第5話 咎人①

 テレビの電源を入れると崩壊した街の光景が映し出された。響き渡る破壊音。路上ろじょうでは何台もの車がひっくり返っていて、アスファルトの上には散乱さんらんしたガラスの破片がきらめき、切れた電線が火花をらしている。

 一瞬、画面の奥が白く染まったかと思うと、そこから伸びた光の線が高層ビルを切断した。発生する膨大ぼうだい土煙つちけむり轟音ごうおん。けれどそれさえも上回る耳障みみざわりな咆哮ほうこう

 映像が拡大されその発生源をとらえる。現れたのは高層建築群に匹敵ひってきするほどの巨体。大きく裂けた口にはくいのような歯が乱雑らんざつに並び、その隙間かられる高温の息でらめいて見えている。周囲を見渡す四つの眼は暗く沈み、縦に細長い瞳孔どうこうからは心を感じられない。

 怪獣かいじゅうと呼ばれるものがそこにた。長い尾をしならせ家屋をたわむれのように粉砕ふんさいした後で怪獣かいじゅうは上体を下げた。頭部がまっすぐにばされ、その喉元のどもとが大きくふくらんで発光。

 ゆっくりと開かれた口から高層ビルを容易く切断した光線こうせんが再び放たれる寸前、その頭部が蹴り飛ばされた。衝撃に耐えきれなかった巨体が地響じひびきと共に転がって行き、さっきまで怪獣かいじゅうが居た場所には後方宙返りを決めながらヒーローが着地した。

 なんとか体勢を取り戻した怪獣かいじゅうがうなり声と共にヒーローに向かっていく、怪獣かいじゅうはヒーローと組み合い、投げ飛ばされながらも振りぬいた尾の一撃でヒーローをはじいた。両者が瓦礫がれきを巻き上げながら反対の方向へ落ちる。

 ヒーローがひざをついて立ち上がるよりも前に怪獣かいじゅうが身を起こした。けれど怪獣かいじゅうは負けるだろう。なぜなら怪獣かいじゅうだからだ。怪獣かいじゅうはヒーローには勝てない。どれだけ追い詰められても、ヒーローは必ず立ち上がって怪獣かいじゅうを倒す。人々を守る為に戦い続ける正義の味方。

 そんなヒーローが嫌いだった。それでも幼い頃、暗い部屋の中で光を放つ画面をじっと見つめていたのは、そうしないと皆と一緒に遊ぶ事が出来なかったからだ。

 皆と同じようにヒーローのかっこよさについて分かっているというフリをしなければならなかった。でもそれさえできたなら皆は友達だと言ってくれた。それはとても簡単な優しい結果を招く方法で、だからふすまが開かない事をいのりながらイヤホンを耳に押し込んで毎週怪獣かいじゅうが倒されるのを見ていた。あの時友達だと言ってくれた皆の顔も名前も、もう忘れてしまった。

 奮闘している怪獣がヒーローの放った光線こうせん爆散ばくさんしてしまう前にチャンネルを変える。呼びりんが鳴ったのは丁度その瞬間で、驚いた心臓がわずかにねた。慌てて壁に設置された画面を確認すると見知った顔が映し出されていて、急かすように二度目の呼びりんが鳴った。

 連打が開始される前に玄関へ向かい、鍵をまわして扉を開くと、一気に入り込んできた冷たい風に身体が震えた。


「やぁ」


 立っていた千歳ちとせがそう言いながら軽く手を上げた。


「うん」


 取りあえずうなずいてみたけれど、どうして千歳ちとせが此処にいるのか分からない。特に約束はしてないし、自宅まで来る必要があるような要件も思いつかない。視界の端、下駄箱の上に置いてある二匹とも大きく口を開けた稚拙ちせつな出来の狛犬こまいぬも、僕の困惑こんわくうつしているように見える。


