第16話 刀鬼①

「じゃあ、先に行ってるね」


 しびれを切らしたのだろう声にうなずくと、千歳ちとせがクスィの手を引いた。連れていかれるクスィの胸元むなもとでアクセサリーがれる。照明を反射してかがやくそれは千歳ちとせがお守りだと言って首にげさせたもので、あのストラップを作り替えたものだ。いがいにも千歳ちとせはそういう工作が得意だったらしい。

 二人が船首せんしゅの方に向かって行くのをながめながら最後の包み紙を取り出して中身のハンバーガーにかじり付く。

 くらい夜の中を連絡船れんらくせんはゆっくりと進んでいた。残るコードはあと四つ、どの索墳さくふんも遠すぎて今日まで動けなかったが、それも今日と明日からの連休を利用すれば全てまわる事が出来るだろう。


「……また生殖器官が上手く発達しないという症例の増加も確認されています。このように人類に広がりつつある不妊症ですが、その原因は未だ分からないということですか?」


 不意に聞こえた言葉に意識が引き寄せられる。その声は部屋の隅に吊り下げられたテレビからひびいていた。


「そうです。有害物質説、感染症説等がありますが特定はできていません」


「不妊治療自体がこのような事態をまねいたとの指摘してきもありますが?人は技術無しではしゅを維持できなくなってしまったと……」


「そう言った主張も有りますが、それでは不妊治療先進国以外にも同様の傾向けいこうがみられる事を説明できません。今確かなのは過度に不安を抱く必要はないと言う事です。自然妊娠がなくなった訳では無いですし、世界人口は七十五億を超えた今も増加傾向にあります」


佳都けいとー」


 名前を呼ばれて視線を向ければ、千歳ちとせ達が戻ってきていた。


「なにもたもたしてるの、もうすぐ見えるから急いで、佳都けいとも見た事ないでしょ?」


 興奮こうふんした声、確かに此処に住んでいるのに肉眼で見た事は無かった。うなずきながらゴミをまとめて立ち上がる。

 足早に進む千歳ちとせに続き船室を出れば、潮の香りがはないた。感じた寒さに鞄に入れていた手袋を取り出してはめる。

 集まっている人の切れ千歳ちとせつかんだ欄干らんかんの横に立ち、同じように前方に視線を向けていると巨大な橋脚きょうきゃくを抜けた途端にそれが見えた。

 圧倒されるほどに膨大な数の光。沢山の高層建築群かられる明かりに、それを取り囲む雑多なネオン看板のまたたき。

 人形都市にんぎょうとしを採掘する為に築かれた施設と労働者用の居住棟きょじゅうとう。そこに集まる人々を目当てに自然発生した歓楽街がふくれ上がり、世界最大の人口密度地区を形成した。不夜城ふやじょう。そう呼ばれるに相応ふさわしい景観けいかん


綺麗きれいだねぇ」


綺麗きれい?」


 感動したようにつぶいた千歳ちとせにクスィが問いかけた。


「クスィには分からないかな。此処は世界の夜景百選にも選ばれてるんだけど、この街は許可なく入れないから、この街に住んでいる人だけが実際に見られる特別な景色なんだ」


佳都けいともそう思いますか?」


 千歳ちとせの言葉を聞いたクスィが、僕の方を向いて首を傾げた。


「うん」


「そうですか、では、これは綺麗きれいです」


 光の当たり方の所為だろうか、頷いて見せた僕を見てそう答えたクスィの顔が、ほんのわずかに微笑ほほえんだような気がした。


「クスィ、今笑った?」


「そう見えましたか?」


「見えた」


「では、学習は順調に進んでいます」


 僕の答えを聞いたクスィの顔に微笑ほほえみが浮かんだのが今度ははっきりと分かった。


「が、学習?」


 端正たんせいな顔が形作った微笑ほほえみは完璧で、目の前にる夜景とは異なる感動を僕に与えた。何故かそれを千歳ちとせさとられたくなくて、咄嗟とっさに動かした口は呂律ろれつが回っていなかった。


「そうです。記録が完全であればそこに含まれていた筈ですが、感情表現や抑揚よくようの設定が失われていた為、佳都けいと達のそれから学習していました。ようやく伝わる程度にはなったようですね」


 僕の動揺どうように気付いた様子もなく、クスィが解説してくれた。そう言われると確かに、出会った頃は淡々たんたんとしていたしゃべり方も今は自然なものに近づいている気がする。


「ああ、そ、うなんだ。でも随分時間がかかるんだね。今の状況は端末ですぐに理解したのに」


 そう続けるとクスィは落ち込んだように目をせた。


「いや、違う。がっかりしたとかそう言う事じゃなくて」


「分かっています」


 そう言ったクスィの顔が再びほのかに微笑ほほえむ。それで揶揄かわかわれた事に気付く。そんな悪い仕草しぐさ千歳ちとせから学んだに違いない。

 ただそんな事よりも重要なのはわずかに表情が加わった、ただそれだけの変化がおそろしい程に僕の心を揺らしているという事だった。何故か凄く気恥きはずかしい。そんな動揺どうようから視線を動かすと、いつもならこんな僕の様子を揶揄からかう筈の千歳がクスィをじっと見つめていた。


千歳ちとせ?どうかした?」


「ああ、いや、ちょっとビックリして」


 そう言って千歳ちとせは笑った。たぶん千歳ちとせも言葉を失うぐらい、クスィの表情に感動したのだろう。


「クスィを助けられたら、その時はまた三人で来て今度は不夜城ふやじょうを観光しようか」


 不意に思いついたそれはとてもいい考えのような気がした。今日まで見た事も無かったけれど、世界でも屈指くっしの歓楽街はそれでいて、都市の性質上最高に治安が良い場所と言われているし、時間に追われずゆっくり散策さんさくしたらきっとすごく楽しいだろう。


「いい、かもね」


佳都けいとがそうしたいのなら」


 二人の賛同と向けられた笑顔に気持ちがはずんだ。

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