第31話 英雄⑦

 くるなみおさまったクチナワの表面に降ろされて、歩き出そうとした僕をクスィが引きめた。

 振り返るとクスィの視線は前方を向いていて、それをった時、深く突き立った巨大なやり先端せんたん破裂はれつした。


「……有り得ない」


 たとえ死んでいなかったとしても立ち上がれるはずがない。頭の中を否定が埋め尽くしても視線の先で男は立ちあがっていた。

 ボロボロのマフラーと着物が風にあおられてなびく。その全身はあおく染まり、左腕はうしなわれている。だが残った右手はまだしっかりと刀をにぎっていて、そのくろかった刀身が今はえるようにあおかがやいていた。

 それを愕然がくぜんと見つめていた僕のとなりまで進み出てきたクスィは、あわてた様子も無く男に向けて右腕を上げた。

 その先にあられるやっつの雷球らいきゅう。そこからほとばしった光がクチナワの表面を爆散ばくさんさせながら、男をすくい上げるようにびあがり、そのまま暗い空をけてくもった。

 光がおさまると飛び散ったクチナワの降りそそぐ場所に、それでも男は立っていた。あおかがやくあの刀で光を受け流したのかもしれない。だとしてもふせぎきれなかったのだろう。マフラーやそでがいたる所で裂け、身体からはけむりが上がっている。それでも男は一歩踏み出した。


「なんで……なんで、あきらめないんだ」


 心を恐怖が埋め尽くす。自らの身体からしたたるクスィと同じあおい血でよごれた顔。左眼ひだりめとも鬼火おにびのようなむらさき隻腕せきわんとなった男のその狂気じみた姿が何度でも立ち上がるヒーローとかさなる。 

 そして男は周囲のやみを巻き込んで変容へんようを始めた。傷口をめながら全身をやみおおっていく。それは失われていた左腕ひだりうでをも再生させた後でよろいに成った。あらわれたかぶとかがや左眼ひだりめ以外を隠し、マフラーが長くのびる。

 恐ろしさから体勢を崩しかけた僕をクスィの手が支えた。


「限定的とはいえ、彼は開かれた供給路きょうきゅうろを利用し私と同じ事をしています。現在の人類がそれを成しえるだけの技術を持っていたとは……下がっていてください。あれには全力でたいさねばこうしえません」


 動揺どうようする僕を後方に軽く押しやったクスィは、腕をって雷球らいきゅうを飛ばし、歩き出した。


け、千五百ちいほぐん


 ひびいたクスィの声をけにクチナワの表面がらぎ、そこからくろほそゆびが伸びたかと思うと無数の骸骨がいこつい出した。そのどれもが手に刀身とが一体化した両刃りょうばくろけんをもっている。けれどさっき現れた薙刀なぎなたの少女達とは違い。その骨をやみおおい肉を形作かたちづくる事は無く、ただどうを守るよろいが形成されただけだった。現れた骸骨がいこつ達がその状態のまま雷球らいきゅうを追って走り始める。

 雷鳴らいめいともなってはし雷球らいきゅうと巨大な波のようになって続く無数の骸骨がいこつ。それにこたえるようにあおかがやく刀を持った男が走り出し、雷球らいきゅうと接触。紫電しでんがまき散らされ、追いついた骸骨がいこつ達と男との戦闘音が響き始める中、歩みを進めていたクスィが立ち止まった。

 その横に二体の人形があらわれる。骨格にやみまとわりついて肉ところもを形成。身を起こしたその人形は薙刀なぎなたの少女と同じ姿をしていたけれど、その手には何もなく。何か行動を起こすでもなく、ただクスィの左右にひかえるように立った。

 彼女たちの役割が理解できないでいる間にも戦いの音は続いていた。あおい光がはしりまわり、両刃りょうばけん頭骨とうこつうでの骨が宙を舞い。やみる。

 い出し続けている骸骨がいこつが、それに匹敵ひってきする速度でほふられている。時折現れる隙間すきまから、刀を振るう男の姿がのぞく、その身体には骸骨がいこつ達がきざんだのであろう傷がはしり、何本もの折れたけんの切っ先が突き刺さっている。