「寒いんだから早く入れてよ」


「ああ、ごめん」


 思わず身を引くと千歳ちとせはすぐに踏み込んできた。その肩から提げられているのはみょうに大きな鞄。誰も支えなくなった扉が閉まり音を立てる。


「おじゃまします」


 用件を聞く前に、千歳ちとせは靴を脱いで廊下に上がった。


「夕飯はもう食べた?」


「いや、まだ、というかどうしてうちに?」


 ようやく問いかけると、しゃがみこんで靴を揃え直していた千歳ちとせが僕の方を見て首をかしげた。


「あれ?聞いてないの?みさきさんがね。佳都けいとをよろしくって。家を空けるといつもカップ麺で済ませてるみたいだからって」


「……へぇ」


 そう言いながら、動きそうになる視線をおさえる。


「それで?今日は何を食べるつもりだったの?」


「あー、丁度、今から、何か作ろうかなって思ってたところ」


「本当に?」


「……うん」


「ふーん」


 いぶかし気に目を細めた千歳ちとせに表情を読まれない内に移動を開始する。居間に入り、千歳ちとせが持っていた鞄を降ろしている間に台所へ向かい、用意していたカップ麺を戸棚の中に投げ込む。


「さて、何を作ろうかな」


 聞かせる為の独り言と共に、さりげなく戸棚の扉を閉め、流れるような動きで冷蔵庫を開くと、此方に寄ってきた千歳ちとせがそれに誘導されて横から覗き込んだ。


「食材は……一通りそろってるね。折角だから私が何か作ってあげよう」


 冷蔵庫の中身を眺めた千歳ちとせが声を上げる。何かと千歳ちとせは言ったが、まず間違いなくカレーだ。他にはろくに作れないんじゃないかという疑惑があるが、機嫌をそこねそうなので聞けない。


「何か手伝おうか?」


 迷いながらも一応口にする。


「無理しなくていいよ。……でも、それなら、片付けはお願いしようかな」


「わかった」


 千歳ちとせの提案を受け入れてうなずく。腕はたぶんそんなに変わらないと思うけど、一緒に料理をするのは、少なくとも僕にとっては困難で、それを分かってくれているからこその配慮がありがたい。

 大人しくカレーが出てくるのを待つ事にして炬燵こたつに入ってテレビを眺めれば、いつの間にか報道番組が始まっていた。全然知らなかったけれど昨日の夜に人形坑にんぎょうこうで事故があったらしい。

 映し出された入り口の近くには規制線が張られていて、その前に警察官が立っている。奥に止められているのは特安とくあんの車両。その回転灯が照らしだす中にはよろいのような重装備をまとった特安局員の姿もある。結構大きな事故だったみたいで、少なくない死者も出ている。


「また、人形坑にんぎょうこうで事故があったみたいだ」


 教えようと思って顔を動かすと千歳ちとせは驚きというより不思議そうな顔をしていた。


「今更?朝にもやってたし、端末で確認したり誰かから聞いたりしなかった?」


 朝は遅刻しかねないほどぐっすり眠っていたし、端末でわざわざニュースを確認する習慣はない。そして誰からもそんな話は聞かなかった。

 試しに端末を開いてみると千歳の言うようにいくつも記事があがっていた。どうやら僕が知らなかっただけらしい。


「もうちょっと情報を仕入れるようにした方が良いよ。佳都けいとは時々驚くほどうといから」


 それはたぶん、クラスの誰と誰が付き合っているというのを僕が知らなかった一件の事を言っているのだろう。周知の事実だったらしい二人の顔は浮かんでも名前が出てこない。僕の情報網なんてそんなものだ。中学の時点でクラス全員の名前を覚える事をあきためた人間を舐めないで欲しい。


「大丈夫だよ。別に困ってないし……」


「まぁ、佳都らしいけど」


 呆れたような声を聞きながら端末を机の上に置いて、ぼんやりとテレビを眺める。特に覚えておこうとも思わない情報が映し出されては消えていく。


「よし、完成」


 思っていた通り、室内に食欲をそそるカレーの匂いが漂い始めた頃。千歳ちとせが声を上げた。食器棚からお皿を取り出す音や、引き出しの開閉音が聞こえた後で、カレーの載ったお皿が運ばれてくる。


