだけど?」


 ――急にギャルっぽくなんな


 内心そうツッコむ俺が立っていた場所には、無数の閃光が発生する。

 そうして生まれた光の跡には焼け焦げた空気の匂いだけが残る。


 間違いない、あの閃光を浴びれば俺も焼かれて死ぬ。

 幾重の光に焼き尽くされて、死ぬのだ。

 これまでの戦闘で、経験した事の無いような緊張感。

 それもそのはずだ、こんな魔法まがいの攻撃を受けたことは一度もなかったのだから。


「な、なあ、ああいうやつってどうやったら倒せるんだ? まるで近づけねえぞ」 


『ア? 知るかよそんなの』


「知るかよじゃねえ。このままじゃ俺が死んで終わりだぞ」


『死んだら墓くらいは造ってやるヨ。引きこもるには丁度いいダロ?』


「冗談言ってる場合じゃねえっつうの、ぶっとばすぞ」


『俺様じゃねえ、アイツをぶっとばしてくれアイボウ』


「だからその方法を聞いてんだろうがッ!」


 交わす言葉もそこそこに、次々と追い打ちをかけてくる閃光を、煩悩の指示に従ってぎりぎりのところで避け続ける。

 崩魂は閃光を悉く避ける俺に苛立って何かを叫んでるようにも見えたが、残念ながら今の俺もそれどころではない。


『懐に入り込んで、奴の魂を叩き潰す或いは喰い潰ス。それしかナイ』


『だぁかぁらぁ! その懐に入る方法を聞いてるんだが』


『……お前は家に帰る方法を他人に聞くのカ?』


「はぁ? 何を意味わかんねえことを――ってあぶねっ」


『――良い回避ダ。いいカ、よく考えロ。あれは煩悩がヒトの魂を餌にして膨れ上がった不完全な魂の結晶。対するお前は完全なる均衡を保った魂の結晶。あいつに出来ることが、お前に出来ないわけがナイ』


「……?」


『おい物分かりが悪すぎるゾ。よく見ロ、あの崩魂が、どうやってあんな閃光を出しているかヲ!』


「ん? あー……指、か? 嫌でも指っつうか腕っつうか……――ってもう無理っ、これ以上避けれねえ! 限界だ!」


『ならやるしかナイ。仕掛けロ。何のために羅刹の荒魂装纏してるんダ?』


「なんのためって……そりゃ、崩魂を倒すためだろ」


『違ウ。なぜ、"羅刹"をこの一年、どんな雑魚相手にでも使わせ、俺様が無数の下級崩魂を喰らったと思ってるんダ』


 荒魂装纏アラタマソウテン


 魂を上書きする禁忌。


 今の俺の魂は、胸に叩きつけた俺ではない別の魂に塗り替えられ、その心身の補強を図っている。


 今俺が纏う魂は「羅刹ラセツ」。

 無情さと慈悲深さを併せ持つ、二面性のある魂。


 「身体能力を大幅に向上させる」この魂一本で俺はこの一年間、この校舎に現れる崩魂を駆逐してきた。仕留めた崩魂を煩悩に喰わせ、力を蓄えさせた。

 ここまで強力な崩魂に会ったことが無いから、身体能力の向上で物足りないと思ったことはない。


 年中引きこもりの俺の身体能力を向上させるだけで、満足していた。


 だがしかし、もし、煩悩の言葉が本当なら、


 この一年が、羅刹の「身体能力を向上させる力」に体を慣らさせるための一年だったのだとしたら、


『――動いて見せろよ、その羅刹デ』


『もう出来るはずダ。一年前のお前には出来なかった動きと


 ――魂の、共鳴ガ』


 足が止まる。


 怒り狂った崩魂が放射し続ける無数の閃光が、再び俺を捉えようとしていた。


 呼吸を短く切って、整える。


 視界が、崩魂の発した熱光線で真っ白になっていく。


 だが、そんなことはもうどうでも良かった。


 胸に手を当てる。


 心の臓の音が聞こえる。


 あぁ、聞こえる。


 俺の魂の音と


 俺ではない別の魂の音。


 二重だったはずの魂が。


 空っぽだった俺の魂と、空っぽを埋めていた魂が、




 




『――さぁ、今度こそ本当の世界を始めようか。相棒』


 煩悩の声が、やけに鮮明に聞こえた気がした。


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