 それでも男は一瞬も止まらず。周囲のやみを取り込んで身体を再生させながら此方こちらに向かって進んでこようとしていた。


「そんななりではどちらが人形か分かりませんね」


 揶揄からかうようなクスィの言葉にも男は反応をしめさなかった。ただじりじりと前進してくる。その姿に足がふるえ、のどの奥から思わず小さな悲鳴ひめいれた。


「安心してください佳都けいと。身体能力を大幅に強化し再生能力をもたとはいえ、彼は残る肉体部に致命傷を受ければ無事では済まず。体力的な限界も存在します。彼が強引に前進しようとしているのは優勢だからではありません」


 言い聞かせるような優しい声。その正しさを示すようにい出し続ける骸骨達が振るう幾百いくひゃくけんが男を押し返そうとしている。

 それでも恐怖は消えなかった。男の周囲にはたおされた骸骨がいこつたちと彼らが持っていたけんもり、今や雷球らいきゅうの半数がとされている。

 だから振るわれるけん一刻いっこくも早く男に届くのを願った。男が骸骨がいこつの腕を斬り飛ばし、両刃りょうばけんが宙を舞う。その瞬間、別の骸骨がいこつが振り上げていたけんが男に向かって下ろされるのを見た。決まると思った。

 男は刀を振り切っている。たとえその一撃で終わらなかったとしても、続くやいばれが男にとどめをす。

 でもそうはならなかった。男は片手を伸ばすと宙を舞っていた両刃りょうばけんを掴み最初の一撃を受け止めた。そのまま返された刀で、数体の骸骨がいこつが斬りせられる。

 そしてあおえる刀と両刃りょうば黒剣こくけんを持った男が前進を始めた。紫電しでんを放ちながら突撃した雷球らいきゅうを受け止め、が欠けたけんを捨てるのと同時にあおえる刀で雷球らいきゅうを切断し、そこに振り下ろされたけんを男は足元からひろい上げたけんで受け止めた。


成程なるほど、己の肉体以外を作り出す事は出来ずとも、解除の妨害は行えるのですね」


 つぶやくようなクスィの言葉はきっと、たおされた骸骨がいこつ達が形を維持している事を言っているのだろう。だから男は骸骨がいこつ達の落としたけんを利用できているのだ。

 そう考えているうち雷球らいきゅうが全てとされ、男の前進速度が上がった。男は死者の川を作りながらそれをさかのぼってくる。遺骨いこつくだき、よろいをひしゃげさせ、ときに落ちているけんひろい、ときに突き立っているけんを引き抜き、使い物にならなくなれば捨て、或いは投擲とうてきし、がむしゃらに前進してくる。

 首をはねねられた骸骨がいこつくずおれ、胴に投擲とうてきされたけんが突き立った骸骨がいこつが倒れる。次々とたおれていく、い出るよりも多くほふられていく、恐怖で息がまり全身が硬直した。

 紫色むらさきいろ爛々らんらんかがやかせ、あおえる刀を持った男が近づいてくる。ヒーローが僕を殺しに来る。


「……くるな、くるな、くるな、くるな!」


 必死に身体を動かして、鞄の中にある銃を取り出そうとする。けれど何かに引っかかったみたいに銃は抜けず、あわてて手元を見れば手にくろきりまとわりついていた。


佳都けいとあせらないでください。まだ手はあります。私を信じてください」


 視線の先で振り向いたクスィが微笑ほほえんでいた。男と僕の間に立つその小さなは全力で僕を守ろうとしてくれていて、それなのに取り乱した事を恥ずかしく思った。

 泣きそうになりながらうなずいた僕を見て、同じようにうなずいたクスィが両手をゆっくりと持ち上げた。

 その指先が横にひかえていた少女人形達の腹部へ向かう。向かい合っていた彼女達がそれに合わせてころもを開くとあらわになったその腹部は大きくふくれていて、そこにれたクスィの指先がそのまま沈み込んだ。 

 二人の少女が押し込まれるうでに合わせふるえ、かすかな声を上げながら身をのけらせた果てで、深くしずみこんだクスィの腕が何かを引っ張り出した。

 ひびわたる少女達の絶叫ぜっきょう。裂けた腹部からあふれ出すくろい液体と共に引き抜かれたそれは一気に伸長しんちょうすると、クスィの身長ほどやりになった。

 大きく振られた二本のやりまとわりついていたくろ羊水ようすいとでもいうべきもの跳ばすと産声うぶごえを上げるように甲高かんだかい音を立てた。そのき声が鼓膜こまくを叩いている中、役目を終えた少女達が倒れていく、ずっと動かなかった二人は胎内たいないであれを作っていたのだ。