「わるいね」


「別にいいよ」


 目の前に置かれたお皿を引き寄せながらそう言うと、千歳ちとせはほんの少しだけ照れたように微笑んで、僕の対面に座った。

 さっそくお皿の上に載っていたスプーンをつかむ。お皿の中のご飯とカレーはちょうど半分に分けられていて、カレーの中には大きさが不揃ふぞろいなジャガイモとニンジン、ちょっと入れすぎなんじゃないかと思うぐらいの肉が転がっている。ご飯とカレーを一緒にすくって頬張ほおばれば、大きさの違いによって火の通り方が異なってしまった食材の触感と、少し濃いカレーの味が口の中に広がった。


「どう?」


 千歳はどうもそれが聞きたくて、自分は手を付けず僕が口にするのを待っていたらしい。


「うん。美味しい」


「ならよかった」


 僕の返答に満足したらしい千歳ちとせが、スプーンを手に取って食事を始める。

 口にした感想に嘘は無かった。みさきさんに比べればもちろんあらはあるのだけど、千歳ちとせのカレーは肉が多めで、ニンジンが少ないという良さがある。色味と健康の為にという理由でグリンピースが投入されないのも高評価だ。

 何度かスプーンを往復させた時、唐突にかねの音が響いた。音の発生源である壁に掛けられた振り子時計はみさきさんのお気に入りで、見ればもう十九時だった。みさきさんが定期的に時間を合わせているから大きくずれている事は無い。


「もう遅いから、食べ終わったら片づける前に送っていくよ」


 すくったカレーを持ち上げながらそう口にする。


「ああ、大丈夫。今日は泊まっていくから」


「え?」


 返ってきた言葉に手が止まった、かたむいたスプーンからジャガイモが落ちる。


「なんで?」


みさきさんが、そうしても良いって」


「いや、そうしても良いって……」


 みさきさんが何を考えているのか分からない。冗談のつもりで口にしたのだろうか?


「いや、でも、みさきさんがそう言ったとしても千歳ちとせのお父さんやお母さんは」


「大丈夫、連絡しておいたし、それに今日は二人とも家に居ないんだ。研究所で泊まりになるって、だからその方が安心かもねって」


「そう言ったの?」


「うん」


 頷いた千歳ちとせを見ながら考える。僕がおかしいのか?いや、そんな筈はない。


「あー、でも。そうだ。そう。ほら、小柴こしばが」


 咄嗟とっさに口にしたのは千歳ちとせが飼っている犬の名前だ。柴犬の雑種で小さかったから小柴。僕が出会った頃にはもう普通の柴犬よりも大きいぐらいだったけど……。


「それも大丈夫。ちゃんとご飯をあげて、家の中に入れてきたから、今頃、お気に入りの毛布にくるまって自宅の警備任務にあたってる筈だよ」


「あー、そうなんだ。それは、良かった。でも泊まるのはどうだろう……」


「何?前も泊めてもらった事あったじゃん」


「いや、そうだけど、あの時と違って今日はみさきさんがいないし……」


「だからちゃんとみさきさんの許可は貰ったんだって、それとも佳都けいと一人だと何か問題があるの?」


 千歳ちとせの目が真っ直ぐにこちらを見つめている。そこには一点のくもりもなく、表情にはただ純粋じゅんすいな疑問だけが浮かんでいるように見える。

 つばを飲み込む。言えない。どう考えても問題がある気がするけれど、そこに思い至っていないのか、或いは僕をそういう対象としては考えていないらしい千歳ちとせを見ると、とても口に出す事ができない。それにみさきさんも千歳ちとせの両親も良いと言ったなら、それはつまり僕を信用してくれていると言う事で、余計に口にするのがはばかられる。


「いや、無いよ。無いけど……」


「じゃあ、決まりね」


 屈託くったくのない笑みを浮かべた千歳ちとせに、それ以上何も言えなくなった。

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