 高音の余韻よいんが消え、しずまったやりに、再出現したやっつの雷球らいきゅうが取り紫電しでんまとわせる。

 の周囲で紫電しでんを放ちながらまわ雷球らいきゅうが、漆黒しっこくやりかざっている。その美しさに恐怖さえ忘れかけた刹那、二本のやりが下げられ、クスィがけ出した。

 一瞬で男との距離を詰めたクスィが跳躍し、振り上げた二本のやりを叩きつける。強烈な閃光せんこうと共に紫電しでんらされ、クチナワの表面が爆散ばくさん。巻き込まれた骸骨がいこつ達と周囲にもっていたけんことごと崩壊ほうかいした。

 くらんだ視界が戻ると、前進したクスィがやりを突き出すところだった。雷鳴らいめいとどろく。男は後退していたらしい。クスィのやりかわした男が刀を振るう。轟音ごうおん

 地面に突き立てたやりで斬撃を受けとめたクスィはにぎった腕で強引に身体を持ちあげ、そのまま身をひねり、もう一方のやりを振り下ろした。

 それを受けた男が圧力に押されている内に再度身をひねったクスィが、突き立てていたやりを引き抜いてなぎはらう。

 ななめにはしった紫電しでんかがやき、えぐられたクチナワの表面がぜ、それで男が避けた事を知る。飛び散ったくろい液体の隙間すきまから突き出されたクスィのやりを、男は自らの足が紫電しでんかれるのもかまわずにみつけてらした。

 退こうとするクスィに今度は男が食らいつく。斬り裂かれたクスィの服と紫電しでんいた男の足がほぼ同時に再生。続いた高速の攻防は荒れ狂ういかづちほのおで連続する閃光せんこうとしかとらえられない。

 強すぎる光が目に焼き付いて残像を作る。はっきりとは分からないが、クスィが押しているように見える。二本のやりの攻撃が手数で男を上回り、男の刀がクスィの服や髪をかすめる間に男の身体をけずっている。

 男はすぐに再生しているが、二人の損傷の度合いが違う事は希望だった。連続する二本のやりの攻撃に男が後退していく、男をとらそこなったやりがクチナワの表面を破裂はれつさせ、さらに後退する男とそれ追ったクスィの姿をかくした。

 飛び散った液体の奥にクスィの姿を探した瞬間。再び轟音ごうおんひびいたかと思うと飛沫しぶきの向こうからクスィの小さな身体が飛ばされてきた。その右手のやりからは穂先ほさきがなくなっている。


「クスィ!」


「大丈夫です」


 僕の叫びに平静な声で答えたクスィは体勢をととのえながら着地。壊されてしまったやりててけていく。

 いま飛沫しぶきが落ち着かない先で、クスィが両手で握って振り下ろしたやりを受けた男が大きく押された。その劇的な変化を不思議に思えば男の左手は手首から先が消失していた。

 やりが破壊された攻防の中でクスィが斬り飛ばしたのだろう。大きく距離を取ろうとした男にクスィが連撃を叩き込み、軽く触れただけに見えた石突いしづきが男の肩をえぐった。

 二本のやりに分かれていた雷球らいきゅうが今は全て集まり、かがやきと破壊力はかいりょくが増している。男はえぐられた所為せいでぶら下ってしまった腕をらしながら後退。

 紫電しでんまとったやり散々さんざんにそれを追うが、巧妙こうみょうに立ち回る男の頭部に届かない。そうしている内に腕を再生させた男が攻撃にてんじた。突き出された刀をクスィの槍が受け流す。

 武器の破壊力はクスィの方が上にみえる。広範囲にらされている紫電しでんが男がまとったくろ装甲そうこうを削り続けているからだ。だが単純な膂力りょりょくでは男の方がまさっているように見えた。げんにクスィは押され始めている。

 ほのお紫電しでんぜた数合すうごうのち、クスィの体勢がくずれた。返された刀がせまり、その胴が斬り裂かれるのを想像した瞬間、クスィが身体をまわした。

 細く白い足がくろ着物きものから伸びる。ひびわたる金属音。男が刀を引きクスィのりをらしていた。男の肩口からあおい血がる。

 見ればクスィの靴、その後端こうたんについていたかざりのようなものが伸長しんちょうし、するどやいばとなっている。恐らくは頸動脈けいどうみゃくを狙ったのだろうそのは、目的を果たせはしなかった。あおほのおに焼かれて溶け始めた靴を一瞬で引き戻したクスィがやりるう。

 雷鳴らいめいと共に再開されるかたなやり応酬おうしゅう。クスィはりをり交ぜているが、それが牽制けんせいにすぎないのは明らかだった。最初の一撃が失敗した時点で、それはもう通用しない。

 紫電しでんまとっておらず、長さもかぎられるで致命傷を与えられるのはたぶん頸部けいぶ頭部とうぶだけだからだ。男もそれを理解していて、そこを狙った攻撃だけ対処して後は無視している。例えクスィの蹴りが男の装甲を裂いていても、それはすぐに修復可能で到底脅威とうていきょういとはなりないからだ。それどころかむしろ無防備な足を伸ばすクスィの方が大きな危険をっている。もしも蹴りを読まれてしまったらクスィの足は即座そくざに切り落とされてしまい。そうなればクスィは負ける。だから攻撃に蹴りを加えてもクスィが押し返し始めたようには見えなかった。

 それをしめすように、徐々じょじょあおえる刀の軌跡きせきが増え、クスィの攻撃が減っていく。気持ちがあせり、もう一度銃把じゅうはに手を伸ばした。

 それをしっかりと握りしめる。けれど高速で立ち回っているクスィを避けて男にだけ当てる自信がない。首筋を汗がつたう。

 振り下ろされたかわしたクスィがりを放った瞬間。男もそれにりを合わせた。伸ばされた足はほぼ同時に接触し、クスィだけが大きくはじけ飛ぶ。

 思わず上げた何度目かの悲鳴に今度は答えがない。放物線を描いて落ちていく小さな身体。それを追って男が駆け出す。


「やめろ!」


 銃を抜く事も忘れて叫んだ視線の先で、クスィが最後の抵抗をこころみるようにやりを男に向けた。その先端につどったいかづちから連続して光が放たれる。

 刀でそれを受け止めた男の足がにぶり、付近に着弾ちゃくだんした光弾こうだん爆音ばくおんと共にクチナワをらし男の姿をかくした。

 光弾こうだんを撃ち出した反動で宙を舞いながら距離を取ったクスィが着地。やりを逆手に持ち直し大きく引いた。

 投擲とうてきの構え。同時に靴後端こうたんの突起がクチナワに突き立ち、それに合わせるように槍から分離ぶんりした雷球らいきゅうが高速回転を始めた。それがクスィの前方に巨大なえがくとクチナワからやみいた。

 一瞬で周囲に満ちたそれが高速回転している雷球らいきゅうに向けてうずを巻くようにつどい始めた時、光弾こうだん着弾点ちゃくだんてんくすぶっていた黒煙こくえんの中から男が飛び出した。

 けている男の体はボロボロで動きは先程よりさらににぶくなっている。男は確実に消耗しょうもうしていた。男とクスィの間には距離があり、クスィは何か大きな攻撃をしようとしている。それをわかっているにも関わらず、爛々らんらんかがや紫色むらさきいろ怖気おぞけつ。

 息をみながら見つめた視線の先、クスィの前で高速回転を続けていた雷球らいきゅう多重化たじゅうかしたかと思うと、速度を上げながら進む男をとらえるように動いた。

 その中心めがけてクスィが引いていたやりを突き出す。砲身ほうしんみたいになった連続する輪光りんこうの中心をつらぬいたやり。その先端に渦巻うずまいていたやりが急速集中し巨大な穂先ほさきを形成する。

 雷球らいきゅうかららされている紫電しでんもそこにくわわっていく、あの巨槍きょそうをクスィはもう一度撃ち出そうとしている。それも今度は紫電しでんまでまとったものだ。靴の突起がクチナワに突き立てられたのも、その反動に耐えるためのものだろう。放たれたが最後、触れたもの全てを消し去る一撃だと直感する。

 それでも男は退かなかった。それどころか一瞬も躊躇ためらう事なく踏み込み、射出しゃしゅつされようとしている巨大な穂先ほさき先端せんたんあおえる刀の切っ先を突き出してみせた。

 互いのがぶつかり合った轟音ごうおんと共にあおほのお紫電しでんが喰い合うように踊る。いかづちほのおが生み出す光。それをおおい隠そうとするようにれるやみひびき渡る雷鳴らいめいの向こうで、巨大なやり出現しゅつげんあおえる刀が押しとどめていた。

 男が一瞬でも躊躇ためらっていれば拮抗きっこうできずにつぶされていただろう。狂気のような男の行動が目の前の光景を実現した。

 クスィが突き出したやりに両手をえた。全力で押し出そうとしているのだ。巨大な穂先ほさきとそれを受け止めた刀をむすぶ線は互いの胸に伸びていて、押し負ければ胸をつらぬかれる。

 状況は膠着こうちゃくしていて、どちらが優勢かもわからない。けれど一度かたむけば決着は一瞬でつく。銃把じゅうはを握る手に力を込めた。

 男もクスィも動けない今ならできる。今なら避けられも受け止められもしない。撃てばあの男は死ぬだろう。それに対するおそれが手を止めようとする。信じてくださいと言ったクスィの言葉をそのまま受け入れてしまおうとする。でも、それじゃあ誰かに守られ続けてきたこれまでと一緒だ。恐怖と躊躇ちゅうちょから強張こわばったった体を動かして鞄から銃を抜き出す。

 何も出来なかったあの時とはもう違うはずだ。見た事も無い何かにいのるんじゃなく。何とかしてくれるのを誰か待つのでもなく、他の誰でもない僕が助けるのだ。そのために強くクチナワを蹴って男だけを射線しゃせんとらえられる場所に向けてける。

 殺す。

 殺す。

 殺す。

 殺す。

 脳裏のうりで何度も復唱ふくしょうし殺意で思考を埋め尽くす。ころびそうになりながらも体を急停止させ、照準しょうじゅんに男をとらえる。そして此処に来るまでに散々撃ってきたがゆえはずさない自信と共に引き金を引いた。

 独特どくとくな銃声がひびき、銃口からくろい線が伸びる。感じたのは今迄いままでに一度もなかった反動。痛みが走り、ね上がった手から銃のおもみが消えた。

 直進したくろ閃光せんこうは確かにとらえた男の肩をかすめ通り過ぎた。有り得ない光景。手放してしまった銃の行方を追うと、クチナワの上でねたそれがかすかな月明りを反射しながら海に落ちていくところだった。咄嗟とっさに伸ばした手でつかめるはずもなく、ただ指先にくろきりまとわりついているのに気付いた。まさかと思って視線を戻すとクスィが此方こちらに向けて右手を伸ばしていて、その背中からあおえる刀身が突き出ていた。


「なん、で……」


 意味が分からなかった。絶対に勝てたはずなのにクスィが僕の銃をはじき、その所為せいつらぬかれていた。


「それは、人を殺す為に与えたものじゃ、ありません、よ」


 口元からあおい血をらしたクスィが微笑ほほえむ。途切れ途切れの声は、距離があるのに何故だかはっきりと聞こえた。


「すみません。とう、には、連れて行けませんでしたね。でも、これで事態はとりあえず収束する。佳都けいとは日常に戻れる。私との、日々は、悪い夢を見ていたのだとでも思って、ください」


 さっきまでクスィの傷口を再生させ続けていたやみも、今は集まりはしても傷を埋める事なく彷徨さまよっている。

 そうしているくろい右手が形をたもてなくなりり始めるとそれはクスィの全身に広がり、傷口と言う傷口が開いてあお循環液じゅんかんえきれた。

 それがまたたく間にあお血溜ちだまりをつくっていく。脳裏のうりに焼き付いた光景。命が失われる光景。


「嫌だ、君が必要なんだ。僕には君が!」


 目の前で起きている事を止めたくて叫んだ。そう叫べば、持ち直してくれるんじゃないかと思った。かなしそうな表情を浮かべたクスィの口がかすかに動く、けれどそこから言葉がれる事は無く、此方を見ていたあお硝子がらすひとみからゆっくりと光が消えた。

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